中二病の正体
という考えは、鶴の恩返しなどのような、
「何かを助けて、そのお礼をしてもらう」
というところから始まっている。
そこに、戒めを込めて、おとぎ話として残しているのだろうが、人間の好奇心をくすぐる話として、どこまで問題なのか、難しいところである。
そんな、勧善懲悪の話であるが、元々、勧善懲悪の話を持ち出したのは、ドン・キホーテの話をしている時の弘前だった。
その弘前が、なぜ、勧善懲悪を考えたのかというと、
「ドン・キホーテの話は、元々滑稽本として読まれていたが、そのうちに騎士道などに対しての古い悪行に対しての反発のようなものから書いたのではないかという評価に代わってきたということだけど、俺もそんな風に思うんだ。そうでなければ、最新の研究で言われるような、悲劇になってしまうからじゃないかと思うんだ」
と弘前がいうと、
「それはどういう発想なんだい?」
と雄二が聞き返す。
「昔から喜劇と呼ばわるものには、悲劇的なエピソードが備わっているものだって思うんだ。新喜劇にしても、要所要所は人を笑わせるギャグがあって、最終的には、ホロリとしたお涙頂戴があるわけだろう? 喜劇と言いながら、お涙頂戴を絡めることで、クライマックスのどんでん返しに最後のギャグを使うことで、話を本当の喜劇に持っていくんだ。それがなければ、ただのギャグの押し付けにしかならないだろう? 俺は、ドン・キホーテの話もそうじゃないかって思うんだ。滑稽なことを繰り返しながら、最後には、勧善懲悪という目的を達成していく。ただこの話は喜劇ではない。喜劇に見せかけてはいるが、社会風刺だと思う。そうなると、社会風刺に対して何かテーマが含まれていないと違和感だけが残りそうな気がする。そのテーマが俺には、勧善懲悪なんじゃないかって思うんだよ」
と、弘前が言った。
「なるほど、そこまで考えたことはなかったな。だけど、ドン・キホーテの話の中の代表的な部分というと、風車に向かって突進していくところだろう? あれを俺は、先ほどの話のように、ブッシュマンのような未開の文明の連中が、初めて見た風車に対して、本能から攻撃するという愚かな行動だと思っていたので、悲しみの方が強かったんだ。だからあのシーンしか知らない人は、この話を勧善懲悪だなどと思う人はいないだろうな。そう、今、弘前君が言ったように、喜劇の中にあるお涙頂戴的な意味で、見てしまうと、この話を滑稽本として考えていた連中の気持ちも分からなくもないな」
と、雄二は言った。
「そうなんだよね。この話を読んで考えたこととして、最初の前提として、騎士道の本を読むのが好きな青年が、現実と物語を近藤してしまって、その境目が分からなくなり、自分が騎士道の主人公だと思い込むようになったということなんだけど、普通に考えると、無理のある話だと思わないかい?
と弘前に聞かれた雄二は。
「言われてみれば、そんな気がしてくるね」
と答えると、
「そうだろう? この話は最初から違和感があるんだ。だけど、話が進んでいくうちに、その感覚が薄れていく。下手をすると、読んでいるうちに、その違和感を共有しているかのように、小説の世界に引き込まれるからではないかと思うんだ。つまりは、小説の中でドン・キホーテが陥ったような感覚を、読者に感じさせるという感覚。何かに似ていると思わないか?」
と弘前は、次第に興奮してきて話をした。
「というと、どういうことなんだい?」
と雄二は、考えようとしたが、あまりの弘前の興奮度に、
「自分が答えてはいけないのではないか?」
と感じたのだ。
「いやいや、それはね、たぶん君も想像していると思うんだけど、マトリョーシカ人間なんだよ」
と弘前が答えると、
「マトリョーシカ人形?」
と雄二が聞き返した。
どうやら、雄二はその言葉を知らなかったようだ。
「マトリョーシカ人形というのは、ロシアの民芸品の人形のことで、大きな人形が、真ん中から前後に割れる仕掛けになっているんだけど、その中には今度は少し小さな人形が入っているんだ。そしてその人形も同じように真ん中から割れて、中に人形が入っているという仕掛けさ。五段階くらいになっているのが一般的だといわれているらしいんだけどね」
というではないか。
雄二はそれを聞いて、途中から分かったようだ。
「これをマトリョーシカ人形というのか?」
と思ったほどで、弘前が最後まで語った時には、なぜ彼がこの話をしようとしたのかが、少し分かったかのように思えていた。
「なるほどね。この小説の中には、ドン・キホーテの行動を通して、読者が陥るであろう発想をかんがえて書かれたものではないかと弘前君はいいたいんだね?」
と、雄二は言った。
「そういう意味で、俺はこの小説を読んだ時、この話がミステリーのようなイメージを受けたんだ」
という弘前に対して、
「ミステリー?」
と、雄二は聞き返す。
「ミステリーであったり、探偵小説であったり、推理小説というものには、トリックというものが存在するだろう。殺人事件が起こった時、犯人が読者に対して挑戦するかのような構図になるんだけど、いくつかのパターンがあると思うんだ。例えば、密室トリックだったり、死体損壊トリックだったり、一人二役だったりね。この三つを三大トリックと評している人もいるくらいだ。あとは、アリバイトリックだったりと、小説の中では、ある程度決まったトリックがあるんだよ。すでに、トリックとしてはほとんど出尽くしていて、あとはバリエーションの問題だといっているらしいんだけど、そんなトリックというものに対して、もう一つ俺は気になっているトリックがあるんだ。それが叙述トリックと呼ばれるものなんだけどね」
と弘前は言った。
「何だい? その叙述トリックというのは?」
と雄二が聞くと、
「つまりは、作者が自分の小説の書き方で、読者をミスリードするかのようなトリックなんだ。トリックというものを、物語の外において、客観的に見るとでもいうのかな? ドン・キホーテの話にしても、マトリョーシカを想像した時点で、俺は、この話をミステリーの中の叙述トリックとして感じるようになったというわけなんだ」
と弘前は言った。
弘前の話は、次第に拡大解釈の様相を呈してきた。
「一体、何が言いたいのだろう?」
という思いが雄二の中に広がっていった。
弘前はそのことを見越してであろうか。
「俺はこの話には、勧善懲悪の他に、いや、他にというよりも、この勧善懲悪という感覚を強めるという意味で、何かが含まれているように感じるんだ」
というではないか。
「その何かというのは?」
と雄二が聞くと、
「それが、異次元の感覚ではないかと思うんだよね」
と、またしても、突飛な発想を言い出した。
「異次元? それは四次元の世界という意味かな?」
と聞くと、