小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

相対の羅列

INDEX|9ページ/25ページ|

次のページ前のページ
 

 しかし、戦後、敗戦したことにおいて、戦勝国である連合国によって占領された時の教育により、今の日本人が教えられたことが、本当にすべて正しいのかというと、理不尽な教育があったのも事実であった。
 そもそも、日本と、米英蘭、そして中国との戦争を、
「太平洋戦争」
 というが、これもおかしなことである。
 元々、米英蘭に宣戦布告した理由として、詔に掛かれていることは、
「欧米の侵略から、東アジアを守り、そのために、大東亜共栄圏を作ることで、東アジアの植民地を開放する」
 というのが、戦争のスルーガンであり、
「今回の戦争は、さきの中国とのシナ事変を含めて、大東亜戦争と命名する」
 と、閣議決定されたのだから、本当は、
「太平洋戦争」
 ではなく、
「大東亜戦争」
 というのが正しいのである。
 だが、それを認めてしまうと、戦勝国である連合国が、
「アジアを侵略した」
 ということになり、容認できるものではない。
 したがって、戦争の名称は、
「大東亜戦争」
 が正しいのであって、それは日本が占領軍から解放され、独立が成った瞬間から、名称を大東亜戦争と呼称すればよかったのだが、そのまま太平洋戦争という名称で呼ばれるというのは、本当に正しいことなのだろうか?
 そこに政治的な思惑が含まれているとすれば、大東亜戦争という言葉が、もう少し世間に浸透していてもいいはずなのに、されていないということに結びついているのかも知れない。
 この時の戦争は、時代背景も難しいところがあった。
 第一次世界大戦が終了して、二十年くらいしか経っていないにも関わらず、その間に世界ではいろいろなことがあった。
 列強による植民地支配の拡充。共産主義の台頭。さらに、帝国と呼ばれる国家の崩壊。世界恐慌に端を発した、経済の深刻な不安。それにより、
「持たざる国」
 による国家改革と称する、ファシズムの台頭など、第二次世界大戦が起こる土台が、着々と出来上がっていった時代だったのだ。
 そんな時代に日本としても、中国大陸との間でいろいろと問題を抱えていた。
 その中の一つが、
「満蒙問題」
 であった。
 満蒙問題というのは、日露戦争後に手に入れた、満州鉄道沿線における満鉄経営問題とその近辺の居留民の保護問題。さらにロシアがソ連となったことでの共産主義の台頭への脅威の問題などがあったことである。
 さらに、日本国内の問題として、一番大きかったのは、
「食料問題」
 だった。
 大正末期に起こった首都直下型の関東大震災復興がまだの時代、さらに追い打ちをかけるように、世界恐慌に巻き込まれての、経済不況、そこに持ってきての、東北地方の不作問題、さらに日本国民の人口が増えたことでの、食糧問題があり、日本国内だけでは、日本人を賄っていけなくなった。
 当時の農民は、娘を売らなければ、その日の食料も賄えないほどの食糧難だったと言われるほどであった。
 そこに持っていき、満蒙問題を考えると、満州支配が、日本の食糧問題とを一気に解決することができるものだと考えるようになった。
 当時の中華民国は、内乱に明け暮れていて、蒋介石を中心とする国民党軍と、張作霖を中心とする満州を拠点にして北伐軍が争っていたが、日本政府も、関東軍も張作霖を援助していた。
 しかし、密かに関東軍に逆らうようになった張作霖に見切りをつけた関東軍は、満州鉄道を爆破することで、張作霖の爆殺を図ったのだ。その後、満州では反日がさらに加速し、各地で、暗殺、略奪などと言った事件が、関東軍や、居留民に対して行われるようになり、さらに、満州鉄道の平行線に中国の線路が建設されるようになると、衝突は免れないものとなった。
 そこで、関東軍が画策し、満州鉄道の爆破を口実に、日本本土の数倍の面積を誇る満州全土を半年で制圧するという電光石火の作戦である満州事変が勃発したのであった。
 ここでは、日本政府は、外交的にも、政府方針として、不拡大を表明したが、満州全土を支配しないと問題の根本的な解決にはならないと分かっている関東軍がしたがうはずもない、結局陸軍に押されて、政府も、事後承認の形で拡大を承認し、関東軍は、特務機関という諜報部隊を使い、天津から、清国最後の皇帝であった溥儀を脱出させ、満州に送り込んだ。
 そして、彼に執政をやらせることで満州国を建国し、その翌年には、溥儀を満州帝国皇帝に担ぎ上げたのだ。
 しかし、この国家は、独立国家としての体裁を取っているが、あくまでも、関東軍の傀儡国家でしかない。最終的には関東軍の承認がなければ、皇帝であっても逆らうことができないというのが、満州国の実態であった。
 閣議で、国務総理がまったく発言することがないというのが、そのことを物語っていた。関東軍に逆らっては、いつ何時、暗殺されないとも限らない。
 満州国皇后が、男の子を生んだので、密かに殺されたのだが、それが皇帝の子ではないというのが理由であった。
 満州国は中国本土と変わりがないほど、アヘン中毒に侵されており、皇后もアヘン中毒だったという。関東軍はアヘン貿易で財政を賄っていたこともあって、そこに傀儡国家の運命があったと言っても過言ではない。
 日本政府、陸軍内部では、その後の作戦について、割れていた。
「中国本土を制圧する必要がある」
 という一派と、
「満州国の安定をまずは図ることで、ソ連の南下に備える」
 という一派とがあって、対立していた。
 さらに、陸軍内部での、統制派、皇道派と呼ばれる二つの派が、陸軍の主導権を争って暗殺やクーデターなどが頻繁に起こっていた。さらに、関東軍の日本政府を無視した暴走に歯止めがかからないなどの問題と、さらに、世界では軍縮問題が沸き起こり、それらの問題のため、日本は国際連盟の脱退を余儀なくされ、世界的に孤立してしまった。
 そこで考えられたのが、欧州での破竹の勢いを示していた、ドイツと結ぶということでの、ドイツ、イタリアというファシズム主義の国と結んだ、
「日独伊三国同盟」
 だった。
 これが、結果的に連合国を決定的に敵に回す結果となり、日本は、シナ事変を経て、大東亜戦争に突き進むことになるのだった。
 シナ事変というのも、現在では、
「日中戦争」
 という表現が用いられている。
 しかし、歴史的にこの表現は正しくない。
 元々、盧溝橋事件に端を発した中国との闘いには、いくつかの呼称があった。
「シナ事変」
「北支事変」
「日華事変」
 と呼ばれるものである。
 ただ、そのどれにも戦争という呼称はつけられていない。そこには大きな理由が存在していた。
「事変と戦争では、その質が違う」
 というのがその理由で、
「事変というのは、お互いに宣戦布告を行わず、お互いが戦闘あるいは、紛争状態に突入したことであり、戦争というと、形式にのっとって、宣戦布告を行ったうえでの戦争となったものをいう」
 という定義があった。
 つまり、このシナ事変においては、お互いに宣戦布告を行わずに勃発した紛争だということなのだ。
作品名:相対の羅列 作家名:森本晃次