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相対の羅列

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 もちろん、それは自分を主観的に見てのことなので、客観的に見ると違っているのかも知れないが、お互いに知り合った相手が同じことを考えているので、そう思い込んだとしても無理もないことだった。
 目立ちたがりで、まわりに対して強引なところがあるのに、好きになった相手に対しては従順である佐和子、そして、いつも誰かの陰に隠れて表に出ようとしないにも関わらず、好きな人に対しては自らが支配しなければ我慢できないというゆいか、それぞれに元々の自分の性格とは好きになった相手に対して違っていることに、気づいたのだった。
 さらに、ゆいかの方では、自分のことを、男のような性格なのではないかとさえ思うようになり、肉体的な性的欲求を持つようになっていた。
 佐和子の方には、最初、そのような嗜好はなかったのだが、生来のM性が手伝ってか、支配されることに、身体が反応し、ゆいかの言いなりになっていた。
 一人でいる時の佐和子は、そんな自分に嫌悪感を感じていた。それは、まるで、男の人が性的欲求を我慢できず、ついつい風俗に出かけてしまい。風俗の門を入った時と、そして終わって帰ってくる時の精神的な違いに似たところがある。
 もちろん、すっきりして満足して帰る人もいるだろうが、大多数の人は、憔悴感に浸りながら、背徳感というのか、罪悪感というのか、それらの複数の感情が入り混じって、帰ってくるのと同じであった。
 ゆいかも、佐和子もこのような関係になったのは、高校二年生の頃のことだった。
 お互いに男性を知っているわけではない。佐和子の方は、男性というものを気持ちの悪い存在だと思っていたし、ゆいかの方では、自分が男性では満足できないという感情を持っていた。それぞれに違いこそあれ、ずっと処女だったのだ。
 佐和子の場合は開放的な性格なので、男性が放ってはおかないはずなのだが、仲良くなってみると、あからさまに汚いものを見るような目で見られると、さすがにそんな佐和子を抱きたいという気持ちも萎えてくるというものだった。
 しかも、佐和子はゆいかとの間に関係ができると、一人になった時に感じる憔悴感は、男性と身体を重ねた時に感じる憔悴感とは違うと思っていた。どちらかというと、罪悪感よりも背徳感、自分だけのものではなく、
「まるで、神様に背いているようだ」
 という感覚があった。
 完全に不安というものがどういうものであるのかを知ってしまった感覚だった。
 それは、ゆいかの方が一人になった時、まったく彼女の中に背徳感も罪悪感もなかったからだ。
 しかし、憔悴感だけはあった。だからこそ、この憔悴感がどこから来るものか分からずに、悩むことになるのだが、佐和子にゆいかのそんな気持ちなど分かるはずもない。
 ゆいかも、そんなことは分かっていて、
「自分のこのような気持ちを分かってくれるような人がいるわけはないんだ」
 と感じていたのだった。
 佐和子の方に、神様の存在まで感じるというのは、無意識のうちに、ゆいかが感じるはずの罪悪感を、佐和子が吸い取ってしまっていたのだ。
 佐和子はそれが、
「ゆいかのためだ」
 と思っていたからなのだろうが、実際にはそうではなかった。
 ゆいかのためという感情があっても、余計なことをしてしまっていたのだ。それが、ゆいかの中で本当はなければいけない感情だったのに、相手を苦しめたくないという思いと、単純に、
「ゆいかのために」
 という思いが交錯したことで、余計なことになってしまうなど、これを悲劇と言わずして何というのだろうか。
 二人の間には、
「SMの関係」
 というものが、性的にも満たされていたのだが、その後の憔悴感において、余計なことが挟まったがゆえに、お互いにどうしていいのか分からなくなっていたのかも知れない。
 それだけに、性悪の判断もつかなくなり、お互いがお互いをそれぞれに貪るようになり、SMの関係が築かれていくようになってきた。
 その間に、歪な関係も形成されていき、
「歪んだSM関係」
 が築かれていくことになってきたのだった。

                ピエロと咬ませ犬

 二人のいびつなSM関係は、お互いの中にトラウマを作っていた。
 それは、佐和子の、
「余計な感情」
 がもたらしたものであることに違いはないのだが、それを、
「悪いことだ」
 として、単純に片づけてしまうと、問題の解決にはならないだろう。
 二人は、お互いに好きだという感情を抱いていたが、その感情は、
「交わることのない平行線」
 のようだったのだ。
 だから、無意識とはいえ、余計なことをしている佐和子の気持ちをゆいかだけではなく、当の本人である佐和子にも分からなかったのだ。
 だが、ずっとこのまま永遠に分からない感情であるわけはない。そのうちに佐和子本人が、
「私は余計なことをしているのではないだろうか?」
 という感情を抱くようになってきた。
 しかし、その感情がどこから来るのかまでは分かっていない。だから、その感情は無意識のうちに生まれるものだということを感じるようになったのだった。
 そのため、
「何とか、余計なことがどういうことなのか自覚して、早くこの思いから脱出しないといけない」
 と思うようになったのだが、どうしても分からない。
 なぜなら、ゆいかを見ていて、ゆいかも何かおかしいのだが、それが自分が原因であるとはどうしても思えなかったからだ。
「自分が彼女の苦悩を吸い取ってあげている」
 という潜在意識が頭の中にあるからだ。
 つまりは、
「自分にはゆいかに対して、余計なことをしているという意識はない」
 という思いがあり、それが苦悩の矛盾であることに気づかせなかったのだ。
 二人はそのまま大学に進学し、別々の道を歩むことになったのだが、時々会っていた。
 佐和子の方では、
「大学に入学すれば、たくさん友達ができて、ゆいか以外の人を知ることで、ゆいかとの本当の関係を自覚することができ、正常な関係に修復できるかも知れない」
 と思っていた。
 佐和子の中には、この関係が決していい関係であるとは思っていなかったのだ。
 だが、ゆいかの方では、悪いとは思っていない。不安こそあったのだが、悪い関係だと思っていない。なぜなら、罪悪感、背徳感というものを、佐和子がすべて引き受けていたからだ。
 それも、佐和子が起こした、余計なことの、
「二次災害だ」
 と言っても過言ではないだろう。
 ゆいかは、ずっと一人でいた。それがゆいかの性格であり、一人でいても寂しいとは思っていなかった。
 ひょっとすると、
「佐和子がそばにいなくても、辛くはない」
 と思っていたのかも知れない。
 もちろん、自分が支配する相手がいなくなるというのは、それなりに寂しいことではあるが、いないならいないで耐えられないわけではない。
「孤独を知っている人間は、孤独になったことで、辛いと感じることはない」
 と、ゆいかは思っていた。
「孤独というのは決して悪いことではない。なぜなら、なくなってから寂しさを感じるくらいであれば、それは孤独とは言わないからだ」
 と思っていたのだ。
 寂しさを感じるのは、
「孤独ではなく、孤立」
 である、
作品名:相対の羅列 作家名:森本晃次