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少年の覚醒

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 そういう意味では、吉塚は晩生の方だった。
 自覚している思春期の始まりは、中学二年生の終わり頃くらいからだっただろうか。
 それも、まわりの男の子に、彼女がいるのが羨ましいという感情から生まれてきた、女の子に対する目が直接自分が思春期に陥っている状況だということが理解したその時であった。
 どこか、他力本願的な思春期突入であったが、思春期に入ったと思うと、それまでと感情がまったく一変していた。
 思春期への突入が他の子たちよりも遅かったということを自覚していることで、焦りのようなものも感じていた。
 別に晩生でも悪いことではないという自覚はあるが、女性がついている男の子を羨ましいと思うことで、最初に感じたのは、憧れや羨ましさではなく、嫉妬だったのだ。
 だから、フリーな女の子を探すというよりも、他の男の子と付き合っている女の子にばかり目が行ってしまい、
「俺なんかに太刀打ちできるわけはない」
 と思っているだけに、どうにもならない状況に、嫉妬を感じてしまうのだった。
 だからこそ、自分の思春期が少し歪に感じられるのだった。
 普通の恋愛が果たしてできるのか?
 そんなことを考えてしまい、実際に同年代の女の子と付き合おうと思っても、なかなかうまくいかない。
 相手が自分を見る目、というよりも、自分が相手を見る目が、恋愛感情になれないのだ。基本的に吉塚の恋愛感情のもとは、
「嫉妬」
 なのだ。
 憧れや、癒しを求めるものでもない。だから、相手に好かれる。相手のことを好きになるという、一般的な恋愛感情を持つことができなかったことで、相手の女の子が、自分をどのような目で見ているのかということを気にすることはなかった。
 そういう意味で、
「吉塚君は、人畜無害なところがあるわね」
 と言って。彼に好感を持っている女性もいたりしたが、ほとんどは、
「何を考えているのか分からない」
 と、彼の自分たちに対する感情の薄さが、本当に健康な青年男子なのかと思わせるものであったのだ。
 吉塚は、同年代や、年下に対して、それほど恋愛感情を抱いたことはなかった。
 一度だけ、相手に告白されて有頂天になったことがあり、二つ返事で、承諾し、付き合い始めたことがあったが、すぐに別れてしまった。
 理由とすれば、
「何を考えているのか分からない」
 と言われたことがすべてであり、結局は、どのような経路を通っても、最後にはそこに行きつくしかないという悟りのようなものを、吉塚は感じたに違いない。
 しかし、今までに感じたことのない感情を、吉塚は聖羅に再会して感じたのだ。
 それはきっと、卒業してから初めての再会であれば、感じなかったかも知れない感情だと思えた。
 つまりは、卒業後に一度、同窓会で再会した時のイメージがあるからで、あの時は、聖羅に対して、さほど強い感情を抱いていたわけではなかったが、それ以上に、変わってしまったように見えた雰囲気に、
「彼女が変わったのか、それとも、自分が成長したのか、どっちなのだろう?」
 という思いを抱いたのを思い出したからだ。
 その時の結論としては、
「彼女が変わった」
 という方に気持ちが傾いていると思っていた。
 それだけ、あの時はまだ思春期にも入っていなかった時期であり、女性というものを意識していなかったからだろう。
 しかし、今は違う。思春期に突入し、嫉妬という感情を知ったことで、もう少しで嫉妬を恋愛感情と勘違いしてしまいそうになるところだったことを、聖羅との再会で感じさせられた。
「僕が今、聖羅先生に感じている感情こそが、恋愛感情というものなのかも知れない」
 と思った。
 それは、憧れであり、大人の女に対して甘えたいという慕うという感情なのではないかと思ったからだ。
 もちろん、聖羅先生が、自分のことを恋愛感情で見ているなどとは思いもしなかったので、先生の視線を浴びながら、その先生の思惑がどこにあるのか、知る由もなかった。
 考えてはいたが、どうにも堂々巡りを繰り返してしまうことが分かった気がして。必要以上に、考えないようにしようと思ったのだ。
「委ねるというのが、これほど気持ちのいいことだったとは思ってもみなかった」
 と吉塚は感じた。
 それは、まるで母親の胎内にいて、羊水に浸かっている時のような感覚だと言ってもいいのではないか。
 もちろん、母親の胎内のことを覚えているはずもなく、感じているのは、漠然とした感情でしかないのだが、それを聖羅先生は、マザコンのような印象で見ているということはなかった。
 大学時代のトラウマは、あくまでも、同じような感覚に陥りそうに思う時にだけ、感じるもので、明らかにあの時のマザコン野郎とは違っているのは分かっていた。
 今思い出しても、虫唾が走るくらいの気持ち悪さが、あの時のマザコン男にはあったのだ。
 何がマザコン男と、吉塚で違うのかというと、
「マザコン男には、支配欲があるのだ」
 ということであった。
 マザコンで甘えたいという感情の裏側で、男としての感情である、
「相手を支配したい」
 という欲があり、
 しかし、吉塚にはそれがない。やはり、自分を先生として見てくれていて、自分もかつての教え子だという見方をしているからなのだろうか。
 それを思うと、吉塚と一緒にいることは、かつてのマザコン男に感じたトラウマを感じることはないだろうと思うのだった。
 マザコン男は、人によっては、
「可愛らしい」
 と思う女性もいるだろう。
 しかし、それ以外の大多数の女性は、彼に対して嫌悪と悪寒を感じ、
「同じ空間に存在し、同じ空気を吸っていたと思うだけで気持ち悪い」
 という、最悪の感情を抱かせることになるのだが、それも、彼は男として、
「自業自得なのではないか?」
 と感じさせた。
 吉塚にはそんな感覚はまったくないことで、余計に恋愛感情が一気に膨れ上がってくる、二人だったのだ。

                  大団円

 聖羅と吉塚は、心の上で結びついていることを、お互いに自覚していた。相手も自分のことを快く思ってくれているということも分かっている。しかし、年齢差なのか、それとも遠慮からなのか、お互いに気持ちを打ち明けることはできなかった。
 特にその思いが強かったのは聖羅の方であり、
「あの子を、私のようにしてはいけない」
 と思っていたのだ。
「私のように」
 というのはどういうことなのだろう?
 聖羅には、大学時代に、
「道ならぬ恋」
 と重ねていた。
 それは恋というわけではなく、半ば強引なものであったが、聖羅はその背徳感を敢えて身に感じることで、自分の存在価値を見出していたと言ってもいいだろう。
 相手は、恩師の本山教授。奥さんを亡くしているので、不倫ではないのだが、最初はまったく気にもしていなかった本山教授がら、ほぼ強引に男女の関係にさせられてしまった。
「資料の整理があるんだが、教授室まで来てくれないか?」
 と言われて、教授室に行くと、そこには、今まで見たことのない形相で、本山教授が待ち構えていたのだった。
作品名:少年の覚醒 作家名:森本晃次