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夢を見る意義~一期一会と孤独~

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 ただ、時代がその時だったというだけで、いずれが絶対に流行る音楽だったに違いないだろう。そういう意味で、最近流行りとなっていたらだろう? もっと長く流行りは続いたであろうか? 流行りが終わってしばらくすると、そんな音楽が流行った時期があるなどということを知らない人も、たくさんいたに違いない。
 それだけ、プログレという音楽は奇抜であった。
「流行るには時代が早すぎたのかも知れない」
 と感じている人は多いかも知れないが、果たしてそうなのか、坂崎は疑問に感じていたのだ。
 プログレという音楽を知ったのは、高校生の時だった。軽音楽部の連中から、
「俺たちとは音楽性はまったく違うんだけど、昔、プログレっていうのが流行ったんだよ。俺は結構好きなんだけどね。音楽をあまり知らない連中にはピンとこないかも知れないけど、音楽を志す人間にとって、プログレやヘビメタは避けて通ることのできないジャンルになるんだ。どっちも好きだという人は少ないかも知れないけど、どっちかの影響をほとんどの人は受けていて、俺の場合はプログレに嵌ったかな? 元々、クラシックから音楽に入ったんだからね」
 と言っていた。
「そうなんだ」
 というと、
「うん、プログレも、ヘビメタも、音楽の系譜から行くと、同じところからの枝分かれだったりするので、まったく違うように見えるけど、実際には、派生は同じところからであって、考え方がちょっと違っただけで、別の音楽ができたということなんだろうな」
 と言っていた。
 後からヘビメタもプログレも聞いてみたが、自分には、プログレが合っているような気がした。
 ヘビメタは、どちらかというと、個人の技術が優先され、プログレの場合は、全体的なバランスがクラシックであったり、ジャズを奏でるという感じであった。
 もちろん、一概には言えないのであって、その証拠にプログレの中には、
「世界有数のピアニスト」
 であったり、
「世界最高のギタリスト」
 と言われているアーチストもたくさんいる。
 それだけ、音楽性に特化したものがプログレだと言えるのではないだろうか。クラシックが基調になっているものは、一曲が結構長かったりする。昔のLPレコードの片面すべてが一曲などというのは珍しくはない。その分、その一曲が、組曲化されていたりするのも多かった。
 インストロメンタルも多く、それだけ音楽性に富んでいると言えるのではないだろうか。坂崎は自分が音楽をやるわけではないので、ヘビメタには嵌らず、プログレの方に嵌ったのだ。
 プログレを聞きながら本を読むなどということも結構あったりした。
 ホラーやミステリーを読む時にプログレを聞くというのが日課になっていて、特にプログレは、冬に聴くものだと思っている。もちろん、個人的な感覚であるが、雪が深々と降っている中で聴くプログレというのは、実に味のあるものだと言えるのではないだろうか?
 それを思うと、音楽に芸術性を感じないわけにはいかない。ある意味、
「一番芸術性を感じさせてくれるのが、音楽だ」
 と言えるのではないだろうか。
 特に、
「万国共通の言語」
 という意味での音楽は、素晴らしいものがあった。
「聴いているだけで、いろいろなことを想像させてくれる」
 というのが、音楽の醍醐味であり、プログレを例として、
「いろいろ音楽も派生していくものだ」
 と考えると、音楽の歴史などを勉強するのも楽しいと思い、高校時代には、
「音楽の歴史」
 なる本を結構読んだ記憶がある。
 楽器ができなくても、音楽を聴いていて、いろいろと頭の中で妄想もできる。本を読みながらなど、いろいろ思いを馳せていると、次第に、何かを聴かないと本を読めなくなっていそうで、自分でもその感覚を面白いと思っていた。
 音楽というものをいかに自分で把握できるようになるかということが、
「芸術というものをいかに理解するか?」
 ということに繋がってくるように思えてくるのだった。
 まずは、音楽というものの芸術性を考えてみたが、芸術には他にもいろいろあるではないか。坂崎は、他のものにも思いを馳せていた。

                芸術と小説家

 そして、もう一つは、絵画の世界だった。
 博物館や美術館、アトリエやギャラリーなどという言葉を聞いただけで、そのすべてに芸術性を感じる。しかも、歴史的に見ても絵画は、芸術の代表のようではないか。何といっても、絵画というものが、一番感性と深くかかわっているのではないかと、坂崎は考えている。
 ただ、悲しいことに、坂崎にはその感性が自分にはないのではないかと思っている。
 ここでいう、
「何を持って芸術か?」
 という命題を考えた時、
「自分の感性にピタリと嵌るものだ」
 と考えていたが、絵画というものの感性というものを考えた時、
「美」
 というものではないか?
 と考えるのであった。
 美というものがどういうものであるかを考えると、まず、美術館や博物館で、西洋ルネッサンスなどの絵画であったり、印象派などと言われる芸術を見ていても、そこに感性らしきものを感じることはできなかった。だから、自分で絵を描いてみようと思っても、まったくうまく描くことができない。
 確かに世の中には自分よりもへたくそな人はたくさんいると思うが、上を見ると、どうしようもなくたくさんいる。下を見ても上を見ても、その先が見えないのであるから、自分が絵画というものに対して、
「平凡である」
 ということだけは分かった。
 つまり、平凡というのは、一番芸術家になりにくいのではないかと思う。
 なぜなら、感性というのは、
「逆も真なり」
 ではないかと思うからだった。
 普通の感性では理解できない。ピカソのような絵でも、感性豊かな人が見れば、ちゃんとその感性について説明できるだけの説得力だったりする。
 しかし、感性のない人間にそれを話しても、理屈が分からないのであれば、理解できるものではないだろう。
 感性というものをどのように捉えるかは人それぞれであり、
「人のことはよく分かるのに、自分のこととなるとまったく分からない」
 という人もいるが、それと似ているのではないだろうか。
 ファッションセンスにしても同じである。
「自分の服を選ぶのは苦手だが、人のコーディネイトに関しては、一定の評価ができる」
 という人もいたりする。
 きっと、
「人の姿は、何も介さずとも見ることができるが、自分の顔や姿は、鏡を見なければ、バランスまでは分からない」
 というのと同じ理屈ではないか。
 自分を美しく見せたいと思うナルシストなどは、時間があれば、自分の顔を鏡で見ていたりするというではないか、まさにそれと同じように思えるのだった。
 ファッションセンスだけではなく、美意識に対しても同じだ。
 一度、
「自分には、センスがないんだ」
 と思ってしまうと、芸術的なことに馴染もうとするのは、結構難しいことではないだろうか?
 ファッションというものだけではなく、自分が何かを描こうとする時、自分の中で納得している美意識と、
「まず最初に、どこに筆を落とせばいいのか?」
 という発想からが、まずしっくりこないのだ。