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孤独の中の幸せとは

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 そのことを思い知らされた人も結構いるだろう。それまでと、百八十度、生活が変わったのだ。それまで目立たなかった身体の変調が、健康診断などで、急に出てくると、不安になるのも無理もない。
「これじゃあ、ダメだ」
 と思う人も多いことだろう。
 そんな頃、スポーツジムが、結構新店を増やしてきた。
 バブルが弾けて、その反響からか、ほとんどの企業が衰退していく中で、儲かっている企業もある、それが、サブカルチャーなどを中心にしたところであった。
 いち早く、その情報を掴んで、スポーツジムを開く人もいたであろう。
 だが、これらの反響は、あくまでも、一時期のことであり、
「バブルが崩壊した」
 ということで訪れた、一過性の流行りでしかないことに気づかない人は、そのままズルズルと、泥船に乗っかったまま、沈むしかない状態になる人もいたりした。
 数年くらいは、スポーツジムに通う人も結構いて、充実した繁栄をしていたことだろうが、時代が少しずつ落ち着いてくると、一過歳暮ブームは次第にすたれていく。
 商売上手な人は、
「流行る前くらいに情報を仕入れていて、流行り始めに店を始め、そして軌道に乗ってからは、いかにいつ撤退するかを考えている」
 といえるだろう。
 何事も、物事というのは、
「始める時よりも、終了させることの方が、数倍難しい」
 と言われている。
 それは、戦争などにおいて言われていたことだ。かの大東亜戦争もそうではないか。
 アメリカという大国に挑むのだから、いかにすれば勝つことができるかというのは、回線の二年くらい前から、政府と軍部の間で、ずっとシュミレーションが行われてきた。
 英米蘭を相手に宣戦布告した大東亜戦争だけでなく、その前のシナ事変というのも、その代表ではないだろうか。
 何度も小競り合いがあり、その都度和平交渉が行われてきた中国問題で、日中全面戦争に突入してから、トラウトマンの和平交渉というのが、途中にあった。
 実際に、日本政府も、国民党蒋介石も、それぞれに妥協した案で、和平交渉がまとまりかけていたのに、日本軍が南京を占領したものだから、日本政府が態度を硬化させた。それにより、蒋介石側も、怒り心頭に発し、和平交渉はなくなってしまい。和平の道は完全に閉ざされてしまったのだ。
 その時に、和平が成立していれば、大東亜戦争が起こることもなかったのかも知れない。まずこの時に、
「戦争をやめる時期を逸してしまった」
 といえるのではないだろうか。
 さらに、日本軍は、北部仏印に軍を進めると、英米蘭は、日本に対して、資源の輸出を全面的に禁止した。
 一種の、
「海上封鎖」
 といえるものだった。
 これは、外交における、
「最後通牒」
 だといえるのではないだろうか。
 日本が真珠湾攻撃の際に、数時間宣戦布告が遅かったせいで、
「アメリカが不意打ちを受けた」
 などと言っているが、果たしてそうだろうか?
「海上封鎖:
 というのは、国際法上では、
「宣戦布告」
 に値するともいわれている。
 宣戦布告というものが、最後通牒であっても、十分に宣戦布告に値するといわれているのだから、この海上封鎖と、さらに、アメリカの出した、
「ハルノート」
 の二つを持って、アメリカが日本に宣戦布告をしていたといってもいいのではないだろうか?
 何しろ日本が、他の国にエネルギー資源を求めて出ていこうとするのを、まったく輸出を禁止するのだから、それは無理もないことなのだ。それを、侵略などと、今までさんざん、植民地を作ってきた国家が、
「どの口がいうのだ」
 と言わんばかりであった。
 そもそも、日本軍は、それまで、全戦全勝の無敵を誇っていたのだ。
 日清戦争の大勝利に始まり、世界最大の国ともいわれるロシアを相手に、弱小明治日本が、薄氷を踏む思いで勝利した。
 これは、日米同盟がかなりの部分で大きかったし、アメリカが協力的だったことも大きかっただろうが、とにかく、
「皇国の荒廃」
 は、滅亡に至ることはなかったのだ。
 日本は、大国の仲間入りを果たし、中国大陸にも進出していったが、世界恐慌という荒波で、一変してしまった。
 そおせいもあってか、軍国主義が激しくなり、国家総動員法や、治安維持法などによって、市民生活が国家によって制限される時代に入っていく。
 世間が、戦争を望むという時代背景に入っていったのだろう。
 だが、さすがに政府も軍部もバカではない。まともにアメリカなどの列強を相手にしても勝てるわけはなかった。
 かと言って、中国での戦いを止めて、撤兵することはできない。
 陸軍としては、
「これまでに犠牲になった連中に対して申し訳が立たない」
 という考えと、
「今兵を引き上げることは、陸軍の威信にかかわることで、今後の軍の士気にも影響する」
 ということであった。
 アメリカの案を飲んでしまうと、日本の領土は明治維新の状態に戻ってしまい、すでに併合している台湾や朝鮮もなかったことになり、満州鉄道周辺の権益、さらに、中国大陸での派兵などもすべてが無に帰するのである。
 そんなことが許せるわけもなかった。しかも、
「日本軍は無敵だ」
 という不敗神話が存在するのだ。
 軍だけではなく、国民の間にも暴動がおこるレベルではないか、それを思うと、撤兵などありえない。いかに戦争になったら、勝つことができるかというシュミレーションを主なっていたのだ。
 日露戦争の時もそうであったが、相手の首都に乗り込んで、首都を占領するなどという、
「完全勝利」
 などありえるわけはなかった。
 この戦争は、
「いかに勝つかではなく、いかに負けないようにするか?」
 というのが、一番の問題だった。
「やめ時が難しい」
 というのは、まさにそのことであった。
 日本軍の不敗がなぜだったのかということを、政府や軍首脳がどれほど分かっていたのかというのも、問題だ。
 日清戦争においては、眠れる獅子と言われた清国に対して、日本軍は謙虚に臨んだ戦争だった。
 富国強兵の旗印のもと、戦意と士気の高揚が高まり、さらに最新鋭の兵器を訓練で使いこなせるようになっていた。
 しかし、清国軍は、列強との戦争に敗れ続け、ボロボロの状態で、士気もあったものではなかった状態で、軍事費の方も、当時の西太后の贅沢三昧のせいで、満足に得られなかった。
 東洋随一と言われた、
「定遠」
 を中心とした戦艦群も、まったく整備された状態ではなかったこともあって、最新鋭兵器を揃えた日本に、かなうわけはなかったというのが実情だったであろう。
 ただ、日露戦争の場合は、そういうわけにはいかなかった。
 何といっても、世界最強ともいわれたロシア軍である。しかも、極東艦隊の一つ、旅順艦隊のある旅順には、日清戦争の時にはなかったトーチカを中心とした、東洋一といわれた大要塞があったのだ。
 近づくことさえできず、攻略ができない。
 海軍は、旅順艦隊を出れないように、港に船をわざと座礁させて、湾をふさぐという、閉塞作戦を行ったが、何度かの失敗で断念するしかなかった。
 そこで、陸軍に旅順要塞を攻略してもらって、丘の上から、旅順艦隊を撃滅するという作戦に出たのだ。
作品名:孤独の中の幸せとは 作家名:森本晃次