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相対の羅列

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「ああ、そうだ。もっとも、ここから動くことがまったくできないのだから、この場にずっととどまっているのだから、どこにもそして、ここには誰も来ないのだということを自覚すると、本当に絶望的な気持ちになる。たぶん、俺の話を聞いただけでも、お前はその気持ち悪さを漠然とは感じていることだろうよ。そして、思うんだ。どうせなら、このまま殺してほしいってね。こんな状態でずっと生きながらえていくなんて、想像しただけでも恐ろしいものさ、生きていて、次の瞬間に何が起こるか分からないというような激動の人生がとても懐かしく感じるのさ。そして、運命が決まっている人生なんて、何が面白いものかと思うと、生きている意味がどこにあるのか分からなくなってくる。そんな状態でここに何千年もいるんだぞ? 思考能力なんか、なくなってくるさ。その分、生きていれば他に使うだけの能力を使わなくてもいいと思うようになる。そうなると、ほとんどが退化してくというものさ。俺の足だって、今のように、案山子のような足ではなかったのさ。足に根が生えただけで、普通の足だったんだぜ。それは数千年の間に退化してしまったので、こんな風に案山子の足みたいになっちまったというわけさ」
 と妖怪は言った。
「じゃあ、あんたは、本当に人間だったんだね?」
 というと、
「ああ、だからそう言っているじゃないか。あんたに妖怪呼ばわりされたので、妖怪だって、面倒くさいからそう言ったんだが、実際には俺だって今でも自分は人間だと思っているさ。俺の身体で使わなくなった部分は身体だけではない。精神的な面でも使わなくなったものはたくさんある。まったく不要なものは退化していき、その分、必要なものや、持っていたいと思えるような機能だけが、退化して行ったものがある分、進化していく。だから、妖怪に見られるのさ。お前たち人間が妖怪だと言っているものだって、本当は、元は人間だったのかも知れない。しかし、生まれてくる時に特殊な生まれ方をしたために、人間になりきれることなく、退化と進化の違いがある妖怪ができあがった。それを人間が妖怪だと言っているだけで、その発想が人間の傲慢なところではないのかな? 俺は元々人間だが、今では妖怪だと言われる月日の方が果てしなく長くなってしまった。だから、もう人間だった頃のことなど忘れてしまったが、こうやって人間で話をすると、人間だったのがまるで昨日のことのように思い出されるのさ」
 と、その妖怪は言った。
 なるほど、妖怪が言いたいことが分かってきた気がする。
 この男がなぜ、こんなところで足に根が生えて妖怪になってしまったのか分からない。
 この男の言い分では、これだけ長生きしているのは、退化していった部分があるため、残った部分で進化し、補っているということだった。寿命というものがその人の能力であったり、機能だとすれば、この男は、退化していった部分に補われたことで、何千年もここに生きているということになる。
「俺には耐えられないだろうな」
 と、男はボソッと言った。
「何が耐えられないんだ?」
 と妖怪は、そう言ってニンマリと微笑んだ。
 この笑みは、青年が何を言いたいのかということをお見通しだということ分かっているような様子であった。
「こんなところで、何千年も、俺だったら、絶対に耐えられない」
 というと、
「そりゃあ、俺だって最初は、こんな状態を数日でも続ければ気が狂ってしまうだろうと思ったさ、夢なら早く覚めてほしいと思ったし、夢じゃないのであれば、早く殺してほしいと思ったものさ。だけどな、この世に神様がいるとすれば、その神は個人個人のためなんかではなく、逆に個人には厳しいものさ。俺が何をしたんだって、ずっと自問自答を繰り返していたさ。しかし、分かるはずもない。こんな状態で、どうすればいいんだってな?」
 と妖怪は言った。
「よく耐えてこられたな?」
 というと、
「ある時点で、死ぬほどの苦しみを味わうと、乗り越えられるもののようだ。たとえは悪いが、人間が麻薬の禁断症状から抜けるのに、死の苦しみを味わうというが、抜けてしまうと、もう、そこから禁断症状に見舞われることはない。だが、本当に苦しいのは禁断症状ではなく、冷静になった時、現実世界に引き戻された時、麻薬を断ち切ることができるかということなのさ」
 と、妖怪は言った。
「そっか、確かに死ぬほどの苦しみを乗り越えると、そこに悟りが開けるというのが宗教のようなものだと聞いたことがあったが、そういうことなのだろうか?」
 ちょうど、その時代は、世の中どこに行っても地獄しかない時代だったので、宗教に走る人が多いと言ってお過言ではない。
 考えてみれば、日本の歴史において、万民が皆幸せだった時期などあるわけはない。ほとんどの時代において、一部の特権階級の人間が得をして、ほとんどの人間は、搾取や支配されるということにおいて、最後には、
「この世は地獄だ」
 ということになってしまうのだ。
 そこで出てきたのが宗教という考え方だ。
 ほとんどの宗教は、
「この世で少しでもいいことをすれば、あの世に行った時、幸せになれる」
 ということを説いたものが多いではないか。
 つまり、いくらこの世でいかに何かをしても、いいことなんかあるはずはないということを言われているのと同じではないか。
 では、この世は一体宗教において、どういうことになるというのか? あくまでも、将来において救われるためのステップ段階にしかすぎないということなのだろうか?
 それを考えると、
「どうせ、この余では幸せになれないのだから、少しでもこの世でいいことをしておけば、あの世で幸せになれる」
 ということになるのか。
 しかし、普通であれば、あの世がどんなところなのか分からないのに、あの世に期待を持つということが果たしてできるだろうか。よほど、この世が地獄ではない限りは考えにくいことだ。
 ただ、実際に今の平和と言われる時代にでも、
「この世の地獄」
 というのを見ている人がいる。
 だが、その人であっても、今を生きることに必死であって、あの世のことなど考えることもできないと思う。
 ということは、宗教において、あの世での極楽を夢見る人というのは、どの段階にいる人たちなのであろう。
 普通に暮らしている人には、そもそもあの世のことを考えるということは、思考が逆行してしまっているようで、考えること自体、おかしなことではないだろうか。
 前述のようなこの世の地獄を見ている人は、精神的に余裕のない人なのだろうから、実際にあの世のことを考えたとしても、あの世にどのような極楽が見えるというのか、きっと何もかもが信じられない人になっているはずだからである。
 そもそも、普通に暮らしているという時に使う、
「普通」
 という言葉は何なのだろうか?
 何に対して普通というのか、それが分からなければ、あの世という世界を自分の中で創造することはできないだろう。
 つまり、宗教において、
「あの世」
 という世界は、皆がそれぞれ創造するものだと言えるのではないだろうか。
 だから、他の人にはその人がどのような、
「あの世」、
 あるいは、
「極楽」
作品名:相対の羅列 作家名:森本晃次