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夢を見る意義~一期一会と孤独~

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どんなに理不尽なことでも、一度受けた依頼人に対して、法に触れない程度に依頼人を保護するというのは往々にしてある。弁護士によっては、法に抵触しそうなことでも平気でやってしまう人がいて、それが本当に、
「正義」
 だと言えるのかということを、非常に強い印象で考えさせられる。
 そういう意味で、今回の天秤の発想というのは、正義の女神という理想を、本当に今の法曹界は求めているのかということに、大いなる疑問を呈することになると、夢に見てしまうだけの激しい理不尽に襲われてしまうのではないだろうか。
 こういう発想が、夢を見ていて、目が覚めても覚えているというほどの印象深さに繋がってくるのではないかと感じるのであった。
 まだ、女神という意味で、身体や心が弱っている時に想像するものとして、看護婦であったり、昔でいう慰安婦のような発想が頭に浮かんできた。
 慰安婦というか、ハッキリというと、風俗のおねえさんという発想であった。
 看護婦の場合は、そのものズバリ、身体が傷ついたり弱ったりしている時の癒しの存在としてまず最初に浮かんでくるものである。
 そして、風俗のおねえさんは、心の傷を癒してくれる存在として意識してしまうのは、男としては、当然のことではないだろうか。
 そういう意味で、コスプレや、エッチな妄想の中に、ナース服が含まれているというのも無理もないことだろう。
 コスプレを好む男性の中には、ナース服だけではなく、セーラーに代表されr学生服、さらには婦警さんのポリスの恰好などがよく言われるコスプレなのではないかと考えているが、そのほとんどは、コンプレックスから生まれているものも多いような気がする。
 ナース服は、精神的、肉体的に弱っている時、優しく接してはくれるが、
「決して触れてはいけない相手」
 として目の前にいる。
 さらに、
「決して触れてはいけない」
 という同じ感情であるがきっかけが違っているのが、他のコスプレであり、
 学生服などは、
「未成年の女の子に手を出すことができない。手を出してしまうと、淫行になってしまい、犯罪者になってしまう」
 という感情であったり、
 婦警さんなどは、相手が国家権力に守られていて、しかも、護身術も身に着けているということで、男としては、絶対に手を出してはいけない相手という意識がある。
 だから、せめてコスプレで、欲求不満を解消させようということで、コスプレの風俗も存在するのであろう。
 そういう意味では、コンセプトカフェも同じようなものだ。
 普段から、普通に女の子と接することができないと思っている、いわゆるヲタク。たとえば、
「マンガなどに出てくる、二次元の女の子しか好きになればい」
 というような草食系男子であったり、アイドルのように、決して手を出すことのできない相手、逆にいえば、自分だけでなく、他の男も同じ立場でいることで、平等な立場を感じている人など、見た目には消極的な連中を相手にしている商売である。
 ヲタクをすべて否定しようという気にはならないが、
「俺は、他の連中とは違う」
 と思っている人は多いだろう。
 しかし、そのことを感じた時点で、さらにまわりの人からは、
「あいつはヲタクだ」
 というレッテルを貼られてしまうことだろう。
 ヲタクというのは、それも分かっているに違いない。ただ、最近、コンセプトカフェによく行ったりする坂崎だったが。中には想像しているようなヲタクとは違う人もいたりする。
 彼らの中には、
「芸術を純粋に好きだ」
 という人もいたりして、そういう連中とであれば、ずっと話をしていても、話題に尽きないものである。
 彼らには芸術を愛するだけの、他の人にはない感性があり、それを認める人もいたりする。
「そんな連中だってヲタクはヲタクだ」
 という人もいるかも知れないが、それでもかまわないと思うのだった。
 芸術というのは、いろいろある。坂崎の中で芸術というと、三つくらいに大きく分かれるのではないかと思うのだった。
 まずは、音楽である。
 楽器などを使って、一つ、あるいはそれ以上のものを表現しようというのは、太古からもあるものだ。
 人と人の気持ちを伝えるものは、何も言葉だけではない。音楽だって気持ちを伝える手段として昔から伝えられてきた。
 そもそも言葉には、国境というものがあるではないか。
 その話は聖書の中に出てくる、
「バベルの塔」
 の話に代表されるものである。
 そもそも、人間は誰もが共通に分かる言葉を話していたという。古代バビロニアにおいて、国王であるニムロド王が、実現不可能と呼ばれるような点にも届く塔を建設しようとして、壊れてしまった。それを、
「自分に近づこうとする傲慢な人間に怒りを表して、それを壊した」
 という説が有力である。
 しかも、塔がある程度完成したところで、王は、天に向かって弓矢を射ったという。それが神を怒らせたという説がある。
「天に唾する」
 という言葉にあるように、
「人に害を与えようとした場合、結果的に自分に返ってきてひどい目に遭う」
 という今では、SNSなどにおいて、
「ブーメラン」
 などという言葉で表せられるものであった。
 神はそんな愚かな人間を見て、怒りを感じ、
「人間を、永遠に彷徨わせる」
 という意味で、言葉が通じなくして、誰もがそのことで疑心暗鬼になり、そのまま世界各国に散ってしまったということが、
「地域によって、言語が違う」
 ということの証明であるかのように言われているのだ。
 なるほど、確かにその謂れはもっともらしいものである。
 この話は、
「ノアの箱舟」
 の後に書かれた話であり、人類を浄化したにも関わらず、相変わらずなことをやっている人間に、またしても神が怒りを示したというものである。
 ニムロド王というのは、ノアの孫だとされているところからも、時代的には近いということは象徴的なのかも知れない。
 そんな時代から、人間は、言語が統一されていなかった。
 現代でもよく言われることとして、
「音楽に国境はない」
 ということであるが、これは、音楽であれば、言葉がなくとも、相手の気持ちが分かるということを言っているのではないだろうか。
 確かに、その地方に根差した音楽というものは存在する。それだけジャンルも豊富にあるからだ。中には、レゲエやサンバ、演歌などのように、世間一般的に全世界では知られるようになったのは、歴史上では最近というものも少なくはないだろう。
 それでも、ロック、クラシック、ジャズなどのように、全世界で共通の音楽として知られているものもある。
 今から五十年ほど前に流行った音楽で、
「プログレッシブロック(通称:プログレ)」
 というものがあるが、その音楽の基本は、
「ロックを基調にして、ジャズやクラシックの性質を加味した音楽」
 と言われている。
 当時としては、前衛音楽とも言われていて、まだまだ音楽黎明期だった時代に、革命的な音楽だったと言ってもいいだろう。
 実際の流行った時期は十年もなかったが、間違いなく全世界を駆け抜けるように大ヒットしたジャンルであった。