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相対の羅列

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 佐和子のことをどう考えればいいのか分からなくなってきた純也は、まだ夕方前だったのに、
「今日はありがとう。夕方から少し用事があるので、今日は失礼するよ」
 と言って、そそくさと帰っていった。
 分かってはいたことだが、取り残された佐和子は、引きつった顔を直そうともせず、その場に立ち尽くしていたのだった。
 その時佐和子は、どうするのかと思えば、ゆいかを呼び出していた。ゆいかに向かって、愚痴を聞いてもらおうというわけだ。二人の関係は基本、ゆいかが主で、佐和子が従であるが、それは、
「SMの関係として」
 というだけで、それ以外の時は、平等、あるいは、言葉が入ってくると、佐和子が主導権を握るのだった。
 もっとも、言いたいことを言い切った後は、そのまま主従関係を逆転させて、いつもの、
「ゆいかが主の関係」
 になるだけだった。
 佐和子はそれでよかった。むしろその方がすっきりする。身体と気持ちの関係は逆であってもかまわない。SMの関係の間は、
「委ねる」
 という気持ちになるだけだ、
 聞いてもらうというのも同じことで、佐和子は全面的にゆいかに頼っている。心身ともに考えると、頼るというのは、相手の力に対して、こちらがお願いするような形であるが、委ねるというのは、相手の力を信じて、自分が心地よい状態に陥るように、自分からまかせるようなイメージと言ってもいいかも知れない。
 そういう意味で、SMの関係であっても、愚痴を聞いてもらう時であっても、どちらも、
「委ねる」
 という気持ちに変わりはない。
「頼る」
 というのは、SMの関係においてであって、愚痴を聞いてもらう時は、
「任せる」
 という気持ちになっていると言ってもいい。
 佐和子がゆいかのそばから離れないのは、そんな
「委ねる」
 という気持ちを自分で納得しているからなのかも知れない。
 ゆいかも、佐和子に頼られるのが好きだった。
 ゆいかの方としては、委ねられているという感情はないようだ。
「あくまでも、頼られている」
 という感覚があるだけで、自分がSMで佐和子を独占してしまい、自分が満足するために、支配していると思っていることで、委ねられているという感覚はなかったのだ。
 だから、愚痴でも何でも聞いてあげようと思った。その時は、佐和子のやりたいようにさせておく。そうしておけば、佐和子は解放的になり、自分の支配もしやすいものだと感じていた。
 佐和子の愚痴は、本当に子供のようだった。
 それだけに、何を言いたいのかなど、別に気にしなくてもいい。ただ聞いているだけでいいのだ。
 しかも、そこにゆいかが感じる嫌味な感覚はない。もし、嫌味な感覚があったとすれば、ゆいかは、佐和子と、ここまで一緒にいることはないだろう。
 SMの関係と言っても、一方通行ではいけないと、ゆいかは思っている。一方通行になってしまうと、自分が相手のすべてを支配しているようで、そこまで考えると、自分が責任を負うことはできないと思うのだ。
 確かに、主従関係と言っても、一歩間違えれば、相手を傷つけたり、下手をすれば、殺してしまいかねない。それだけに相手をいかに分かっていて、自分が操りやすいようにする必要があるのかということが重要なのだ。
 そのことを分かっていないと、ただの、
「ごっこ」
 になってしまい、何かあっても、
「自業自得だ」
 と言われて、どうすることもできなくなるだろう。
 委ねるという感情と、頼るという感情、どこまでが自分をどのように納得させられるのか、ゆいかも佐和子も考えていた。そして、お互いに、それぞれを自分に納得させていた。それでも、二人の関係はうまくいっているのだから、
「相対的なことであっても、その結界を無意識にでも感じているならば、うまくいくものなのではないか?」
 と、それぞれで感じているようだった。
 その感情がいかなるものか、二人は、お互いに模索もしているのかも知れない。
 佐和子とゆいかは、それぞれに自分の運のなさを痛感しながらも、お互いに、いろいろ考えていた、
 特に佐和子の場合は、自分の中にトラウマのようなものを抱えていた。
「自分は人に対して、積極的になるのは、不安を何とか払拭したいからだ。だが、払拭しようとしても、なかなかうまくできるわけではない。しかも、不安が不安を募って、余計にろくなことがなくなってくる。そこにトラウマが生まれ、人に頼りたくなり、委ねるようになるのだ」
 という感情を持っていた。
 しかし、もしこのトラウマがなければどうなるだろう?
 最初に委ねる気持ちが生まれて、そして頼ってしまうのではないだろうか?
 この順番は、あまり大きな意味を最初持っていないと思っていたが、果たしてそうなのだろうか?
 この順番にこそ、意味があるのではないかと、佐和子は思っていた。
 そんな佐和子の考え方を、ゆいかがどこまで分かっているのかは分からない。
 だが、ゆいかにはゆいかの考えがあるようだった。
「相対的に見えること、その関係を羅列してみると、その間に距離があるようで、実は隣り合わせなのではないか?」
 と思っていた。
 その隣り合わせなのに、遠い距離に見せるのは、相対的だという理屈と、結界があるからではないだろうか。
 結界というのはマジックミラーのようなもので、こちらからは相手が見えるが、相手からは意識させるものではないというものだ。
 つまり、普通の人には、ただの鏡にしか見えないので、都合のいいことしか見えていないのかも知れない。しかし、運のないと思っている人たちには、結界から向こうが見えていて、その見えていることに対して、いかに考えなければいけないのか、そのことが分かっていないのだ。
 何をすべきなのかということを、ヒントとしてもらっていながら、なまじ、都合の悪いことまで見えているので、余計に何をしていいのか分からない。
 見えなければ、行動パターンは分かっているはずなのに、迷いが生じる、迷ってしまうと、ほぼ間違いなく、悪い方に選択してしまう。
 そんな性格の人間にしか、結界の向こうが見えないのだとすれば、最初から運が悪い人、運のない人というのは、
「その人の性格が作り出したものだ」
 と言ってもいいのではないだろうか。
 では、そんな自分たちがいかにその不運から逃れればいいのだろうか?
 理屈が分かったとしても、その解決になるわけではない、どうすればいいのかを、必死で考えているゆいかだったが、本当であれば、お互いに運のない人間が一緒にいること維持隊が間違っているのではないかと感じる。
「やはり、新しい血が必要なのだろうか?」
 と考える。
 自分たちの性格から悪い方に見えてしまうのだから、運のいい人を探すというのも一つの手であろう。
 とゆいかは考えるようになっていた。
 ゆいかは、mだ知らなかったが、佐和子には合コンで知り合った純也の存在が少しずつ大きくなってきていということを。
 佐和子は佐和子で、純也の存在というよりも、以前、合コンの後、一度純也と遭った時に話をした内容として、
「運が悪い。運がないというのは、百パーセントくらいのことなのかい?」
作品名:相対の羅列 作家名:森本晃次