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少年の覚醒

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 小学校を卒業してから、いろいろあったはずなので、この十年は長かったのだろうと思っていたが、実際に校門をくぐると、
「まるで、昨日までここに通っていたかのように思えるくらいだ」
 と感じたのだ。
 一応、校長先生に挨拶に行っておいた方がいいだろうということで、下見がてら、挨拶に行った。下見と言っても、元々いた学校なので、道順などは知っている。それよりも、自分がいた頃と何か違っていれば分かるだろうという思いからだったが、それは不可能であることに気づいた。
 しょせんは、目線が違っていた。
 あの頃はまだ小学生で、地面にかなり近かった感覚だ。
 大人になって校門をくぐった時に最初に感じたのは、
「あれ? こんなに狭いグラウンドだったかしら?」
 というものだった。
 校舎だって狭く感じた。あれだけ、正門が広いと思っていたのに、両手を広げれば届きそうなほどではないか。
 それを思うと、自分の目線がどれほど高くなったのかということを思い知らされた。本当に背が高くなって、大人になったのである。
 校庭では、せわしなく生徒が走り回っている。まわりに気を遣う子供なんて一人もいない。それを見ると、
「私の時代もこんなだったのかしら?」
 と、少し違っていたように思えた。
 ここまで放任主義ではなかったと思うと、そこには、自分が小学生だった頃と、事情が変わってきていることに気づかされたのだった。
 以前から、言われてはいたが、それは一般社会の会社でのことであり、やっと、今学校という社会に根付いてきたということなのかも知れない。
 それはコンプライアンスの問題であり、会社でいうと、
「セクハラであったり、パワハラなどという、いろいろなハラスメントと呼ばれるものだ」
 ということであった。
 そういえば、大学の事務所の近くにある掲示板に、厚労省のポスターとして、コンプライアンスに対しての注意喚起を促す内容のものが書かれていた。
 イラストで、セクハラ、パワハラのたぐいのことを描いていて、その下に箇条書きでいかなるものが対象かと書かれていた。
「コンプライアンス違反によって苦しんでいる人は、一人で悩まずに、相談窓口へ」
 と書かれた下に、フリーダイアルの番号が書かれていた。
 どれほどの人がこのポスターを見て、自分が受けているハラスメントに耐えられずに相談窓口に連絡しているのか?
 そして、そのうちのどれくらいの人が、相談窓口で相談して助かっているのか、統計結果と教えてほしいものだと思った。
 ただ、漠然と、
「連絡をしてほしい」
 と書かれているだけなら、本当に相談したことの守秘義務さえ守られているかどうか分からない状況では、誰が信用して、連絡などするというのだろうか?
 学校というところも、ハラスメントがあったとしても、それは種類が違っているだろう。だから、一般企業とは違った対応を迫られるわけで、その専門家がどれほどいるかというのも問題だった。
 どうしても、一般企業の数の多さや、それによるハラスメントが後を絶えない様子であれば、こちらを重視してしまうのも無理もないことである。
 教職員の人が、結構辞めたりしているのも多いと聞いたが、話によると、
「精神を病んでしまって、辞めなければいけないところまで追い込まれてしまっている人が多い」
 と聞かされたことがあった。
 学校で一体何が起こっているのか、よく分からないが、校門を入ってすぐではさすがに分からなかったが、過去の自分が知っている小学校とは何かが違うということだけは、うっすらと感じられるようだった。
 確かに小学校とはいえ、精神的に病んでいるのは先生にも生徒にもいた。
 苛めの問題もどんどん低年齢化していき、小学生でも陰湿なものがあったりした。保護者からすれば、
「先生の教育が行き届いていないから」
 と言われるであろうし、教師側とすれば、
「小学生であれば、躾は親の問題」
 ということになるのだろう。
 それでも、聖羅が赴任した学校は、まだそこまで大きな問題にはなっていなかったのは、京都の施策がある程度うまくいっていたからなのかも知れない。
 部活の問題も教頭の発案で成立したものであって、それ以来、学校が活性化されたからなのか、大きな問題はそれほど起こらなかった。
 最初は、部活の話が会議の議題に出た時は、先生たちの中には反対する人も多かった。それは当たり前のことで、自分たちがいずれは顧問をしなければいけないことは分かっているからだ。
 小学校というのは、専門的分野だけを教えるわけではなく、国語、算数、理科、社会、さらには、芸術的な分野も体育まで、担任が面倒見なければいけない。
 それを思うと、教頭のやり方のせいで、自分たちが忙しくなったり、責任が増えてしまったりすることに懸念があったのだろう。
 しかも、前例のないことを始めるのだから、どちらに結果が転ぶのか分かっているわけではない。テスト的に行うことに自分たちが利用されてはたまらないと思ったのだろう。
 さらに、教育委員会が、この小学校を、
「モデル校」
 に指定したのだ。
 うまくいけば、手柄は発案者である教頭のもの。それを考えても、一介の教師とすれば、不満しかないのも仕方のないことであった。
 聖羅がこの学校に赴任してきた時、小学校での部活などという発想はなかった。ただ、
「何か手を打たなければならない」
 ということはあったようで、教育実習の時に、教頭と面会した時、
「坂上先生は、何か小学生にもできるような、画期的な活動ってないですかね?」
 とチラッと聞かれたことはあったが、それも、教頭の声が小さくて聞き取りにくいくらいのものだったので、聖羅の意識の中には残らなかった。
 教頭に挨拶にきた時、教頭は、
「先生たちの立場についても、いろいろ考えるところがあったりしてですね。でも、最近では世間的にコンプライアンスの問題や、男女雇用均等などの問題もありますので、結難難しいところもあります。私としては、気を付けているつもりなんですが、坂上先生も何か気になることがあれば、私に言ってくださいね」
 と言われた。
 聖羅の方でも、コンプライアンスに関しては、自分の目線の問題などからちょうど考えていたので、
「この教頭なら、私の意見と似たところがあるかも知れないわ」
 と感じていた。
 教室に入って、教頭と目を合わせた時は、なんとなく怖い感じがしたが、実際にはそうでもなかった。
 話をしてみると、優しさがにじみ出てくるような人で、
「さすが、年齢を重ねただけのことはある」
 と感じさせる人だったのだ。
 聖羅は、自分が教育学部にいることや、教師を目指しているという観点から、文芸サークルで書いていた小説には、どうしても、小学校であったり、中学校というシチュエーションをよく書いたものだ。
 自分が小学校に赴任した場合であったり、中学校に赴任した場合など、
「どんな教育をするだろう?」
 という考えや、
「どんな学校が自分を待っているのだろう?」
 ということを想像し、その中に、奇妙な味であったり、ミステリー的あ話を悪露混ぜたりした。
作品名:少年の覚醒 作家名:森本晃次