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孤独の中の幸せとは

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「ここでのマネというのは、モノマネではなく、サルマネではないか?」
 と思うからだった。
 学生時代に小説を書いたといっても、十作品くらい書いたくらいだろうか。機関誌に載せるための作品を、機関誌発行の少し前になってやっと書き始めて、何とか締め切りに間に合うという程度のものであった。
 元々、小学生の頃の宿題にしても、テスト前の勉強にしても、ギリギリにならないとやらない方だった。
「切羽詰まらないと、何事もやる気が起きないんだ」
 という性格だったのだ。
「こんな性格で、よく大学に現役で合格できたものだ」
 と自分でも感じたものだが、世の中には、切羽詰まらないと、実力を発揮することができないという人がいるとは聞いていたが、まさか自分がそうだったのかということに気づいたのは、やはり、大学に合格できた時だったのだ。
 大学四年間、文芸サークルに所属しながら、作った作品が、短編の十作品そこそこというのは、実に少ないといえるのではないか。
 一応、作品を文庫本にすれば、ちょっと厚めの本くらいにはなると思われるが、四年間の成果としては、あまりにも寂しいように思えてならない。
 確かに、他の人も、似たようなものだったが、少なくとも、大学に入ってから、勉強がおろそかになり、サークル活動くらいしか、成果らしきものがないと考えれば、作品数からすれば、寂しいだろう。
 だが、元々、大学に入ってから、何を目指そうなどということを最初から思っていなかっただけに、ズルズルと過ごした四年間であることを、証明しているようで、寂しいというよりも、情けなく思うほどだった。
 だから、就職した会社も、大卒のバリバリの学生としては、鳴かず飛ばずといってところか、就職活動も真剣にしていたわけではないので、就職先があっただけでもよかったというべきなのだろうが、会社側も一応、大卒ということで、人事部への配属を決めたようだ。
 総務部や人事部は大卒が多く、そういう意味では、人事部の新人としては、先輩たちから比べれば、少し落ちると思われていたようだ。
 大学時代の成績は本当に平凡で、そこまで真面目な学生ではなかったということを成績が証明していたのだが、就職できたのは、文芸サークルにいたということが、決めてになったようだ。
 入社すぐに回されたのは、社報を編集している部署だった。ちょうど前の年まで社報を編集していた人が、支店の営業に回されたことで、人が足らなくなった。それで茂三が抜擢されたのだが、茂三は最初、
「自分が編集の方に回されたので、先輩が押し出される格好で、支店に飛ばされたのではないか?」
 と思っていたが、内情は違ったゆだ。
 その先輩に対して罪悪感を持つこともなければ、
「人事部にいるからといって、あとから入社してきた人に押し出されることはないなどということはない」
 という心配をしていたが、それは取り越し苦労だということだ。
 ただ、会社員である以上、いつ何時、内示が出るかも知れないという覚悟だけはしておかなければいけないということであろう。
 幸か不幸か、それから定年になるまで、人事部から外されることはなかった。ただ、そのせいで、出世という道とはまったくの無縁であったのだが、退職してみれば、それがよかったのか悪かったのか、自分では分からない。
「下手に営業などに回されると、やっていける自信は皆無だったので、きっと、何かをしでかして、辞めなければいけなくなるか、自分から辞表を提出することになるのではないか」
 と思えて仕方がなかった。
 だからと言って、順風満帆だったというわけでもない。
 バブル崩壊のあとの、人員整理のため、責任を会社から押し付けられることになり、そのための罪悪感に苛まれなければならなかったことで、一時期、精神的に病んでしまい、一か月くらいの入院を余儀なくされてしまった。
 一種の労災ものなのだろうが、人事でリストラを任されたことで、精神的に病んだとしても、まわりの人たちは同情してくれるわけもない。
「そんなのは、自業自得だ」
 と言われても仕方がなかった。
「会社の犠牲になっているわけなので、リストラされる人と何が違うというのか?」
 とも考えたが、ここで怒りを面に出せば、却って悪くなるということで、気持ちを抑えるしかなかったのだ。
 会社に入ってから、二十代から三十代前半は、
「お気楽モード」
 になっていた。
 そうでもしないと、
「明日は我が身」
 で、人に対してリストラ勧告してうることで、いつ自分の身に降りかかってくるか分からないとビクビクしながら、仕事をしていた。
 基本的に、営業に回されたり、支店に転勤させられるのも嫌だった。
 営業にしても、支店にしても、見ている限り、社員一人一人を大切に考えているという雰囲気はない。あくまでも、社員を、道具としてしか見ていないのだ。
 だから、回されたら最後、どんな営業先を押し付けられるか分かったものではない。会社の中でも鬼門と呼ばれるようなところを、新入社員に押し付けて、成績が出なければ、容赦なく社員をクビにするようなところが営業にはあった。
 もし、管理部あたりから、
「そんな大変な先を、新人にやらせるなんて、どういうことだ?」
 と言われたとしても、
「営業には営業のやり方があるんだ。部外者は黙っていてもらおう」
 ということになるだろう。
 もちろん、令和の今であれば、
「パワハラ」
 などと言われ、コンプライアンス違反に引っかかることだろうが、まだ平成に入ったくらいの頃はそんな言葉もなかった頃だ。
 管理部長の方も、営業と謂われなき闘争を繰り広げることはしたくないので、敢えて何も言おうとしないのかも知れない。
 営業もそのことを分かっているので、やりたい放題だったことだろう。
 いつの時代もわりに合わないのは、新人社員だということである。
 だが、管理部にいる以上は、それほどのことはない。いつどうなるか分からないからと言って、ずっとビクビクしているのも大変である。
 どうせなら、気楽に過ごせるのであれば、それに越したことはないだろう。
 そう思って、会社では、気楽に過ごすようにしていた。
 それでも、ストレスはたまるもので、そのストレス解消に、また小説を書いてみようと思ったとしても、それは無理もないことだ。
 そして、もう一つ考えたのは、
「人生、いつどうなるか分からない。不敗神話のあった、銀行が倒産する時代だ。それなら、別に会社に忠義を示す必要なんかない。金をもらうのは、仕事の代価であって、必死に会社のためを思って仕事をしても、適当にやったとしても、どうせ、上司も自分のことしか考えていないのだから、結果しか見ていないんだ。どちらにしたって、結果はそんなに変わりがないのであれば、別に神経をすり減らしてまで仕事をする必要はない」
 と思ったのだ。
 さらに、
「どうせ、仕事のせいで神経を病んでしまったとしても、会社が保証なんかしてくれやしないんだ。俺一人が頑張ったって、会社が潰れる時は潰れるんだ。そもそも、俺一人の努力だけで、どっちにでも転ぶ要素のある会社だったら、最初から潰れたようなものではないか」
 と思っていた。
作品名:孤独の中の幸せとは 作家名:森本晃次