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少年の覚醒

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 小学生の部活レベルが太刀打ちできるものではないだろうが、実際にレベルの高さは、中学校の名門校から、優秀な生徒は引き抜かれるレベルだからであった。
 だが、小学校に部活があるところは珍しいので、保護者は、子供のためにと思い、無理にでもスポーツサークルに通わせる人もいたりする。
 お金をもらっている関係上、どうしてもレベルと結果が求められることで、スパルタのサークルも多い。
 親の中には、そんな競争主義のサークルではなく、伸び伸びやらせたい保護者もいて、学校に部活を求めている母親も少なくはなかったようだ。
 そのおかげで、当初は学校側と賛否両論において、何度か会議の場が持たれたが、基本的には、保護者は頭ごなしの反対はなかった。
 むしろ、
「しっかりと、学校で管理してくれるのであれば、ありがたいくらいだ」
 というほどだったのだ。
 実際に、部活の決行が決まってしまうと、運営が固まるまでは結構早く、活動開始までには、さらに短かったのだ。
 これらの部活動が始まったのは、今から五年ほど前のことで、吉塚が在学中のことだった。
 一つ問題があったのは、中学、高校などと違って、施設的に充実していないところであった。
 基本的には、小学校の体育で習うものしか、学校にはなかった。そのため、どこから調達してくるかということが問題になってくるが、ここはひとつ、教育委員会に部活を始めるということを正直に話し、その活動を容認してもらうことと、必要なものを、教育委員会を通して手に入れられるようになるというのも、必要なことであった。
 教育委員会は、その交換条件に、モデル校という提案をしてきた。
「モデル校になれば、お金も出るし、必要なものは揃えてもらえる。用具などは、その時に手に入るであろうから、問題はないのではないか? しかも、学校の宣伝にもなるしね」
 ということを提言してきた。
「なるほど、それはお互いに願ったり叶ったりですね」
 ということで、学校側の思惑と、教育委員会の思惑が一致したのだ。
 必要なものは手に入れられたが、教育委員会からも、いくつかの提言があった。
 しかし、それは、そのほとんどが、保護者との会議の時に解決していたものだったので、時間の余分にかかることではなかった。
 実際に部活を始められるようになるまで、半年もかからなかったのではないだろうか。
 元々部活を考えていたのは、現教頭というよりも、教育委員会に引っ張られた、元共用の方の意向が強く、具体的な発想とすれば、現教頭の方が強いというだけもことであった。
 それだけ、教育委員会も、
「小学校での部活」
 ということには興味を持っているようで、ひょっとすると、
「モデル校」
 という発想も、先に部活の発想があり、後からとってつけたようなことになったのではないだろうか。
 ただ、部活で使える用具のほとんどは、中古だった。
 中学校や高校に声を掛けて、買い替えたもので、まだ使用できるものなどを、引き取るという形で手に入ったもので、さすがに、大会を目指して頑張っている部活にはできないことだが、モデル校としてくらいであれば、何ら問題のあることではなかった。
 ボールなどの消耗品は、どちらにしても、いずれは買い替えなければいけないのだから、そのつなぎとしてはありがたかった。
 消耗品以外でも、元々は使用可能なものばかりだったので、少々は持つはずである。それを思えば、すぐにでも使えるものが、簡単にただで手に入ったのだから、実にありがたいことだった。
 部活の顧問たちを決めるのには、結構時間がかかったようだ。
「顧問くらいは、すぐにでも決まるだろう」
 と思っていた教頭は、この時だけ、先を見誤っていたようだった。
 特に、女子だけの部については、生徒の方で、部員を五人以上連れてきた以上、学校側で勝手に、部に昇格できないとはいえなかった。
 いろいろなルールを決めておいた学校側が、学校の都合で、
「できない」
 ということは難しいからだった。
 生徒が集めてきた人数が集まっても、それはあくまでも部として昇格できるだけの人数であって、競技に必要な人数ではない。競技によっては、十人以上いないといけないスポーツもあり、サッカーなどは十一人必要である。
 控えのメンバーも含めると、果たしてどれだけいるのかが問題なのだが、今のところ控えを気にする必要はない。
 なぜなら、彼らは試合をするわけではないので、控えを考える必要などないのだった。
 競技人数ギリギリでもいいのに、たった、五人しかいなければ、練習にもならないスポーツもあるだろう。そんな生徒たちに、
「活動ができないのであれば、サークル活動は休止するしかない」
 と、果たして言えるだろうか?
 一応、学校でも問題になったが、そこは、
「部活のそれぞれの事情を考慮して、その判断を行うのは、顧問の先生に一任する」
 ということに決まったのだ。
 そのせいで、部活の顧問の、それからの責任はさらに重たくなった。
「それぞれの部活の事情」
 ということにして、学校側が明らかに決めなければいけないことを、部活の顧問に一任しようというのは、相当なものである。
 ただ、全体的なことであると判断したら、学校側でその議題に対して会議を開いて、協議するということにもしておいて、それぞれ両面から決めていくということで、それぞれの立場を重視して事に当たるようにしたのだった。
 そんな状況において、いよいよ学校側の方で真剣に運営が始まったのが、吉塚が六年生の頃だった。
「俺たちは、もうすぐ卒業だしな」
 ということで、最初の一年くらいは、部活と言っても、わずかしかなかった。
 しかし、翌年くらいから徐々に増えてきて、最初の一年は、運動系が、四団体で、文化系が、三団体にすぎなかったので、顧問も、その数だけしかいらなかった。
 しかし、次の年から、倍以上になったので、教員の半分くらいは、どこかの部活の顧問をしなければいけなくなったくらいだ。
 正直、学校側が部活を奨励しているからと言って、先生たちも手放しに喜んでいるわけではない、むしろ、
「俺たちがどうして、こんな活動に参加しなければいけないんだ?」
 と思っていた。
 ただでさえ、文部省のカリキュラムも大変なのに、今までのゆとりなどという体制から、脱するというのが、今の教育現場なのに、それをわざわざ忙しくするということに、
「何の意味があるのか?」
 とほとんどの教師が思っていた。
 しかし、学校の上層部としては、
「部活に精を出してくれると、苛めの目を断ち切ることができて、小学校から始まっていると言われる苛めの発生を抑えることができる」
 と思っていたのだ。
 苛めを抑えることができれば、学校でも、苛めに対しての時間を割くこともなく、他のことに専念できるだろう。そうすれば、部活の時間で割いた分以上に、時間を空けることができるのではないだろうか。
 もちろん、理想なのかも知れないが、それでも学校で推し進めていくことが、いずれ芽を咲かすことになると思っていることを、一人でもたくさんの先生に感じてほしいと、教頭は思っていたのだ。
 だからこそ、元教頭の考えている、
「モデル校」
作品名:少年の覚醒 作家名:森本晃次