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中二病の正体

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 ということで、他の業種に比べても、そん色ないほどの率での自粛を行っていて、しかも、クラスターも発生していなかったのに、開店している店があるとして、誹謗中傷を受けたりした。
 パチンコ屋というと、売り上げがなければ、成り立っていかない。国の協力金などは本当に雀の涙であり、まず、自粛が続けば、本当に店を閉めることになる、仕方なく開けていることになるのだが、ギャンブル依存症の連中が、開店している店に、殺到することで、まったく自粛の意味がなくなってしまった。
 店が悪いわけではない。攻撃する方が悪い。これを、ネットで騒ぐのだから厄介だ。マスゴミも騒ぎ出し、攻撃する。そんな時に攻撃を行った一般の人たちを称して、
「自粛警察」
 と言ったのだ。
 中途半端な正義感をひけらかし、実際に頑張って生活をしている人たちを食い物にして、自分たちのストレス解消をしようというだけの連中に、
「何が警察だ」
 とばかりに、やつらに対して、皮肉を大いに込めて、
「自粛警察」
 という言葉を賜ったのだった。
 警察という言葉がついているからと言って、何も正義ではない。戦時中の憲兵だったり、(官憲という意味で)特高警察などは、政治家や軍の
「イヌ」
 ではないか。
 自粛警察も、目には見えない何かに誘導された、悪に満ちた、特高警察と同じレベルの悪しき集団だといえるのではないだろうか。
 自粛警察を苦とするならば、何か紙一重のものが、実は存在しているのではないかと思ったことがあった。
 自粛警察は確かに、緊急事態宣伝下では、問題になるだろうが、逆に平時であれば、本当の警察の役目を果たすかも知れない。
 最近では、受動喫煙防止法というものができて、昔から問題となっていた、
「喫煙者」
 に対しての問題が、どんどん解決されていくようになった。
 しかし、その分、マナーの悪い連中はひどいmので、街を歩いていても、禁煙不可の歩道であっても、関係なく喫煙している輩を見かけることがある。これほど醜いものはないというものだが、そんなやつらを一番煙たい目で見ているのは、
「マナーを守ってタバコを吸っている人たち」
 ではないだろうか。
「あんな連中がいるから、俺たちまで白い目で見られるんだ。俺たちは、愛煙家であって、マナーの悪い喫煙者ではない。それなのに、何で俺たちが、あんなに白い目で見られなければいけないんだ」
 と、同じことを何度も言いたいくらいである。
 今の世の中、タバコを吸う人間は、副流煙が問題になり始めた昭和の終わりことから、比べれば、喫煙者はほぼ半分くらいではないだろうか。
 実際にタバコの喫煙率を図り始めてから、どんどん減ってきているという統計もある。タバコをいくらでも吸っていいという時代からでも、次第に減ってきていたというのはどういうことなのだろう?
 やはり、体調を崩してやめる人がいるのか、それとも、健康について考えているのか、
「いや、そんなことはないだろう」
 というのも、昭和のドラマなどを見ていると、
「こんなところでタバコを吸っているなんて考えられない」
 と思うような場所でタバコを吸っているのだ。
 下手をすれば、就職試験における面接のときでも、灰皿が置いてあったりするくらいだ。
 枕元に灰皿が置いてあり、寝たばこをしていたり、今だったら、火事が怖くて、誰もできないだろう。
 その証拠に、受動喫煙防止法は、個人の家などには規制をかけていない。あくまでも公共の施設や、人が少しでも集まるところでは、特に室内では、絶対に吸ってはいけなくなっているだけなのに、寝たばこは許されているのだが、誰もしていないではないか。(ただ、分かっていないだけで、やっている人は若干名いるだろうが)
 そんな状態において、街では、禁煙と決まっている場所でタバコを吸うと、取り締まり委員の人がやってきて、携帯灰皿にタバコを捨てさせ、その場で罰金を徴収する。
 彼らは警察官ではなく、行政に雇われた、監視員である。
 どこまでの権力があるのか分からないが、少なくとも、タバコ喫煙を規制し、罰金を徴収するだけの権利を有しているに違いない。
 警察も人間に限りがあることで、自治体が雇っているのだろう。
 自粛ではないが、条例を守らせるための警察のような仕事である。これは自粛警察とどこが違うというのだろう?
 ただ、自粛警察は、自分たちの理論で勝手に名乗っているだけである。実際の行動は起こせないが、ネットなどを使っての攻撃なので、ある意味、自粛警察を取り締まるのは難しい。
 しかも、そんなやつらをマスゴミが煽るのだ。
 煽られた方がたまったものではない。
「いい加減にやめようか?」
 と思っていたとしても、マスゴミが背中を押すので、引くに引き下がれなくなってしまったのだが、世間の風当たりが悪くなると、今度はマスゴミが自分たちを攻撃してくる。
 まるで、自分たちの正当性を訴えるために、煽って梯子を上らせた連中を犠牲にして、しかも、それを悪いとも思わずに、自分たちの正当性を無言で訴える。これがマスゴミというもので、
「どこに、モラルなどあるというのか?」
 ということで、自粛警察が悪いわけではなく。煽っているマスゴミが悪いといえるのではないか。
 つまりは、自粛警察とマスゴミは紙一重のところにいて、それぞれに、正当性を訴えようと、
「どんぐりの背比べ」
 をしているだけなのだろう。

                  相対的

 そんな自粛警察というものを、どう考えるかであるが、世の中には、
「必要悪」
 と呼ばれるものがある。
 この自粛警察が悪だとするならば、それは、
「必要悪ではないか?」
 という考えも浮かんでくる。
 これは人によって意見が分かれるところで、自粛警察というのを、表面上見てみると、
「あれは必要悪などではなく、ストレス発散と自己満足のために、行動Sしているだけの、偽善のようなものだ」
 と考える人もいるだろう。
 しかし、考え方を変えると、
「自粛警察がいるから、曖昧な態度をとっている営業者も、緊張感をもって営業するようになり、そういう意味では、社会貢献しているといえる」
 という人もいるだろう。
 もちろん、これも紙一重のところで、長所と短所としてくっついているものではないかと思えるのだが、自粛警察を、悪だとして見るのであれば、均衡を保つために、
「必要悪ではないか?」
 という発想が生まれたとしても、それは無理もないことであろう。
 たとえば、今の時代、学校などで苛め問題が存在するが、これは、苛めをしている人間、苛めを受けている人間だけが当事者のように見られるが、実はそうではない。苛めが行われているのを知っていて、見て見ぬふりをするというのも、ある意味。いじめをしている連中と同類だといわれる。
「いや、自ら行動しない分、たちが悪い」
 という人もいるだろう。
 いじめの問題のように、
「苛めを受けている人、それにいじめられている人間を助けようとしている以外の人間は、いじめているのと同じことではないか?」
 という発想である。
 こちらの、見て見ぬふりをしている連中は明らかに悪であり、これを必要悪だなどと誰も言わないだろう。
作品名:中二病の正体 作家名:森本晃次