中二病の正体
「四次元とは限らない。三次元と二次元。つまり立体と平面という意識からも、繋がってくるんじゃないかと思うんだ。つまりは、先ほどのマトリョーシカの発想というのも、まるで、人形の中にいる人間、つまり小説の登場人物は、基本的に読者を意識しているわけではない、読者としても、登場人物のことを想像するのは、作者の手腕によるものだけであって、必要以上に発想することはないだろう。つまりは、そこに読者としての立体と、登場人物としての平面が存在していて、お互いにその間には結界のようなものがあり、それがマジックミラーのように、平面からは立体を見ることはできない。立体からは平面を見ることができるのだが、意識することはない。そこにあるのは、マジックミラーのような、結界が広がっているといってもいいのではないかということなんだ」
と弘前は言った。
「なるほど、異次元の発想というのは、そういうマジックミラーのような発想ではないかというんだね?」
と雄二が聞くと、
「ああ、そうなんだ。だから小説というものは、表現において、異次元への挑戦ではないかと思うんだよ。マンガであったり、写真などにはない、想像力を掻き立てることで、一つお物語ができあがる。それが小説だと思うんだ。今のテレビドラマなどは、ほとんどが原作はアニメだったりするだろう? 俺は、それが少し気に食わなかったりするんだけどな」
と言って、弘前は笑った。
かなり難しい話に入ってきていたが、弘前は、気持ちを和らげるためか、話の間に時折、笑いを織り交ぜているかのようだった。
「能の合間に狂言を折りませるというが、まさにこのことなんだろうな」
と雄二は考えていた。
弘前の話を聞いていると、雄二もなんだか、自分が異次元の世界にいざなわれているかのような気分にさせられた。
ドン・キホーテの話を通じて、まさか、勧善懲悪という発想と、異次元という発想が結びついてくるなど思ってもいなかった。しかも、その間に、ロシアの民芸品である、
「マトリョーシカ人形」
の発想が含まれているなどというのは、想像もしていなかったことだったからだ。
しかも、この一連の発想が、裕美の中で起こっている。
「中二病」
という症例の一つとして、弘前が考えているというのだから、かなりの発想の転換だといえるのではあいだろうか。
雄二としても、まさかここまで話が飛躍してしまっていると、最初がどこから出発しているのか分からなくなりそうだ。
しかし、雄二の中では、そんなことはどうでもいいように思えてきた。なぜなら、
「ここまでの発想は、どこから始まっているとしたとしても、結果、元の場所に戻ってうるという思いが含まれているからだ」
と感じたからであった。
「負のスパイラル」
という言葉があるが、この周防愛らるというのは、循環しているものであると思っている。
しかし、その循環というものが、輪によってできあがっているものだとは思っていない。スパイラルというのは、螺旋であり、輪のように平面ではないのだ。上から見ると、蚊取り線香のように、平面の中心に向かって、とぐろを巻いているように見えているのだが、実際には、立体になった、螺旋階段を模しているということなのだった。
それだけでも、異次元という発想が、
「負のスパイラル」
という言葉で証明されているといえるのではないだろうか。
そもそも、異次元という発想がなければ、
「負のスパイラル」
という発想も出てこないのではないかという、逆説、つまりパラドックスではないかと考えるのだ。
ちなみに、異次元、特に四次元の世界を表する時に例として出される、タイムトラベルなどで、
「タイムパラドックス」
という言葉が出てくる。
パラドックスというのは、そもそも、逆説という意味で、
「逆も真なり」
という言葉と相対的に考えられるものである。
このタイムパラドックスというのは、特に、タイムマシンなるものが開発された時、過去に行く話などで例として用いられるもので、
「親殺しのパラドックス」
というのが有名である。
過去に行って、自分が生まれる前に自分の親を殺すというものだ。
自分の親を殺すわけだから、自分が生まれてくるはずはない。ということは、生まれない自分が過去に行って、親を殺すことはできない。だから、そのままの歴史が変わらずに、自分は生まれてしまう。しかし生まれるということは過去に行って親を殺すことになる……。
という無限に抜けられない輪の中に入り込んでしまうというのが、
「親殺しのパラドックス」
である。
しかし、これを、
「スパイラル」
と考えればどうだろう?
必ずしも輪ではなく、らせん状になって、限りなく続いているものだと考えると、そこから先も見えてくるのではないかというものだ。弘前はそのことを考えているのだったのだが、雄二もそこまではいかないまでも、
「雄二にしか分からない発想」
を思い浮かべることで、弘前にしっかりついていくのだった。
紙一重
最近、弘前は、自分の生活が、昼と夜で曖昧になってきているのに気づいていた。
一度大学時代に、昼と夜の生活が曖昧になってきたことはあった。学校での授業が一年生の頃は一限目からというのもあったが、二年生以降になると、昼からという時も多く、寝坊することが多かったりした。
規則的な生活がいいのは分かっていて、大学に入学した頃は、
「高校時代だって、規則的な生活を苦もなくしていたんだから、大学に入ってからだって、そこは変わらない」
と思うようになっていた。
それなのに、大学に入学してからというもの、何が変わったのか、昼と夜の感覚が曖昧になってきた。
食事は、高校生の頃までは、三食をほぼ狂いなく行っていたが、さすがに夕食だけは、家族のタイミングというのもあり、時間が少しだけ不規則になったが、それでも、毎日同じリズムだったことに変わりはない。
しかし、中学生の頃くらいから、朝食を摂るのが嫌になっていた。毎日のように、ごはんに味噌汁、これほど嫌なものはなかった。
「いい加減、飽きるというものだよな」
と思っていたが、親に逆らうようなことはしなかった。
何とか我慢して食べていたのだが、正直、その頃から、白米と、味噌汁の組み合わせは見ただけで吐き気がしそうなくらいになっていた。
そんな毎日だったにも関わらず、よく残さずに食べれていたのかということを思うと、実に不思議だった。
人間、我慢しようと思えば、少々の我慢はできるというものなのだろう。
何しろ、朝起きて、まだ目が覚めていな状態で、胃袋だってビックリしているだろうに、毎日同じものを食わされる。白米など、べったりとへばりつくような状態で、苦痛以外の何ものでもないと思っていたのだ。
だが、不思議なことは、
「これが家だと食べられないのに、友達の家だったり、他のお店で食べる朝食だったりすれば、同じメニューでもまったく苦にならないのだ。きっと同じ味だったとしても、それは変わりないだろう、味というのは、環境の違いで、まったく別のものとして感じられるようになっているのかも知れないな」