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相対の羅列

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「逆光になっているからだ」
 ということなのだ。
 理屈はちゃんと分かっている。だから、怖くないのだ。それをどうして怖いと思うのかというと、表情が変わらないことをいかに自分に納得させるかということを考えるからである。
 表情が変わらないのが、なぜ怖いのかというと、
「顔が見えないからだ」
 と自分に納得させるからだった。
 顔が見えないということは、夢から覚めても覚えていないということに似ているのではないか。怖い夢だけは覚えているのだが、考えてみれば、その怖い表情も一緒に覚えているのだろうか?
 いや、覚えているわけではない。覚えられないから、忘れないという理屈も矛盾してはいるがあり得ることではないかと思うのだ。
「恐ろしいというのは、忘れてしまう方が怖い」
 と言えるのではないだろうか。
 昔、妖怪漫画家が、
「怖いものは、怖ければ怖いほど面白い」
 と言っていたが、怖いということの正体が、
「ハッキリと分からないことだ」
 ということだと分かっていれば、夢を見て忘れない夢というのが、怖い夢ばかりだという理屈が分かるのではないだろうか。
「天国と地獄のどちらを印象的に覚えているか?」
 と言われて、
「天国の方だ」
 と言えるのは、純也だけではないと思うのだった。

                歪んだSM関係

 純也と同じ会社の事務員であるゆいかは、佐和子から呼び出しがあって、二人が遭っていたことを、純也は知らなかった。
 そもそも、二人が知り合いだということは、二人の関係者で知っている人は、今のところ誰もいなかった。それだけ二人は学校を卒業してから、自分たち以外の知り合いとは、すでに付き合いがないということであろう。
 一度、同窓会があった時も、二人は出席はしたが、ほとんど二人だけでいた。二次会も参加することはなく、他の人でも、お互いに卒業後初めてだという人もいたであろうが、そんなことを感じさせないほどに、話が盛り上がっていて、
「卒業後、初めて会ったとしても、話ができるのが、同窓会というものだ」
 という人がいたが、二人はそんな発想が最初からなかった。
「こんなことなら参加しなければよかったな」
 と思ったが、参加しようと言い出したのは、佐和子の方だった。
 佐和子は、心の中で、
「いつまでも、ゆいかと一緒にいるのはいいが、他に誰ともかかわりがないというのは、まずい」
 と思っていた。
 ゆいかの方では、
「別にずっと、二人だけの関係であっても、それでいいんだ」
 と思っていた。
 会社では、寡黙で誰とも喋ろうとしないのは、明らかに、自分から周りを避けているのであり、そんな人に誰が話しかけるというのか、ゆいかにとって、何を言えばいいのか、困るくらいなら、誰とも話をしないに越したことはないという思いであった。
 しかし、彼女は、人とかかわりを持たなくとも、一人で何でもこなしていた。少なくとも、今の仕事の範囲であれば、誰とも必要以上のかかわりがなくともこなせるだけの仕事であった。
 彼女が、自分からまわりとかかわりを持たないようにしていることを知らない人は、彼女が、何でもこなすことができる女性だとは思わないだろう。
 決して目立とうとせず、自分の仕事を寡黙にさばいている姿は、凛々しく見えていた。
 彼女に憧れを持っている男性もいるかも知れない。
 だが、彼女は決して、会社の人間とつるむようなことはしない。そのあたりはしっかりしたビジョンを持っているようで、だからこそ、人とかかわることもなく、うまく仕事をこなしていけるのだろう。
 純也は、そんなゆいかのことを、まったく意識していなかった。ゆいかという女性は、会社内で自分の存在を消すことのできる女性のようだ。
 自分の存在を消すことのできる人は、意外と多いのではないかと、純也は思っていた。学生時代にも自分の存在を消すことのできるやつがいた。特にひどいやつは、目の前を歩いていて、ちょっと視線をそらした瞬間に、気が付けばぶつかっていたというやつもいて、
「あいつは、存在を消すことができるやつなんだ」
 と、まわりから言われて、気持ち悪がられていたのだった。
 存在を消すことのできるやつは、
「まるで石ころのようなやつだ」
 と言われていた。
 河川敷などにたくさん置かれている石ころ、その一つ一つは見えているのに、一つ一つに存在を感じることはない。
 見ている方には意識がなくとも、見られている方には意識がある、見ている方に意識がない証拠に、一つ一つの石は一つとして同じ形、同じ大きさのものはない。
 しかし、見ている方には、皆同じ形にしか見えない。だから、自分が全体を見渡すことしかできないのだが、石の方とすれば、自分しか見ていないようにしか思えないのだ。
 見られている方は、その視線を痛いほど感じ、必死で見られないように意識して、相手を見つめているのに、相手は一切自分を見ているわけではない。それだけに容赦はなく、差別もない。すべてが同じ石ころであり、存在感も全体でしか見ることができないのだった。
 そういえば、昔のアニメで、石ころになってしまうというアイテムが出てきたものがあった。
 石ころというのは、誰にも意識されないから、学校に宿題を忘れていっても、怒られることはないというような内容ではなかったか。
 怒られないというのは、それでいいことなのだが、意識してもらわなければいけない時、意識されない。そろそろ石ころとしてのアイテムの効果を消してほしいと思っても、それができる人が、相手が石ころなので、意識することができなくなってしまっていたというオチである。
 時間がくれば、石ころの効果はなくなるのだが、それまでどれほどの長い時間を過ごさなければいけないか。アイテムを使って、難を逃れようとした人間にとっては、果てしなく長く感じられたほどである。
 前述の、数千年同じ場所にいた妖怪とは、発想がまったく違ったところから始まっているようだった。
 石ころになれるというのは、実に都合のいいことのように思えるが、石ころになってしまうと、誰からも意識されることはない、気を遣ってもらうこともできないし、危険が迫ってきた時も一切気にされることはないので、下手をすると、踏みつぶされても、殺されても、誰も罪悪感を抱くこともなく、まさしく、
「殺され損」
 ということになる。
 完全な犬死である。それでも、石ころになりたいというのか、石ころのように、頑丈で、攻撃されても、変形することもない身体を持っていれば、死ぬことも殺されることもないだろうからいいのだが、それではまるで、森の中にいる案山子の妖怪のようではないか。
 何千年も、その場所にいて、変わることはない。死ぬこともできずに、誰からも気にされることもない。ただ踏みつけられる人生をいつまで続くか分からない果てしなさを、
「死ぬこともできない」
 と考えるか、
「死ななくて済む」
 と考えるか、それによって、究極の選択としてどっちがいいのか、考えされられるであろう。
 前述の案山子の妖怪と、誰にも気にされることのない石ころのような人間との関係は、
「果てしなく、終わりのない世界が続く」
 という共通点があるが、
作品名:相対の羅列 作家名:森本晃次