孤独の中の幸せとは
「下手に優勝なんかするものだから、裕書パレードや、バーゲンなどといって、人が溢れてしまい、交通渋滞を巻き起こしたり、その日には交通規制がかかったりと、仕事になりゃあしない。いい加減にしてしてほしいものだよ、まったく」
ということになるだろう。
まわりは、狂気のように、パレードを見に行って、手を振ったりして喜んでいるが、熱が冷めれば、皆どんな気分になるのだろう? 何もなかったかのような気分になれるのだろうか? 茂三にはよく分からなかった。
祝ってもらった方は、しばらくは、その余韻に浸れるが、バカ騒ぎを他人のためにした方は、どんな気分になるというのか、それを想像しただけで、ゾットするような気分にさせられるのだった。
茂三には、嫉妬や妬みは結構あったと思う。それが彼にとっての、
「生きるための一つの感情」
だったのではないだろうか。
彼には、出世欲のようなものがあったわけではない。どちらかというと、仕事に対しては淡泊で、一所懸命に仕事をしてもどうなろものではないということを、バブル崩壊の時に思い知ったのだ。
しかも、バブル崩壊の時、まわりが趣味を探したように、彼も小S手鵜を書き始めた。その時に、前述の詐欺出版社のいくつかを利用していた。
だが、お金がなかったのが一番の理由であったが、小説を書いては送り、書いては送り続けた。
実際に、それらのいわゆる、
「自費出版系の出版社」
はどれくらいあったのかまでは把握していなかったが、その中の三社くらいの有名どころに絞って小説を送り続けた。
やっていることはどこも同じことなので、たぶん、そのうちの一つが始めたことを、他がマネしたのだろう。
送り続けて半年ほどが経った頃、つまりは、一つの出版社に対して、三回目か、四回目に原稿を送った頃だっただろうか、電話が入ったのだった。
郵便でのやり取りだけだったのだが、電話が入ったことで、何事なのかと思った茂三だったが。内容としては、向こうがいつも提案してくる、協力出版を飲むようにといいう勧告であった。
内容としては完全に、最後通牒であった。しかも、宣戦布告に近い内容のもので、こちらがとても容認できるはずのものではないことを言ってきたのだ。その出版社から、いつも茂三の担当者ということで、その人から小説を読んだ結果が送られてくる。つまりは、批評もその人の感想であり、見積もりもその人がしているものだった。その人がいうことには、
「今までは私の一存(いわゆる社内における力)で、あなたも作品を優先的に出版会議にかけて、協力出版をしてもらえるようにしている」
という前提のもと、
「今後は、もうあなたの作品を出版会議にかけることはないので、今回本を出さないと、あなたの作品を出版会議にかけることはない」
というものだった。
協力出版というのも、怪しいものだった。
「定価が千円の本を千部発行するのに、筆者の方には、百五十万をお願いする」
というものであった。
協力出版というのは、出版社と筆者がお金を出し合って、本を製作するという建前になっている。定価に部数を掛けたものが、製作費であるのだから、全額でも百万円ではないか、それなのに、協力出版であれば、少なくとも百万以下の手出しにならなければおかしいはずだ」
と主張すると、
「いや、宣伝費や、本屋においてもらうのに、かかる費用もかかるから、その分、高くなる」
というではないか。
それを聞いた時、
「詐欺だ」
とはっきり分かった。
原価が千円であれば、確かにそうかも知れないが、定価が千円であるばらば、千円の中に宣伝費も製作費も、経費すべてが入っていて、それでも、定価との差が出れば、それが利益となるはずではないか。これが経済学の基本中の基本であり、この見積もりを見て、
「誰もおかしいと思わないのか?」
と思ったほどだった。
しかも、その時、相手の担当者は、
「こいつは、自分のところで本を発行する意思はない」
と見たのか、恫喝を始めたのである。
「とにかく、あなたの作品は今発行しないと発行する機会はありませんよ」
と言い続ける。
こっちとすれば、
「ここがダメでも、他の出版社がある」
という気持ちもあったので、そんな口車に乗る気はなかった。だから、
「いや、出版社が全額持ってもらえるような作品を作れるようになるまで、送り続けますよ」
とこちらも、怒りに任せてそういうと、
「いやいや、それは不可能ですよ」
というではないか。
「どうしてですか?」
と聞くと、
「いいですか。そういう企画出版をするようなことは、今の出版不況ではほぼありません。こちらだって、いかにリスクのない経営をするかというのが至上命令のようなものなんですよ。素人の名前も知られていない作家の本を、誰が売れると思いますか? 作家としてのプロでなければ、もし、出版社が本を全額負担で出すとするならば、少なくともその人にネームバリューがなければあり得ません。つまり、企画出版できる人は、芸能界にいる人か、犯罪者くらいしかいないんですよ」
とハッキリと言い切ったのだ。
それこそ、詐欺集団が、カモにしようとしていた相手に痺れを切らせて、怒りに任せ、相手を恫喝してきたのと同じである。
つまり、これは最後通牒という名前の宣戦布告に違いないといえるのではないだろうか。
当然のことながら、こちらも、最後になんていったのか覚えていかいくらいの捨て台詞を吐いて電話を切ったのだが、しばらくは怒りで震えが止まらなかった、
そこで、茂三が考えたのは、
「こうなったら、こっちが利用できるだけ利用してやれ」
ということであった。
宣戦布告をしてきた出版社とは、完全に国交断絶をしてしまったが、他の出版社には原稿を送り続け、批評をもらうことにした。
批評は相変わらず適格で、
「ただで、通信講座の小説教室を受講している」
という感覚だった。
一度、宣戦布告を受けているので。もしまた同じことが起こっても、心の準備もできているので、今度はこっちから宣戦布告をしてやるというくらいの気持ちでいれば、気分は相当楽だった。
詐欺集団をこっちから利用してやろうと考えるのだから、これはこれでいい作戦ではないだろうかと思うのだった。
出版社によっては、かなり儲かっているところがあるのか、自分たちが発行した本だけを置いている喫茶店を経営していた。そこでは喫茶コーナーでコーヒーWを飲みながら、本が読めるというもので、執筆活動をする人に対しても、電源などを貸してくれるので、パソコンを持ち込んで書けるということもできたのだ。
当時としては、喫茶店で電源が借りれるなど、なかなかなかった。
そもそも、電源というのは、勝手に使うことは犯罪である。電気というものを盗んでいるのと同じで、窃盗罪が成立するのだ。
だから、電源があるところでも、勝手に使うことはできなかったが。常連になったところでは、許可をもらって使うことができる。
ちなみに、喫茶「ロマノフ」には、十年以上通ったが、その頃はまだパソコンを持ち歩くということはなかったので、電源を使うこともなかった。