小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

少年の覚醒

INDEX|1ページ/25ページ|

次のページ
 
 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。ちなみに世界情勢は、令和三年十月時点のものです。それ以降は未来のお話です。

              勧善懲悪

 吉塚聡が、まだ小学生だった頃、小学校に一人の教育実習生が来ていた。数か月だけの先生だったが、吉塚にとっては、非常に印象深い先生で、どんな先生だったのかと言われると、とにかく悪いことを徹底的に嫌った、
「勧善懲悪」
 な先生だったのだ。
 昔と違って、先生というと、子供に手を出したりすると、すぐに評判になってしまうので、どんなに自分が悪くなくとも、一歩間違えれば、まわりから突き上げられて、辞めなければいけない立場になるのは、必然だった。
 小学校でも、虐めのようなことはあるようで、生徒同士の虐めはもちろん、先生から生徒への虐めもあるようで、逆らえない子供が問題にもなっていた。
 教育自習でやってきた先生は、吉塚の学校には三人いて、低学年を二人、吉塚の六年生には一人が就いたのだ。
 その先生は優しいところと厳しいところが共有しているようで、根は優しいのだろうが、芯がしっかりしているようで、小学生とはいえ、吉塚にはそんなしっかりした先生の魅力が伝わってきて、密かに先生に憧れていたのだった。
 勉強の教え方は、
「可もなく不可もなく」
 というところであろうか。
 教えてもらっている立場からすれば、分かりやすいし、来てから最初はさすがにぎこちなかったが、何回か授業を受け持つと、本当お先生と遜色のなさを感じさせられた。
 ただ、勉強を教えてもらっている中で、
「先生のどこが厳しいのか?」
 ということが分かってきた気がした。
 先生は授業の中で、喜怒哀楽が激しいというのか、急に興奮して、我を忘れてしまうことがあるようだった。
 横で担任が見ているので、たまりかねて、授業を一瞬止めに入ることがあるくらいだった。
「あっ、ごめんなさい」
 と言って恐縮している先生だけど、自分が我を忘れていることに、急に気づくようだ。
 そんなことを何度も繰り返しているのだが、吉塚は嫌な気はしなかった。ただ、先生がどうして急に豹変してしまうのか、それが分からなかったのだ。
 先生の名前は坂上聖羅先生とう。
「せいら」
 という名前は今でこそ多いが、親が付ける名前としては、少し奇抜な名前だった。
 今から思えば、先生の親は、世の中を舐めているところがあったのではないかと思えていて、そうでなければ、
「せいら」
 などという名前を付けることはないだろう。
 そう思うと、先生が子供の頃、名前が原因で虐められたことも多かったのではないかと思うと、先生の親がどれほど罪作りなことをしたのかと感じ、
「子供に対しての愛情なんてあったのだろうか?」
 と思うようになった。
 吉塚の初恋は、この坂上先生だった。
 それはきっと、先生の性格を好きになったのではないかと思う。
 竹を割ったような雰囲気のその性格は、小学六年生になるまで、自分のまわりにいなかったタイプの人であり、中学に入ってからも見たことがない人だった。
 だが、テレビドラマやアニメの主人公の中には、先生のような人がいて、密かにそんな人が好きだった吉塚だった。
 実際の世の中にはいないタイプなだけに余計に気になり、好きになったのも無理もないことだったようだ。
 そんな聖羅先生だったが、保護者からは嫌われているようだった。
「坂上先生はえこひいきをしている」
 というものであった。
 子供たちから見て、先生がえこひいきをしているようには見えなかったが、先生の間で、
「坂上先生、えこひいきはやめてください」
 と言われるようになり、先生もなぜか、
「分かりました」
 と言っていたが、先生にMえこひいきと言われる意味が分かっていないようだった。
 これは後から聞いたことであったが、他の先生も聖羅先生が別にえこひいきをしているとは思っていなかったようで、責めていた先生たちも、聖羅先生が誰を贔屓しているのかということも分かっていなかったという。
 どうやら、PTAの方から、総意として抗議が舞い込んできたようで、しかも、誰を贔屓しているのかということも言われていないようだった。
 実際に贔屓された生徒がいて、それを非難しているわけではなく、保護者としては、自分たちの子供が擁護さればければいけない立場なのに、他の子たちとまったく変わらない指導をしている聖羅先生に苛立っていたようなのだ。
 つまりは、他の先生は、自分たちに忖度し、自分たちの子供を無意識に贔屓しているにも関わらず、聖羅先生は平等ということを表に出して、決して誰にも忖度しない状況を見て、聖羅先生を失脚させようとたくらんだようだ。
 贔屓していないことを逆手にとって、それが自分たちの理論としては、
「それこそが贔屓なのだ」
 という理屈で、聖羅先生を追いつめようとしていた。
 子供にはよく分かっていた。それなのに、どうして大人は分からないのかと、吉塚は思った。
 そして、そのあたりの情報を流してくれたのは、何と、PTAの中では、結構な地位にいる人で、学校に対して、聖羅先生を糾弾した人の中にいた人だった。
 彼も何も言わなければ、苦しむこともないのにと、吉塚は思ったが、彼が苦しんでいる理由は、
「親が自分のしてほしいと思っていることと違うことをしていることで、大好きな先生が窮地に陥っていることを、自分の中だけに収めておくことはできない」
 と思ったようだ。
 これは、あくまでも、自分が彼の立場に立ったら、どんな気持ちになるのかを想像したら分かったことであり。人の身になって考えることのできる子供だったようだ。
 その友達とは、それまであまり仲が良かったわけではない。むしろ、まわりから避けられているやつだったので、自分も近づいてはいけないやつなのだと思っていた。
 それは、親の威光を笠に着ているように見えたからだっただけで、彼に対して何か嫌だったというわけではない。
 むしろ彼は静かだった。自分から何かを言おうとしたわけではなく、先生のことを親を裏切るかも知れないという覚悟を持って話した時が、自分から話をする一番最初だったのだ
 彼は、自分が親を裏切ったという気持ちから、自分の親たちのことを謝ったりはしなかった。
 それは、親に対しての申し訳なさがあったからだろうが、そのために、彼は自分の立場が微妙になるということを分かってのことだったのだろうか?
作品名:少年の覚醒 作家名:森本晃次