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孤独の中の幸せとは

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 それ以外にも当然選択肢はあるのだが、その分、いっぱい迷うことだろう。人によっては、
「いっぱい考えて、悔いのない答えを導きだせばいいんだ」
 という人がいるが、最悪だと思っている時に、いろいろ考えてしまったとしても、答えを一つにまとめることなどできるのであろうか?
 何かを考えて、
「よし、これが結論だ」
 と思ったとしても、
「待てよ。もっと考えれば、それ以上の答えが出るかも知れない」
 と思うことだろう。
 そうなると、負の連鎖を起こしてしまい、結果として、堂々巡りを繰り返してしまうに違いない。
「将棋で、一番隙のない布陣ってどういう布陣なのか分かるかい?」
 と聞かれて、どう答えるかというと、
「最初に並べた形なんだ。一手打つごとにそこに隙が生まれる」
 という話を思い出した。
 ということは、
「下手な考え、休むに似たり」
 と言われるがまさにその通り、直観で思ったことをするのが一番なのかも知れない。
 なぜかというと、
「直感で動く方が、一番後悔しないと思うからだ」
 という思いに至るからであって、結局迷った時に行きつく先は、
「自分が一番後悔しないところだ」
 と言えるのではないだろうか。
 それを思うと、最悪の場合を感じた時は、直観で動くということが一番なのだろう。
 もし、それが間違っていたとしても、その時に死にさえしなければ、次回似たようなことがあっても、その時には別の選択をすればいいという答えを導き出すしかないのかも知れない。
 まずは、
「最悪だ」
 と思うかどうか、それが問題であって、きっと負の連鎖に陥る人は、最悪だとは思わないだろう。
 なぜなら、最悪だと思ったとしても、まだ。
「それ以上最悪なことが待っているかも知れない」
 という、堂々巡りを繰り返すに違いないからだ。
「堂々巡りは堂々巡りしか繰り返さない」
 人生においての、思考の行きつく先は、そういうことなのだろう。
 だったら、
「やはり直感が一番後悔しないことへの近道になるのではないか?」
 ということになるのであろう。
 そう思うと行きつく先は、やはり、
「最後には楽観的な考え方だ。それは一種の開き直りに違いない」
 と思うのだった。

                タバコが吸えない

 もっとも、いつが最悪だなんて分かるはずもない。それは、幸せだと思う時も同じで、
「上を見ればきりはないが、下を見ても同じだ」
 ということであった。
 それは、自分に対してというだけのことではなく、世の中に対しても同じこと、世の中だってバブルが崩壊して最悪な状態であるが、実はこれがまだ底辺に向かって、まだまだ下がっている時期なのかも知れない。
 いや、もう落ちるところまで落ちて、これから這い上がる時なのかも知れない。それは誰にも分からないだろう、しかもそこには個人差があり、立場の違いによって、人それぞれだともいえるだろう。
 何といっても、
「サイコーだ」
 と言っていた、あのバブルの時代でも、誰も崩壊することを予見しなかったではないか。
 ひょっとして、学者の中にはわかっている人もいたかも知れない。しかし、それを言ったところで、世間の誰も信用してくれるはずもなく、
「ホラ吹き」
 と呼ばれることを恐れたのかも知れない。
 それだけ、世間は誰もが、最悪なことを考えるなどできないということを、
「何とも言えない不気味な不安」
 として、受け付けようとしなかったとも考えられる。
 だが、それよりも、もっと単純に、サイコーな状態に酔ってしまったことで、感覚が鈍ってしまい、本当に、今の状態を想像することもできなかったのかも知れない。
 そうなると、予見した人をホラ吹きと呼ぶ可能性はかなり高い。感覚がマヒしているにしても、ホラ吹きと誹謗されるにしても、予見することは、自分を自らに窮地に追いやることになる。
 そんな、
「オオカミ少年」
 になってしまうことが分かっていて、自分一人を悪者にするだけの勇気を持てる人がいるだろうか?
 これが、いいことを予想するのであれば、また違っているのだろうが、最悪な予見をするのだ。その予見が当たっていたとしても、
「ほら、私の言った通りではないか」
 と言ったところで、まわりの人は、
「まさか、そんなことが……」
 と慌てふためき、結局、自分しか見えなくなってしまい、パニックの中、誰も聞いてくれないだろう。
 予見するのであれば、予見した内容を信じてくれる人がいて、少しでも最悪を避けるだけんp行動を起こしてくれるのであれば、予見も意味のあるものだが、それがないのだとすれば、下手をすると、
「あんたが変なことを言い出すから、世の中がおかしくなっちゃたんじゃないか」
 と言って、バブル崩壊の原因をこちらに押し付けて、責任転嫁でもしようというのだろうか?
 バブルの崩壊は、突き詰めればどこかに要因や原因はあるだろう。
 しかし、それは引き金を引いたというだけで、その引き金は、いつかどこかで誰かが引く運命にあったのだ。
「それを引いたのが誰なのか?」
 ということが問題なのではない。
 引き金を引くための巨大なピストルを用意したのは誰なのかが本当は問題なのだろう。
 しかし、それを用意したのは、きっと一人ではない。皆が少しずつそこにあったピストルを、射程位置に固定するために、動かしたのだろう。何しろ、一人で動かすことのできないほど大きく、そして重たいものであり、皆が無意識ではあっても、協力しなければ、動かないものだからである。
 最悪に向かっているという意識があれば、誰もするはずがないのだから、そういう意味で、感覚がマヒしていたという考えは、まんざらウソだともいえるわけではないのではないかと思うのだ。
 さらにもう一つ、人に言えない理由があるとすれば、
「集団意識のなせる業」
 というのもあるだろう。
 せっかく、世の中がうまくいっているのに、それに水を差すようなことを言えば、自分がまわりから、干されてしまうという感覚である。
 まるで自分から墓穴を掘るようなマネはさすがにできないだろう。もし、そんな行動をとって、自分がまわりから干されてしまえば、必ず後悔するからだ、
 何しろ世間に警鐘を鳴らすのである。いい状態に水を差すということは、もしそれが叶ったとしても、褒められるということはない。
「お前が変なことを言うからだ」
 と言われて、干されてしまう。
 慌てられて、混乱するのも困るが、それ以上に責任をこちらに押し付けられるのは理不尽極まりない。それを分かるから、自分からそんな真似はしたくないのだ、
 結局はどちらに向いても、自分ひとりだけで何を言っても、どうしようもないのが、まわりの集団意識だ。
「好事魔多し」
 という言葉があるのは分かっているので、世間に光と影が存在するとすれば、影の台頭を許すことはない。光と影を、
「善悪」
 として考えるならば、悪を意味する影が表に出てくることを警戒するであろう。
「口に出すことすらおぞましい」
 という状態なので。それこそ、
「出る杭は打たれる」
 のである。
作品名:孤独の中の幸せとは 作家名:森本晃次