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孤独の中の幸せとは

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 ロシアの極東艦隊は、ウラジオストックと、旅順艦隊があった。そこに、ロシア本国のバルチック艦隊が集結すれば、日本海軍に勝ち目はなかったのである。
 そのために、旅順攻略は絶対条件だったのだ。
 しかし、実際に攻撃してみると、
「日清戦争の時と、被害の数が二けた違う」
 と、いうことで、伊藤博文に、
「信じられない」
 と言わせたほどだった。
 そもそも、伊藤博文は、対ロ戦は反対派であった。もちろん、平和主義者だというわけではなく、ロシアを敵にするリスクが大きいと思っていた。
 しかし、戦争前に日英同盟を結んだことで、開戦に舵を切ることになるのだが、ロシアとの戦争を奨励派も、
「やるなら今しかない。時間をかけてしまうと、ロシアが日本を攻撃する準備が整ってしまう」
 というのが、理由だった。
 何といっても、大国ロシアが相手なのだから、作戦が狂えばすべてが狂ってくるのだ。日本としても、もちろん、モスクワまでせめていくなど考えていない。最初から、
「途中のどこかで決定的な大勝利を収めて、英国、米国を使って、講和条約の席に着き、有利に戦争を終わらせること」
 というのが、作戦であった。
 そのためには、バルチック艦隊に敗れることは許されず、さらに、旅順攻撃は必須だったのだ。
 正攻法で旅順要塞を攻撃しても被害が増えるだけでどうしようもない。
 ということで、陸軍は、二百三高地を攻めることに決めた。内地から運んできた、
「三十八サンチ砲」
 が、威力を発揮し、何とか二百三高地を攻略し、旅順艦隊を撃滅させた。
 陸軍はその余勢をかって、奉天会戦に勝利することで、陸軍は十分に役目を果たした。
 さて、バルト海を出港したバルチック艦隊は、よーろーーあを迂回し、大西洋から、アフリカを経由し、インド洋から日本に来る方法しかなかった。
 ここに、日英同盟が大きく影響してくる。
 本来なら、エーゲ海から、シナイ半島を経て、スエズ運河からインド洋に出ればいいのだろうが、当時のアラブはイギリスの領地であった。日英同盟の観点から、イギリスが通してくれるわけもない。しかも、途中の港で、食料や武器、燃料の補給を行いながらの航海なのだが、途中にイギリス領が点在しているため、なかなかそうもいかないというものだ。
 そのため、バルチック艦隊は、ボロボロの状態で、日本に来た。
 ここで問題は、バルチック艦隊の航路である。
 ウラジオ艦隊と合流するのに、太平洋からの航路をとるのか、それとも、東シナ海から、玄海灘沖を通り、千島へ抜けようとするのかという選択があった。
 日本海軍は千島航路を考え、そちらで待ち伏せすることになった。
 もし間違っていれば、ウラジオ艦隊とバルチック艦隊の連合艦隊に、日本の連合艦隊が挑むことになったのだ。
 しかし、想像通りの日本海航路であったため、日本海海戦が勃発した。
 この戦争は、何と半日で勝負がついた。勝因としては、T字戦法という、新たな戦法と、下瀬火薬という、ピクリン酸を応用した砲弾が使われたりと、新兵器も活躍したりした。
 したがって、日露戦争の勝利は、
「外交面、科学技術面、戦略面からも、うまく機能したということであり、これが、日本における日露戦争の勝利だった」
 といえるだろう。
 それ以降、日本は大陸に進出し、中国での権益を増していく。次第に諸外国から煙たがられる状態であり、満州事変においては、世界的に孤立してしまった。
 さらに、ドイツ、イタリアと同盟を結んだことで、世界を敵に回すことになったといってもいいだろう。
 そんな時に発生した、
「盧溝橋事件」
 を発端(諸説あり)とするシナ事変が起こると、日本軍は国民党軍を追い詰めていく。
 第二次上海事変ののちに、トラウトマンによる和平交渉が起こったのだが、日本が南京を占領したことで、立場を硬化させ、それが国民党軍の許容を超えたので、和平がならなかった。それにより、アメリカは経済制裁を行ったが、日本が北部仏印に進駐したので、今度は経済封鎖に入った。
 こうなってしまっては、戦争は避けられないものとなり、軍部では、どうすればいいかを政府と模索をしていた。外交と、開戦の同時進行であったが、そもそも、アメリカは参戦の機会を模索していたので、外交がうまくいくはずはない。そうなると、日本は戦争に突き進むことになるのだが、ある時、海軍大臣が連合艦隊の司令長官、山本五十六に、開戦における勝利について聞いた時、
「半年やそこらは存分に暴れてみせるが、それ以降は保証はない」
 といったという。
 つまりは、半年以内に、決定的な勝利をおさめ、いいタイミングで講和に持ち込めば、日本有利なところで、交渉ができる。それしか日本には道はないといっているのだった。
 実際に、日本は、海軍は太平洋上で、陸軍は、仏印から、マレーを抜け、シンガポールを陥落させ、そして最大の目的であった、インドネシアの油田地帯を手に入れることができた。
 本来なら、そこで講和に持ちこむべきだったのだが、日本は、そこで間違えた。
 勝ちすぎたことで政府がおごってしまい、我を忘れるかのように、戦争に没頭してしまう。
 さらに、アメリカ起死回生の作戦である、空母から爆撃機「B―25」を出撃させて、帝都空襲を行ったのだ。
 被害は大したことはなかったのだが、それに臆した日本政府と軍部は、ミッドウェイ攻略に走ってしまった。
 ここで海軍は間違えてしまう。兵装転換のミスから、空母四隻と、大量の航空機を失ってしまう。
 ただ、一番の問題は、
「熟練のパイロットのほとんどを失ってしまった」
 ということである。
 本来なら、まだ大丈夫なはずの戦線であったが、人材不足は一番大きく、それが最後まで尾を引くことになったのだ。
 つまりは、
「日本は、せっかく当初の目的を達成していたにも関わらず、引き際を間違えたということが悲惨な運命になった一番の理由だ」
 ということであった
 途中で講和が結ばれていたら、
「完全勝利には至らないが、少なくとも負けることはなかった」
 そして、中国の戦争も、各国に認めさせることもできたかも知れない。妥協できなかったことで、日本は、すべてを失いことになったのだ。
「日本にとって、最初で最後の、対外国との戦争での敗北」
 だったのである。
 誰がこのことを予想したであろうか? そもそも、戦争前のマスコミや、政府の陽動が大きく、世論も戦争に突っ走ったというのもいけなかったのだろう。
 そうでもなければ、さすがに日本も、我を見失うほどに突っ走ることもなかったように思うからだった。
 このような知識は、学生時代からあったものではなかった。会社に入ってからしばらくは、バブル経済のせいで、ひたすら仕事に邁進していたが、その結果、バブルが弾けたことで、できた時間、本を読む機会が増えたことで、歴史の本を買って読んだのだった。
 興味がなければ、途中で読むのをやめていたかも知れないが、読めば読むほど面白い。
 探偵小説を読んでいた関係で、戦前戦後という時代背景にも興味があった。
作品名:孤独の中の幸せとは 作家名:森本晃次