夢を見る意義~一期一会と孤独~
最初からそちらをやってみようと思ったとすれば、絵画や音楽よりも、さらにハードルが高いと思われるそのことに対して、最初から、
「リングにも上がろうとしない」
と思うに違いなかったのだ。
そんな絵画に対して、
「できる、できない」
という感覚は別にして、一つ気になることがあった。
「耽美主義」
と言われるものであり、本などミステリー小説などを読んでいると、たまに出てくる言葉であった。
「何と読むのだろうか?」
と、最初はそこから入ったのだが、どうやら、
「たんび主義」
と読むのだという。
その意味としては、
「徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮である」
と、言葉で書くとかなり難しいことであるが、要するに、
「とにかく、美というものが何者に対しても優先され、そこには、倫理・道徳をも優先されるものだ」
という意味でもあった。
つまりは耽美主義の探偵小説などでは、殺人において、その芸術性を求めることで、犯罪を隠そうという思いや、アリバイ工作などを行って、自分の犯行をごまかそうとするよりも、むしろ、この犯罪は自分がやったということを自慢げにひけらかしているかのような状態を、耽美主義殺人というのであった。
死体をお花畑の中に置いたり、まるでフラワーアレンジメントのように幻術的に見せたりするのは、その代表例だと言えよう。
しかし、犯行を耽美主義による変態殺人であるかのように見せかけて、実はその犯行自体に、何かトリックが含まれているというものも、結構あったりするのだった。
だから、実際の耽美主義というのは、探偵小説の中でも、本格探偵小説に対比する、
変格探偵小説と呼ばれるものの代表とでもいえるであろうか。
日本では主に、戦前から戦後にかけての、動乱に時代にそのような話が多く、出だしの頃が一番のピークだったと言えるのではないかと思えるのだった。
ただ、耽美主義は、その性質上、探偵小説に限らず、ホラー、オカルトなどもあり、いや、ホラー、オカルトなどは、最初から耽美主義の思想を受け継いでいるかのように思えるくらいだった。
実際に小説の中でも、谷崎純一王や三島由紀夫などという、純文学に属するような人たちの中にも、耽美主義作家だと目されている人もいるくらいであった。
日本文学においてのオアイオニアといえば、泉鏡花や、北原白秋。永井荷風などが有名どころではないだろうか。
元々は絵画においては、イギリス、フランスなどで、十九世紀の後半に起こったものだという。
小説における耽美主義というのを意識し始めると、絵画というものに、興味が徐々に薄れていった。
小説のように、文章でしか表現できないのに、美を追い求めるという貪欲さを感じさせるところに、
「解がよりも、小説」
と思わせるものがあった。
自分が小説に対して、それまであまり意識していたわけではなかった。
芸術というものに興味を持ち始め、芸術というものを考えた時、
「絵画であったり、音楽というのは、すぐに発想できたのだが、なかなか文芸の世界というのは、すぐには思う浮かばなかった。その理由としては、文章だけで表現するというところであり、しかも、音楽のように、楽器という武器があるわけではないというところから、すぐにはピンとこなかった」
と感じていた。
しかし実際には、
「文章を書くということが、想像以上に難しく、自分には向いていないということが分かっていたからだ」
という意識を持っていたからだったが、最初から小説などの文学を芸術と話していたわけではない。実際に書いてみようと思ったことも一瞬あったのだが、本当に一瞬だった。
なぜなら、原稿用紙を前にして何かを書こうと思うと、一時間くらい睨めっこをしていたにも関わらず、まったく何も書けなかったのだ。
それが挫折であり、
「考えたのが一瞬だった」
ということへの回答であった。
そう、絵画、音楽に続くもう一つの芸術は、文芸なのであった。
文芸と聞くと、なかなか芸術としての、絵画や工芸、音楽などとは別のものだという感覚になってしまいかねないだろう。しかし、文芸も立派な芸術であり、いくつかの種類もあった、それぞれに歴史があり、いかにも芸術として君臨していると言ってもいいのではないだろうか。
文芸というと、小説に代表されるが、それ以外にもたくさんある。随筆などもそうであるし、文字数に制限のある、和歌や俳句、さらには、詩なども立派な文芸と言えるのだ。
俳句などは、文字数だけに制限があるわけではなく、季語が入っているという意味での制限などもあり、和歌などは、もっと古く、平安時代を頂点とした貴族文化の代表だったと言えるだろう。
小説や随筆というと、これも平安貴族から端を発した、源氏物語や、枕草子などの小説や随筆が数多く書かれ、百人一首や、宇治拾遺和歌集などに代表される和歌集の編纂も多く行われていた。
そういう意味で、平安文化、あるいは、貴族文化というのは、文芸が流行る土台のあった文化だと言えるのではないだろうか。
それには、日本古来の文字である、
「ひらがな」
の開発が大きな理由でもあるだろう。
文字にして残しやすくなったことで、それまで表現力に乏しかったことで、伸び悩んでいた文芸が、その億劫を晴らす科のように、花開いたと言ってもいいのではないだろうか?
そんな文学も時代に沿っていろいろと変わっていった。元禄文化や上方文化といった江戸時代などから、明治時代に入ると、文豪と呼ばれる人たちの作品が数多く発表され、いよいよ文学が表舞台に出てきたと言ってもいいだろう。
ただ、時代がそれを許さなかった時もあった。二十世紀半ばの戦争の時代には、文芸は迫害を受け、いろいろな理由をつけては、当局から絶版などの処分を受け、小説を発表できなくなった。
探偵小説かの中には、時代小説を書くことで、何とか食いつないできた人もいるくらいであったが、戦後は混乱期においても、それまでと違って検閲に引っかかることもほとんどなくなってきて、さらに、それまでの大日本帝国とは違い、憲法によって、
「表現の自由」や「出版の自由」が憲法にて認められたことで、晴れて、日の目を見る小説家も多かった。
小説を書くというのは、一般の人にはハードルの高いものだった。
小学生の作文でもなければ、ライターと呼ばれる、雑誌や新聞の記者の書くものでもない。
小説と呼ばれるものは、相手に文字を持って、その状況や事実を伝えるだけではなく、感情や想像力も感じさせるものでなければいけないであろう。
小説と作文の違いとして、広義の意味でいえば、
「作文が自分自身の経験を書くことをいえば、小説というのは、創作である」
と言えるのではないだろうか。
しかも、小説というのは、人に感じさせるものがなければいけないとも言える。それが、創作における想像力であったり、感情移入であったりするのではないだろうか。
小説を書くのはそれらの抽象的なものを、文字だけで読者に伝えるというところが難しいのである。
そのためには、いかに文章を組み立てるか、興味を持たせるようにするかというのが難しい。最初の数行で、
作品名:夢を見る意義~一期一会と孤独~ 作家名:森本晃次