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少年の覚醒

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 ジレンマに陥ってしまい、前に進むにも元の場所に戻るにも、どちらも難しい状況い陥った。
 少なくとも、こうなってしまっては、元の位置に戻ることはできないに違いない。
 彼はきっと後悔したに違いない。しかし、それを誰かにいうことはできなかった。
 それを言ってしまうと、せっかく親を裏切ってまで一歩先に進んだ自分が間違っていたことを自らが証明したのも同じことである。
 だが、そんな彼の心境を知っている人はきっと誰もいないだろう。せっかくかばってもらった聖羅先生にもきっと分かっていないだろう。ただ、彼がやったことは、
「聖羅先生が、贔屓をしているわけではなく、自分たちの子供を贔屓しないことへの逆恨みのようなものだ」
 ということを言っただけだ。
 しかも、その自分たちの子供の中に、自分がいるという微妙な立場の本人がいうのだから、誰にもその心境が分かるはずもない。分かってくれるのは、吉塚だけで、すぐには彼もそのことを理解はできていなかった。
 彼は名前を笠原亮太と言った。
 笠原とは、その時からの親友になったのだが、吉塚も今までに友達らしい友達はいなかった。
 笠原に聞いても、
「俺も友達なんていないさ。うちの親同士がつるんでいるということで、時々、親がうちに遊びにくる手前、その子供とも、なんとなく付き合っているという程度で、仲がいいというレベルではなかったんだ」
 と言っていた。
「何でも話ができる相手なんていないんだ?」
 と聞くと、
「うん、いないよ。そんなやつ本当にいるのかな? 本音を口にしてしまうと、次の日には他の人にバラされているのが関の山じゃないかって思うんだけど」
 というので、
「確かにそうかも知れないけど、どうして、そう思うんだい?」
 と聞くと、
「親がいつもそういってるのを聞いているからさ。これは母親と父親の話なんだけどね。大人になると、本音をうっかりもらしたりすると、それが悪い方に影響して、自分が損をするだけだから、余計なことを言っちゃいけないっていう話を、よく話しているんだ」
 と言っていた。
 笠原の父親は、そこそこの大企業で、課長をしているという。子供から見ても、自慢の父親だというが、
「そんな親父は、家に帰ってくると母親に頭が上がらないんだ。だから、小さい頃から、お母さんがこの家で一番力が強く、表でも威張っているんだろうなって思っていたけど、よく他のおばさんを家に連れてきて、いろいろ料理を作ったりしているのを見ていると、そんなに力があるようには見えなかったんだけど、ただ、おばさんたちの中では、輪の中心にいるということだけはわかったんだ」
 と言っていた。
 吉塚の両親は、そんなに人に対して社交的ではなかった。
 それよりも、共稼ぎで忙しく。いつも夜になるまで帰ってこない。夕食を一人で済ませることも結構あり、家族三人が揃って夕飯を食べるなどということは、ここ二年くらいなかったことだった。
 小学生でも高学年になれば、
「お母さんが夕方いなくても、大丈夫よね?」
 と言われ、一人にされることが今では慣れてしまった。
 小さい頃から、親には逆らわない静かな子だったのだが、そんな息子を見て、きっと親は、
「この子は、親の気持ちを悟れる子供なんだ」
 と思ったことだろう。
 もし、そう思わなくとも、共稼ぎをしないとやっていけないという事実に変わりはない。親に抵抗しない子供というのは、子供に対する親の後ろめたさを少しでも減らせるだけの力しかないのだろうか?
 もっとも、共稼ぎの家族など、どこにでもいる家族であり、今に始まったことではない。親とすれば、子供に最悪勘を持とうが持つまいが、それほど気にすることではない。むしろ、
「私たち親は子供のために頑張っているんだ」
 とばかりに感じていることだろう。
 そんな毎日を、貴重な子供時代を蝕むかのように過ごしている子供が多いというのは、実に嘆かわしいことなのだろう。
 聖羅先生が、先生を目指したもは、
「寂しい子供が多くなっているので、少しでも、先生が癒しになれればいい」
 という気持ちがあったようだ。
 それを、他の先生の前でいうと、露骨に嫌な顔をされたということを、これも後になって聞いたのだが、その時は、
「どうして自分がそんな顔をされなければいけないのかって思ったんだけど、でも、自分がトンチンカンなことを言っているというのは分かっていたの。でも、それ以上にまわりの先生は、信念のようなものを持っていない。そんな人たちにだけは白い目で見られたくはなかったって思ったものよ」
 と感じていたようだった。
 信念がないと教師というのはやっていけないのか、よく分からないが、その頃の教師というのは、教育委員会、PTA、他の教師などをまわりに抱えて、理想や信念などというのは、あってないようなものになっていたのは、事実のようだった。
 教育のカリキュラムがうまくいかなくなってきたのは、やはり、
「ゆとり」
 ということが問題になってきたからだろうか。
 いわゆる、ゆとり世代というのは、
「それまでの、受験戦争に見られるようま暗記中心の詰め込み教育や偏差値重視と言われる受験戦争を廃止し、ゆとりある学習環境で、子供たちの次週能力や、生きていく力の育成を目指して実施さらたもの」
 だったのだ。
 しかし、そのせいで、土日が休日という週休二日制が導入されたり、それにより、授業時間が短縮されたことで、カリキュラムの難易度も下げられてしまったことで、今度は、ゆとり教育による学生の学力低下が指摘されるようになると、今度は、「脱ゆとり教育が実施されるようになったのだった。
 要するに、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
 というべきか、一つの問題に対して、一方的なテコ入れをしてしまうと、その反動が起こり、行き過ぎてしまうということではないのだろうか。
 そのような対策を練るのは、バランスが問題であり、どこかでうまく対策を変えなければ、行き過ぎてしまうというものだ。
 経済などで、インフレを解決しようとして対策をうつと、今度は不況になってしまう。不況の対策をうつと、今度はインフレになってしまうというような、ちょうどいいバランスが取れない場合などとも比較されるのではないだろうか。
 政治、経済におけるバランスのとり方が、教育の現場にもあるということなのだということは、周知のとおりである。
 昭和の頃の学校問題というと、
「校内暴力」
 などというのが大きかった。
 先生などが生徒に対して体罰を与えたりして、それが不良を生み出したりして、学校の窓ガラスのほとんどが割られているというようなところもあったりした。
 不良校というのは大体決まっていて、不良生徒も見れば分かったものだが、今ではそんな時代のことは誰も知らないかも知れない。
 学ランを着たり、リーゼントスタイルなどというのは、
「ツッパリ」
 などと言われ、それが八十年代になると、
「ヤンキー」
 と言われるようになってきた。
 女生徒でも、マスクをしていたりしていた生徒が、カミソリを武器に持っているなどというのは、今は昔なのだろうか。
 さすがに先生も、そんなツッパリに対しては何もできなかった。
作品名:少年の覚醒 作家名:森本晃次