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孤独の中の幸せとは

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 一つの転機としては、
「バブルが弾けた頃が一つの契機ではなかっただろうか?」
 バブルが弾けた時、神話と言われていたようなものが、一気に崩壊したものもあったりした。
 たとえば、
「銀行の倒産神話」
 などが、その一つではないだろうか。
「銀行は、絶対につぶれることはない」
 と言われていた。
 しかし、バブルの時期は、そもそもが、
「新規事業を開発すればするほど儲かる」
 という時代で、そのために、銀行に融資を頼む。
 銀行も、まさかバブルが弾けるなど誰も思っていなかっただけに、他に負けじと、融資合戦を繰り広げる。そのうちに投資した分が焦げ付いてくる。そうなると、完全な自転車操業が露呈し、にっちもさっちもいかなくなる。
 銀行は多額な融資を回収することができないのだから、当然、倒産するというのも当たり前のことだ。
 まるで算数の公式のような考え方なのに、どうして誰もバブルの限界というものを考えなかったのか、当時の政治家や、資本家、財閥の罪は重いのかも知れない。
 倒産を逃れるために、何とか公的資金を投入したり、債権者にそのつけを回したりしたが、そうなると、市場経済そのものが狂ってくる。これが、バブルの崩壊につながったのだろう。
 何といっても、一つを引き締めれば、他もうまくいくなどということはないのだ。基盤すべてが緩んでしまっているので、どこかに力を入れれば、バランスが崩れてしまって、崩壊を早めるだけになってしまう。
 要するに、一度支障をきたすと、絶対に修復は不可能なのだ。
 それが、バブルの崩壊であり、今までの経済を象徴しているのだ。
 ここ三十年間で政府がやってきたことは、そのほとんどが失敗で、その結果の今の時代なのである。
 そんなバブルの時代が終わりを告げたのは、会社で管理部に所属していた茂三が、一番身に染みて分かっていたのかも知れない。
 茂三の会社の管理部には、経理課、総務課、人事課などに分かれていた。
 人事課に所属していた茂三は、自分がちょうど、主任をしている頃に、バブルが弾けるのを感じていた。
 特に採用というところにおいて、顕著だった。まだ、リストラなどという言葉が出てくる前で、最初、バブルが弾ける数年前は、空前絶後ともいえるほどの、
「売り手市場」
 だった。
 逆に、その五年ほど前というのは、逆に大不況の頃で、大手企業が軒並み採用を自粛した時期でもあった。
「このまま、日本企業は衰退していくのだろうか?」
 と思っていると、どこでどうなったのか、一気に売り手市場となり、就職したいという学生よりも、募集の方が多いのだから、学生とすれば、引く手あまたというところであろうか。
 学生の中には、複数の有名企業から内定をもらい、どこを選べばいいかという嬉しい悩みだったくらいだ。
 しかも、別に優秀な学生でなくとも、そのような状況なので、企業側も人材確保に必死であった、
 内定の時期から、研修と称して、海外旅行に連れて行ったり、高級ホテルで、飲めや食えやの大宴会が催されたり、キャバクラのはしごもあったかもしれない。
 そんな時代が、二年ほどだっただろうか。完全に、
「ロウソクの炎が消える前の最後の悪あがき」
 とでもいえばいいのか、とにかく、人材の確保だけが急務だった、
 すると、バブルが弾けた。
 バブル前に請け負った仕事を、彼らの力を借りてこなしてしまうと、今度は、一気にバブル崩壊の手立てを打たなければならない。
 拡張した事業は、速やかに撤退。それにより、新規事業の社員は、解雇。
 そして、いよいよ本格的なリストラが始まった。
 まずは、定年間際の社員、さらに中間管理職の中から、リストラ候補の、リストアップを行い、依願退職をほのめかす。
「今なら退職金に色を付ける」
 という言葉で、誘うが、なかなかまだバブルの崩壊がどのようなものなのかを身に染みていない社員には、そんな言葉が通用もしなかった。
 しかし、実際に仕事を与えず、窓際に追いやり、気まずい雰囲気に持っていけば、社員の方から、退職を言ってくる人もいた。
 そして、数年前、あれだけ、
「ヨイショ」
 して、入社させた入社三年目くらいの連中を、集団で依願退職させる。
 彼らとすれば、
「会社に裏切られた」
 としか思わないかもしれない。
 いや、本当に裏切ったのだ。会社のためとはいえ、これまでおだてにおだてて確保した連中を、最上階まで登らせて、そこで、はしごを外すという暴挙に出たのだ。集団で、
「自殺しろ」
 と言っているようなものである。
 そんな会社であったが、彼らにとって、そのままこの会社にいて本当によかったといえるだろうか。
 次第に会社は衰退していった。規模も縮小し、倒産寸前までいった。茂三も、路頭に迷うのを覚悟したほどだった。
 しかし、
「捨てる神あれば拾う神あり」
 大企業が、合併を申し込んできた。
 もちろん、百パーセント吸収される側ではあるが、それでも、社員にとっては、路頭に迷わない分よかった。しかし、上層部は一新され、会社内では、
「吸収された側の社員」
 として、給料面では差があきらかで、仕事をしていても白い目で見られる。
 またしても、ここで、リストラが吹き荒れる。それでも残った社員がどれだけだったことだろう。
 そんな時代がしばらく続いただろうか。その頃には、働き方が大きく変わった。それまでは、コマーシャルなどで宣伝していた栄養ドリンクのキャッチフレーズで、
「二十四時間戦えますか?」
 というものがあった。
 とにかく仕事をすることが正義であり、仕事は山ほどだった、何しろ、ほとんどの大企業は、新規事業を立ち上げているのだ。そして、そこに下請け、孫請けなどが受注を受けて、仕事をこなすというような社会体制になっていた。
 それだけ人もたくさんいたし、新規事業、さらには新店を立ち上げるとなると、夜を徹しての仕事になる。
「一体、いつ寝ているんだ?」
 というくらいに働きづめであったが。それでも仕事をしただけの給料はもらえたので、今よりは労働意欲があったに違いない。
 しかし、そのうちに、どんどん新規事業から撤退するようになり、いわゆるバブル経済が限界に達してくるのだった。
 そもそも、
「実態のない泡のようなものを商売している」
 というのが、文字通りのバブルであった。
 株であったり、土地などを、右から左に流すことで利益を得るという人が多く、
「土地ころがし」
 などという言葉もあったくらいだ。
 そんなバブルが弾けると、一気に不良債権が膨れ上がり、自転車操業の運転資金はなくなってしまう。
 銀行も融資した分がまったく回収不能になるので、融資ができなくなる。
 元々、銀行や金融業は、利子で設けているわけだから、過剰に融資することで、その分の利子が膨れ上がり、儲けていたのだ。
 バブルの時代は、少々過剰に借りたとしても、
「次に借りる手間が省けた」
 というくらいで、
「銀行で引き出すお金が。一万円のつもりが、二万になった」
 というほど、別に害はなかったのだ。
 それなのに、それを運転資金にしていると、利子にすら手を付けてしまって、首が回らなくなる。
 バブルの時代が、
作品名:孤独の中の幸せとは 作家名:森本晃次