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夢を見る意義~一期一会と孤独~

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「これは面白くない」
 と思われてしまえば、それ以降、どんなに面白くなろうとも、その人に読まれることはないだろう。
 テレビドラマの連続ものであれば、第一週の内容で、面白くないと判断されると、それ以降は見ようとしないのと同じことである。
 起承転結が曖昧であったり、その小説のジャンルが最初から明確になっていなかったりするものは、なかなか読まれることは難しいだろう。
 実は、小説を書くというところで、一番皆が挫折するところとして、この感覚と酷似しているところがある。それが、
「書いていて、途中で挫折してしまう」
 ということであった。
 小説を書くということは、それだけ先に進むほど難しい。つまりは、最後にちゃんと言いたいことが言えているかということを示すもので、後半になればなるほど、どこで納めるかというのが難しい。
 話は飛躍するが、戦争と似たところがある。
「戦争で難しいのは、始める時ではなく、やめる時である」
 ということだ。
 もっとも、この理屈は小説や戦争だけに言えるものではなく、
「結婚というのは、婚姻するよりも、離婚の時の方が、数倍のエネルギーを必要とする」
 と言われているが、同じことではないだろうか。
 それとは少し違うかも知れないが、小説を書きあげるというのは、最後をいかに締めるかということであり、うまくいかなければ、どんどん狭くなっていくところをそれに気づかず、うまく収めることができなくなる。そこが一番難しいのだ。
 しかも、初心者は、そこまでにも至らない。最初の数行で挫折することが多い。
 それだけ、段階が進むにつれて、本来であれば、見えてくるはずの先がその狭さから見えなくなっていることに気づかないことが、一番の問題である
「小説家を目指すのであれば、途中に挫折を迎えそうになったとしても、そこであきらめることなく書き上げることが大切だ」
 と言われている、
 つまりは、何度も迎える途中の挫折を気にすることなく、いかに最後まで書き上げるかということであり、書き上げることで自信にもなるし、一度書き上げてしまえば、そこから先は、推敲することでいくらでも体裁は取り繕うことができるというものである、
 これは他の芸術にも言えることであるが、途中の挫折が一番の問題であるが、小説の場合はそれが顕著だということである。
 坂崎はそのことを分かっているからこそ、小説を書こうと思ったのだ。自分の才能などを考える前に、とりあえずは、何でもいいから書き上げるということに全神経を集中させた。
 出来上がった作品の良し悪しはあくまでも二の次である。一度書き上げてしまうと、書き上げることへのトラウマはなくなり、免疫もできてくるのだった。
 そして、一度書き上げると、そこから先は、やっと、
「自分がどのような小説を書きたいのか?」
 あるいは、
「小説を書くことで、どのような人生を歩みたいと思うのか?」
 というような、一見大それたことも考えるようになっていった。
 まだ、高校生であったが、その時に自分の人生の分岐点があったような気がした。
「子供から、大人になった瞬間なのかも知れないな」
 とも感じた時期であった。
 まだ若かったこともあって、
「小説家になりたい」
 という思いを抱いたのも事実であった。
 最後まで書き上げたことで自信につながりはしたが、それはあくまでも、素人として、
「これからも小説を書いていてもいい」
 というだけの、お墨付きをもらったというだけだということに、気づいていなかったのだ。
 小説を書いては、いろいろな出版社の新人賞コンクールに送ってはみたが、なかなか一次審査にも合格しない。後から読み直しても、自分の小説がそれほど、プロの小説家のものと見比べても、どこに遜色があるのかと思うほどだったにも関わらずである。
 ただ、それが分からないことが、その理由であると感じるだけの経験も実績もないのだから、
「若さゆえ」
 と言ってもいいのではないだろうか。
 もう一つ小説家になりたいと思ったのは、ちょうどその頃、法曹界に進みたいと思っていた時期もあったのだが、実際にテレビ番組などで、公正さを表に出すべきの弁護士というものが、その一番の仕事として、
「裁判に勝つ」
 ということであり、いくら依頼人が極悪人であっても、
「依頼人の利益を守る」
 ということが、最大の目的だということを知り、法に触れないことであれば、どんな卑怯なことでもするということを知ってしまったことで、一気に法曹界への魅力が萎えてしまったのだ。
 それだけ、坂崎には、
「勧善懲悪」
 というものが身についていたかということであろう。
「公平さのない法曹界など、こちらから願い下げだ」
 という静かな怒りが、坂崎の中に芽生えていたのだった。

                 小説を書くには

 小説を書くことが好きになると、高校時代から、密かに小説を書き続けていた。友達には恥ずかしいという思いから、
「俺は小説を書いている」
 などということは誰にも言わなかった、
 そんなことをいうと、
「見せてくれよ」
 と言われるに決まっている。
 間違いなくまわりの皆は小説を読むタイプの人たちではない、マンガは読んでもである……。
 正直、坂崎も自分が小説を書いていなければ、誰かから、
「俺の小説を読んでくれ」
 などと言われると困るだろう。
 いや、今の自分であっても嫌だ。むしろ今の自分の方が嫌に決まっている。
「どうして、他人の小説なんか読まなきゃいけないんだ?」
 と、思うだけではなく、その理由は、
「人のを読むと自分の小説がブレてしまう」
 と思うからだ。
 読んだ相手の小説が上手であれば、嫉妬してしまって、
「俺、このまま書き続けてもいいんだろうか?」
 と、書き上げられるようになった時にせっかく感じたことが、嫉妬してしまうと、無になってしまう気がするのだ。
「せっかく、少しずつ地味だけど、ゆっくりと這い上がっていっていると思っているのに、人の小説に嫉妬することで、たまらない気持ちになると、書き続けることができなくなる気がする」
 と思うのだ。
「書き続けるには、それなりに気力がいる。そこに邪推が入ってしまうと、先が続かなくなるのも無理もないことで、書き上げたことがない時よりも、挫折を味わってしまうだろう、
 一度乗り越えたところから、逆行するのだ。
「もう二度と、戻ってくることはない」
 と思っていた場所に戻ってくる。
「何かを目指すということは、自分の中でのある程度まである有頂天に至るまでは、決して後ずさりすることはない」
 と思っていた。
 それは人間の肉体的な成長と同じで、二十歳過ぎまでは、絶えず上を見ていて、下がることはない。
 もちろん、三十代になってくると、ところどころで老化が始まってくることで、少しずつ下り坂なのは分かっているが、そこまでは、横ばいのようなことはあるかも知れないが、下がることはないだろう。
 だが、精神的なことは分からない。それは分かっていたつもりだった。だから、
「挫折もあるかも知れない」
 と思ったが、そんな中であっても、自分から堕ちていくのであれば、それは仕方のないことだが、