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夢を見る意義~一期一会と孤独~

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 というのは、数学的にはありえないことであり、計算してはいけないことだとされている。
 なぜなら、
「除算というのは、積算の逆の計算方法だ」
 と考えるなら、積算において、元の数字が何であれ、ゼロを掛けると、ゼロにしかならない。
 つまり、ゼロからゼロを割ると、答えは一にしかならないと言えるはずなのに、無限に存在する数字すべてが、その解になるからだ。
「解なし」
 として理論づけるのか、それとも、計算不能として、特殊ルールを設けるのかということで、数学的には、ありえない、
 つまり、計算してはいけないタブーとされているのだった。
 これが一種のパラドックスであるとするならば、未来が今になった時、最初に考えられていた無限の可能性の中の一つを選んだことになる。
 実はこの問題が、ロボット工学における、
「フレーム問題」
 と深くかかわっていくのであるが、フレーム問題における無限の可能性、つまりは、パラレルワールドと呼ばれるものと密接にかかわっていると言えるのではないだろうか。
 無限という発想には、いろいろと派生した考えがある。至るところにパラドックスは潜んでいるのであった。
 夢に見た箱庭を思い出していると、心理療法という意味で、療養という言葉から、療養所のイメージがある、
「サナトリウム」
 というのを思い浮かべていた。
 サナトリウムというのは、伝染病に罹った人を救うという意味であったり、他の人に移さないようにするための、隔離施設という意味合いもあった。
 特に、戦前の結核のような不治の病とされていたものに対してのものが、その代表例だったと言えるのではないだろうか。
 何といっても、結核というのは、結核菌という菌がもたらす伝染病で、流行ってしまうと、人がバタバタと死んでいくという恐ろしいものであった。
 実際に隔離しての治療を余儀なくされるが、医療従事者も、その結核に罹らないとも限らない。決死の覚悟が必要なものである。
 戦後になって、特効薬である、
「ストレプトマイシン」
 などの薬が開発され、今では結核というのは、不治の病ではなくなったのである。
 しかも、結核の検査としての、
「ツベリクリン反応」
 によって、罹っているかどうかの検査も行われるようになり、義務教育ないでは、ツベリクリン検査は、義務化されていた時代もあった。
 今でこそ、数は激減しているが、まったくなくなってしまったわけではない。何とか共存する形になってはいるが、昔から結核というと不治の病の代表として君臨してきたものだった。
 そういう意味では、今の不治の病とされる。ガンであっても、いずれは医学の進歩で治らないとも限らない。さらには、最近では特に、未知のウイルスによる伝染病が頻繁に起こっていて、最近では、全世界的なパンデミックも経験していたのだ。
 まだ収まっているわけでもなく、まだどんどん増えてくる状態であるが、そのうちに、そのメカニズムも解明され、死傷率が下がってくることになるのが期待される。
 政治的にも医学的にも、パンデミックにより、医療崩壊を起こしてしまえば、それこそ、
「この世の地獄」
 になってしまうだろう。
 そんな伝染病も、昔のように、サナトリウムを各地に作って、隔離するというわけにもいかないだろう。
 実際に、結核病棟がどういうものだったのかということを知るわけではないが、坂崎は、結核病棟をコンセプトにした、いわゆる、
「コンセプトカフェ」
 を知っている。
 もう半世紀以上も昔のものを、現代によみがえらせるというのは、かつての伝染病による隔離や災いを忘れあいという意味での啓発になっていることだろう。
 今では、喫茶店と、ギャラリーを主にしているコンセプトカフェであるが、そこに結核病棟をテーマとして織り込むところは、店主の才覚だと言ってもいいだろう。
 サナトリウムというと、以前、テレビ番組の、オカルトをテーマにしたオムニバスドラマに出てきたのを思い出した。
 そのサナトリウムという施設は、昔の結核病棟をそのまま壊さずに、密かに手に入れた大学教授が、心理療法を用いての治療に当たっているところとして、利用している場所であった。
 しかし、実際には、実態実験なども公然と行われていたようだ。
 新薬の治験であったり、開発などを行う機関で、収容されている人がどういう人たちだったのか分からないが、ひょっとすると、不治の病に侵されていて、助かる見込みはないが、世の中の、特に医学の進歩に、死ぬ前に爪痕を残すという意味で、自ら志願して当たっている人たちであった。
 当然、治験に参加するのだから、特効薬が開発されれば、最優先で利用することを許可されている。ただし、彼らの行っていることは、最重要機密であったのだ。
 最高国家機密にも勝るとも劣らないほどの状態を、彼らは担っていた。だから、見た目には普通の患者であり、彼らがどこに入院しているのかということも、公表してはいけないことになっている。そんな状態の入院患者をサナトリウムの人たちはどう考えていたのだろう? テレビドラマは、その存在をドラマ化したのである。だから、逆にその存在への信憑性は薄れ、
「そんな恐ろしい施設が戦後も存在したなんてことはない」
 と、世間に思い込ませたのかも知れない。
 そんなサナトリウムを彷彿させるドラマを思い出していた。
 そのドラマでは、精神異常者というような人が、その治療のために利用されているということで、実際に人体実験ということは、療養所内でも、最高機密にかかわるようなことを知っている人は一部だった。
 実際に注射をさせたとしても、それは、看護婦としての仕事というだけで、その内容の調合には、一切関わらせることはなかった。
「ここでは、皆さんには、なるべく責任を負わせることはいたしません。ただし、その分、何をしているかということに対して、皆さんが興味を持ったり、詮索することは基本的には許しませんので、そのあたりは、お考えになったうえで、勤務をお願いいたします」
 ということで、誓約書も書かせた。
 この誓約書には、法的な根拠は十分にあり、それを守らないことは、
「公序良俗違反にも匹敵する」
 という内容であった。
 つまりは、
「公の福祉」
 が最重要だということであった。
 実際に、精神に異常をきたした人が、収容されている病棟も存在し、そこには、牢のように鉄格子が嵌められていた。
 そこで、一人の精神異常者が、独房の中で、一人壁に向かって手紙を書いていた。その手紙の相手は、好きな人へのラブレターのようであり、汚い字で書かれていた。
 それは、誰にも知られたくないという意思から、その人はわざと汚い字で書いていたのであって、実は、精神異常に見えていたが、知能指数はとても高く、誰にもそのことを看破されていないようであった。
 だが、実際にこの人をここに連れてきて、強硬にここに置くようにお願いした一人の医者がいたのだが、この患者に関しては他の医師からは、
「彼を置くのは反対だ」
 という意見が多かった。
 彼の頭の中は、百年前の発想が頭の中にあるようだった。