孤独の中の幸せとは
と考えるようになって、考えが変わっていった。
その頃は、受験戦争と呼ばれる前の時代で、自分から十歳以上若い連中は、中学受験なども盛んになっていき、
「教育ママ」
などという言葉が流行った頃があった。
その頃は、まだ大学への進学率は低かったのかも知れないが、進学校というのは存在していて、高校一年の時の先生が、大学時代の勉強の話をしてくれたので、そのおかげで、茂三は大学に対して徐々に興味を示し始めた。
「法律の勉強がしてみたいな」
と漠然と考えていた。
別に、弁護士や裁判官になりたいという思いがあったわけではない。勉強するなら、法律の勉強がしたいと思っただけだった。
少し、文学部に進んでみたいとも思ったが、小説の書き方を中心に教えてくれるところはなかなかないということだった。
「小説の書き方は、習うよりも、実践ですよ。皆一通り同じことしか言わないので、実際に深いところを教えてくれるわけではないからですね」
と、いうのが先生の話だった。
「それなら、サークルに入って、活動する方がいいかも知れないですね」
というと、
「文芸サークルも大学によっては、豊富にあるだろうから、そちらの方がいいかも知れないね」
と言われ、とにかく大学受験に邁進する高校時代になっていた。
現役で入学できたのは、自分の努力よりも、運がよかったのかも知れないと思うほど、まさか、現役で入学できるとは思わなかった。だからと言って、高校入学の時ほど、自惚れるようなことはなかった。
入学してから、すぐに文芸サークルを探した。そこは、機関誌を発刊することが主な活動内容で、それが、自分の趣旨にマッチしたことで、入部は即決だった。
入学して、数日での入部だったので、その年、五人が新入生として入部したのだが、一番最初に入部したことで、部の中で、発言力が強かった気がした。
ただ、自分の小説がそれほどいい作品だという意識を持っていなかったので、少し違和感があった。
それでも、大学に入ると本を読んだりしても、しっかりとセリフ以外も見れるようになり、そのおかげで、小説を書くことに苦労を感じなくなった。
読んだ本を何度も読み返すこともあり、おかげで、小説が自分なりのオリジナルで書けるようになったのは、そのおかげではないかと思うようになったのだ。
小説を書いていて、やはり頭の中に描く内容としては、戦前戦後の探偵小説が基本になっていた。
ただ、時代背景としては、戦後の探偵小説から比べれば、少し変わってきていた。
本格探偵小説も、変格探偵小説も、その境目がなくなってきたのか、その中間に位置する感覚なのか、社会派小説が生まれてきた。
また、それまでの探偵小説に、SFやホラーなどと結びついて、新しいジャンルになってきていたのだ。
ホラーというよりも、オカルトのような、そう、
「奇妙な味」
と呼ばれる小説で、その言葉を日本で初めて提起したのが、江戸川乱歩だという。
「奇妙な味」
というジャンルは、あまり浸透していないかも知れないが、
「世にも奇妙な……」
という物語で、昭和の終わり頃からオムニバス形式でドラマ化されているものが多く、話としては、短編や、ショートショートの話が多い。
文字数が少なければ少ないほど、文章作法が難しいといわれているが、確かにそうである。だが、実際には小説を書いていて、文字の体裁などをいちいち気にしていることはない。どちらかというと、思ったことをそのまま書いてしまう方なのが大きく影響しているのだろう。
「余計なことを考えると、文章が続かない」
という意識があった。
書いているうちに、先々を考えることで、文章が繋がっていく。この感覚が小説を書くということだと思っているのだ。
実際に後から読み直してみると、ちゃんと文章が繋がっていたりする。書いている時は、文章が支離滅裂ではないかと思っているのにである。
茂三には、自分が、
「文章作法の師匠だ」
と思っている人がいた。
その人の作品が、「奇妙な味」と呼ばれる作品を書いている人で、その作品のほとんどが、文庫本で三十ページくらいの短編で、それが十作品ほどおさめられて、一冊の文庫本となって販売されている。
しかも、複数の出版社から、それぞれ違う作品集が発表されているので、本にすれば、五十冊以上になる。一冊十作品だと考えると、その人の発表された作品だけで、ゆうに、五百作品は超えるということになるだろう。
発表されていない作品も含めると、生涯作品がどれくらいなのか、興味深いところであった。
「一体、一日にどれくらいの時間を執筆に使っているのだろう?」
ということに興味があり、
「頭の中の構造を見てみたい」
と、思わず声に出して言ってしまいそうになっていた。
その人の作品は、あたかも、
「大人の作品」
であり、少し卑猥な表現も含まれているのだが、
「この人の作品では、それほど嫌らしいという雰囲気はない」
と思わせ、そこに大人の文章を思わせるだけの力量を感じるのだった。
「俺もこんな文章が書けるようになれればいいのに」
と思いながら、奇妙な味のような作品を作りたかった。
途中は曖昧で、話が前後になったりしながらも、最後の数行で、それまで謎だと思っていたことが解明されることで、大どんでん返しを見せられるという、そんな作品を感じたかった。
短編を書いているのは、
「中編以上の長い話が書けないからだ」
と思っていた。
起承転結というものがうまく描けず、文章や舞台のバランスもとれていないことで、
「小説をうまく締めくくれない理由がよく分からない」
と思っていたが、その理由が、
「プロットを書けないことだ」
ということだと、思ってもみなかった。
プロットというのは、小説の設計図のようなもので、企画書と言ってもいいものなのかも知れない。ただ、企画書としてのものは、プロになれば、プロットよりも前に用意しなければならないものとなるだろう。
ジャンルであったり、書き方の目線が、一人超なのか、三人称なのかであったり、登場人物の設定や、起承転結の流れなど、普通であれば、最初に決めておかないといけない部分だといえるだろう。
ただ、これは、プロとして、出版社から作品の執筆を請け負った時に、出版社に対して最初に示すものが企画ということになる。
これが、出版会議で認められれば、やっと、そこからプロットを作ることができる。企画書から、この度は設計書に落とし込むもので、設計書ができれば、その通りに書いていけばいいのだろうが、プロットの書き方は、作家によって、それぞれ違っている。
ある程度の骨格程度に書いている人もいれば、起承転結ごとに書いて。それを章単位に落とし、さらに、場面単位に落とすことで、より具体的な設計書にしてしまう人もいるだろう。
ただ、そこまで落とし込むと、実際に文章にした場合に、流れに乗れないことも往々にしてあるのではないか。
それを思うと、最初からがっつりと設計書を作っておかない方が、執筆がしやすいということもあるのではないかと思うようにもなった。