少年の覚醒
聖羅には、いまだにハッキリとは分かっていないが、この子が苛められているかどうかは別にして、苛めというのは大嫌いだった。あってはならないものだという考えは、他の先生と同じなのだが、それだけではない。
聖羅が勧善懲悪な人間であることは、担任にも分かっていた。今は副担任として、君臨していたが、本人は、担任よりも必死になっていた。
まだ新人に近いので、張り切っているというよりも、
「自分に甘えてはいけない」
という思いの方が強かった。
しかし、まわりからは、勇み足にしか見えていない。
「私は。これだけ生徒と正面から向き合っているんだ」
という思いが、担任から見ても、よく分かっていた。
分かっているから、見ているだけで危なっかしいのだ。そんな聖羅のことを一番分かっているのは、当の生徒たちだった。しかし、聖羅の本質が分かっているわけでないところは、まだまだ子供だと言えよう。見た目の通り、まだ新人の先生が、自分の手柄がほしくて、必要以上に生徒に対して絡んできているように見えることが、あざとく見えているようだった。
そんな聖羅と生徒との間に、確執が生まれないわけがない。他の教師は、生徒にも聖羅にも、まるで腫れ物にでも触るかのように接していたが、担任はそういうわけにはいかなかった。
あくまでも、生徒をかばいながら、聖羅のプライドも傷つけないようにしなければいけないと思い、決して。腫れ物に触るかのような態度では、立場的にはいられないのであった。
「坂上先生は、どうしてそんなに前のめりなんですか? 生徒だって一人一人違うんですよ。性格も違えば、行動パターンも違う。持って生まれたもの、そして育ってきた環境が皆違うんだから、当たり前ですよね? それは生徒が先生を見る目だって一緒ですよ。私を見る目と、坂上先生を見る目では違う。だから生徒たちが真正面で、坂上先生をどのように見ているのか、私には分からない。だから、分かるのは坂上先生だけなんだ。それを自覚して、しっかりと一人一人と向き合って行ってほしいと、私は思っています」
と、担任はそう言って諭していた。
それを聞いた時、聖羅先生は悟ったようだった。
「そうだわ。私は決して器用な人間ではない。だから、この担任の先生のように、私は生徒一人一人とそれぞれの対応を分けるようなことはできあい。私は、自分ができることをするしかないだ」
と思っていたのだ。
それはそれで間違っていないかも知れない。
実際に学校で担任や、副担任という顔で生徒に接している先生のどれだけの人が、生徒に対して真摯に向き合っているというのだろう。
しかも。生徒一人一人に対して個別に対応することができる先生がその中でもどれだけいるというのだろう?
下手をすると、生徒に真摯に向き合っていない先生の方が、本当は頭がよく、要領とく振るまえる人であり、理解できる素質を持っている人もいるかも知れない。
「だったら、どうしてそれを使おうとしないのか? 教師として信念を持って先生になったんであろうに」
と思うのだが、
「ひょっとすると、最初はそうだったかも知れないが、生徒との対応の間に、自分が理不尽な目に遭い、なまじ頭の回転が速いだけに、生徒に対して必要以上に踏み込むことが自分にとって不利であることを悟り、事なかれ主義になってしまったのではないか?」
という考えもできるだろう。
聖羅先生は、そう考えるようになった。自分も似たような理不尽ま目に遭ってきたからだった。
生徒の真摯に向き合っていたせいで、付き合っていた恋人とも別れることになった。
二年後くらいには結婚できると思っていただけに、彼から別れを告げられた時には、大きなショックだった。
「どうして、私たち別れなければならないの?」
と問いただすと、
「君はいつも、俺といる時、上の空なんだよ。心ここにあらずというべきなのか? 一体何をやっているんだよ」
と、罵声に近い形で言われた。
「そんなことはないわ。いつもあなたのことを考えているのよ」
というと、
「いいや、そんなことはない。君は一体いつからそんな女になってしまったんだ?」
と言われて、さすがにキレた聖羅先生は、
「何言ってるのよ。あなたが私を見る目が変わったんじゃないの? まさか、あなた私以外にも女の人がいたりして」
と、言ってはいけない言葉を口にしてしまったのだ。
確かに、少し彼は、聖羅先生と、誰かを比較しているような言動が多かった。しかし、それは、他人と比較しているわけではなかった。あくまでも、
「過去の聖羅」
と比較していたのだ。
それは、彼の思いやりの一つで、こういう言い方をすれば、聖羅先生も目を覚ましてくれると思ったのだろう。少し前までの聖羅先生は、彼の行動に対して、少々含みのある行動でも、すぐに察知してくれていたのだ。
だが、今聖羅先生が相手をしているのは、小学生という人間としては、まだ発展途上のこともが相手だったのだ。
「私がどうして、彼にここまで言われなければいけないのか?」
と、完全に責められているという被害妄想に陥ってしまうと、彼がいくら考えて分からせようとしても、すでに、かつての聖羅先生ではなくなっていたのだった。
被害妄想は、彼に対しての怒りと嫌悪に変わり、一緒にいるだけで嫌になるくらいであった。
最初は彼の方から別れ話をしてきたようだったが、それはあくまでも、彼の荒療治のようなもので、本当は別れるという意思はなかったのだ。
しかし、完全に迷走してしまっている聖羅には通用しなかった。
本来なら、途中で交わるはずなので、そこで、お互いを見つめあおうと思っていたのだが、聖羅の方が一気にその場所を通りすぎてしまったので、彼はもう、追い付くことができなくなってしまったのだ。
「ミイラ取りがミイラになった」
という諺があるが、まさにその通りであった。
「私が悪かったの?」
と、結局別れてしまった後で、聖羅先生はそう思うしかなかったのだ。
聖羅先生は、その時、
「私は先生なんか向かないのではないか?」
と一度考えたようだ。
ただ、このまま教師を辞めてしまうと、彼氏も失ってしまった自分には、何もないということを悟り、彼を失ってまで残った教師を辞めてしまうという勇気もなかった。すべてを失ってしまうのが、怖いことに気づいたのだった。
まだ、教師になってから数年しか経っていない。これから、どんどん成長していけるかも知れないが、どんな不幸が待っているか分からない。しかし、それは教師を辞めたとしても同じことがいえるのだ。
せっかく、教職免許も取ったのだし、今の段階で教師を辞めてしまうことのリスクの方が大きいと考えた聖羅先生は、教師を辞めることができないまま、ズルズル続けているというのが、今のところの本音だった。
仕事を続けていると、何が起こるか分からないというのは、確かに他の仕事においても言えることだが、教師の場合は、そのリスクが大きいということを、聖羅は分かっていなかったのかも知れない。