相対の羅列
確かに盧溝橋事件では、中国軍と日本軍における突発的な衝突が招いたものであったが、実はこの事件に関しては、当時の両陣営において、和解協定が結ばれていて、紛争は一度終わっているのだ。だから、シナ事変の本来の始まりは、盧溝橋事件ではないという説もあるくらいだ。
お互いに休戦協定を結んでいるのに、挑発してきたのは中国軍だった。朗坊事件、公安門事件などという挑発に、とどめとなったのが、通州においての中国軍の日本人虐殺事件であった。それが日本人の感情を逆撫でし、
「中国憎し」
になったのだ。
さて、この事変がなぜ戦争にならなかったのかというのが、一つの問題であったが、それには訳がある。
中国側も日本側も決して相手に宣戦布告をしようとはしなかった。
そもそも、宣戦布告というのがどういうものであるかということを考えれば分かることなのであるが、宣戦布告をするということは、
「全世界に、この両国は戦争状態に入ったということを公表することであり、そうなると、第三国は、この二国に対して立場を明らかにしなければならない」
ということである。
つまり、どちらかの国に加勢をするか、あるいは、段三国として、中立を宣言するかということをである、両国ともに、支援をすることは許されない。もし行うとすれば、和平交渉を考えていなければできないことであった。
日本国としても、中国としても、アメリカや列強に中立に立たれてしまえば、物資が入ってこなくなる。それを恐れたのだ。
特に中国は、列強から物資を
「援蒋ルート」
というものを確保して、アメリカ、イギリスが物資を支援していた。
日本としても、元々物資の少ない国なので、列強からの輸入が途絶えることは死活問題であった。
つまり、両国とも列強からの援助や輸入が滞れば、たちどころに戦争どころではなくなってしまう。それを恐れて、宣戦布告をしなかったので、昭和十二年から、十六年までを、
「シナ事変」
と呼び、日本が米英蘭に宣戦を布告して、戦争状態に突入したことで、列強とは晴れて日本を敵とする連合国の仲間入りができたことで、宣戦布告をしても、同盟国からの物資の支援が滞ることはなかったのだ。
晴れて、宣戦布告をした中国だけではなく、他の欧米列強に対して戦争を挑むなどというまるで自殺行為に挑まなければならなかった日本は、ある意味、泥沼だったと言ってもいいだろう。
この宣戦布告から後、中国側が宣戦布告したことで、日本も同じように宣戦布告、それによって、両国は戦争状態に入ったと国際法でも認定されることになり、やっと、
「日中戦争」
と呼称を付けられるようになった。
そのため、この紛争は、前半を、
「シナ事変」
そして、後半を大東亜戦争の中にある、
「日中戦争」
という、事変と戦争が共存する形になったのだ。
それを今ではこの二つを合わせて、日中戦争と呼ばれているが、実際にはその呼称は間違いだということである。
開戦からの序盤でせっかく、起死回生の勢いを持つことができたのだが、そこで和平に持ち込むことができなかった。いや、戦勝ムードに駆られて、和平を結ぶ機会を逸してしまったのが、日本にとっての命取り、シナ事変における、トラウトマン和平工作失敗と並んで、日本は外交面で、破滅から逃れることができた場面を二度も逸したのであった。
それが、大日本帝国の悲劇だったと言ってもいいだろう。
合コンでの女
純也はある時、一人の女性と知り合った。それは、会社の同僚から誘われた合コンでのことであったが、実際には純也は乗り気ではなかった。
それだけに、
「自分は人数合わせに呼ばれただけだ」
と最初からそのつもりでいたが、同僚は一人ではしゃいでいた。
その日は四対四の合コンで、相手も一人、同じように人数合わせに呼ばれた女の子がいて、その子と最初は、同じように控えめにしていたが、女性の側の二番目に座っていた女の子が、純也のモーションを掛けてきた。
一番の上座は、あくまでも主催者が座る席で、男性側には、自分を誘った主催者が座っていた。
彼は明らかに、女性の二番手である女性に照準を合わせているようだったが、彼女は同僚に見向きもせず、積極的に純也に話しかけていた。
その様子はあからさまにも見えていて、その様子を同僚は面白くなさそうにしていたが、さすがに変わり身の早さで今まで乗り気ってきただけのことはある。脈がないとみると、他の女性にちょっかいを出しに行っていた。それが彼の短所であって長所でもある。見習いたいとは思わないが、その実力は認めないわけにはいかないだろう。
純也にモーションを掛けてきた彼女は、松本佐和子といい、目立ちたいというのはよく分かった。
しかし、不思議と他の女の子たちから、やっかみを受けるようなことはないように見えた。
女性の間でのことなのだから、男性には見えないところで、想像以上のじめじめしたものがあるのかも知れないが、少なくともその時には嫌味な雰囲気は一切なかった。それだけ彼女には、まわりから嫉妬を受けないというような素質のようなものがあるのかも知れないと思い、同僚同様に、
「何かの素質を秘めているのかも知れない」
と感じたのだ。
話をすると言っても、皆いるので、深い話ができるわけもない。昔ならともかく、個人情報にうるさい時代、深入りしたような話ができるわけではなかった。
せめて、趣味の話であったり、嗜好の話などがいいところで、別にかまわないのかも知れないが、この場で仕事や会社関係の話というのは、
「せっかくの酒がまずくなる」
というイメージを与えるだけで、
「水を差す」
とはまさにそのことなのだろうと思うのだった。
佐和子は自己紹介の時に、
「趣味で、絵を描いたりするのが好きです」
と言っていた。
純也は、
「自分には絵心がないので、絵を描くのが趣味だという彼女のような女性と知り合いになれると嬉しいのだがな」
と考えていた。
それでも、自分はただの人数合わせ、さいしょから出しゃばったことはまったく考えていなかったが、相手がモーションを掛けてきたのだから、相手をするのは、別にかまわないはずだ。そういう意味で、
「してやったり」
という感情が生まれてきて、本当にきてよかったと思った。
久しぶりにまわりからのやっかみの視線を浴びることがこんなにも心地よいとは思ってもいなかったのだ。
純也は、自分の立場をいつもわきまえているつもりだった。それだけに、まわりから、
「都合のいい人間」
として扱われたとしても、それはそれで嫌ではなかった。
むしろ、何でも楽観的に考える方なので、
「自分を必要としてくれているんだ」
と思うことで、それが自分の本懐であるかのように思うのだった。
目立ちたがりな人間であれば、そんな感情を持つことすら許せないはずなのに、まわりに役に立っているということで、目立とうとしても、結果、ピエロにしかならない自分が情けなくなるだけで、一人、道化師になっていることをまわりに知られたくないという思いが強かったのだと思った。
確かに。昔は目立ちたがりだった。