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少年の覚醒

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 それからは、一日一日があっという間に過ぎるようになり、以前は、毎日の時間を持て余していて、中途半端な時間をすごしていた自分が情けないくらいだった。
 だが、少しでも時間がもったいないなどと感じたことのなかった自分がそんな風に感じるなど、実に毎日が充実していると感じさせられるのだった。
「これが本当の大学生活の醍醐味というものなのか?」
 と感じた。
 することがあって、時間がもったいないと思うことがこれほど、毎日を充実させてくれるものかと思うと、誰かと一緒にいること自体がもったいなくなってきた。いわゆる、
「友達付き合い」
 が億劫になり、皆から、
「付き合いが悪いな」
 と言われるようになったが、それでもよかった。
 ただ、つるんで過ごす毎日がいかに無駄な時間を過ごしているだけのことだったのか、初めて知ったのだ。楽しそうにしていても、見る角度が違えば、
「あの世界に戻りたいなどとは思わない」
 と感じるのだった。
 確かに、今過ごしているこの時間も、お金になるものではない。しかし、充実した時間を過ごしていると、いずれは、お金となって返ってくるような気がするのだ。
 一日が二十四時間、その中で睡眠時間と、学校での拘束時間、そこには、通学に要する時間も含まれていて、後は、食事や風呂などのような生活に必要な所要時間を差し引いた時間が、自分の自由になる時間だ。
 すると、大体だが、残った時間が五時間くらいになるだろうか。あくまでも概算でしかないので、平均すればということになるが、五時間と考えれば、今自分が毎日小説に当てている時間が、約二時間弱くらいであろうか。自分の中では妥当な時間だと思っている。
 小説に当てている時間というのは、あくまでも、小説を書こうとして、机に向かっている時間のことだ。小説を書き始めるようになってから、家だけではなく、学校の近くにある喫茶店で書くこともある。最近では、電源を自由に使わせてくれる店も増えたのは、ありがたいことだった。
「一日に、二時間くらいは小説に当てよう」
 と最初からもくろんでいたわけではない。
 時間配分の中で一番しっくりくるのが、二時間くらいだったのだ。
 それ以上すると、今度は当てた時間にプレッシャーを感じ、毎日続けられなくなってしまう。
 二日に一回と考えると、一日が三時間以上ということになり、それはとてもではないがきつかった。
 それよりも、
「机に向かっていない時も、小説のことを考えていると、次作のアイデアも浮かんでくる」
 というもので、それが自分のルーティーンとなってくると、苦痛でもなんでもなくなってくる。
 毎日続けることに意義があると考えるようになると、苦痛でもなく、短すぎて、中途半端な気持ちで終わることがない状態になると、やっと一日が充実してくるように感じられるのであった。
 こんな充実した毎日を感じるのは、今までで初めてだったということを思うと、バスケットをしていた時には感じられなかったことであろう。
 あの時と何が違うのかということを考えてみると、
「自分で、何か新しいものを一から作ろう」
 という気持ちのあるかないかということではないかと感じた。
 人から言われて思い立ったことではあったが、この感情は、最初から自分の求めていたものだったということを教えてもらえたのは、実にありがたいことだった。
 作品の中身については、どちらかというと、好きにはなれなかった。
 あくまでも、
「質より量だ」
 と思うようになった。
 自分の作品に自信が持てないことの言い訳でしかないのだが、それでも、毎日が充実していることに間違いはない。毎日書き続けることができるのが、充実感なのだと分かってくると、質より量だというのも、悪いことではないと思っている。
 特に小説というのは、
「書き上げることに意義がある」
 と思っている。
 なぜなら、小説を書けない人間の一番の言い訳は、
「途中まで書いて、納得のいく作品を書き上げる自信がない」
 というものであった。
 最初に考えていたストーリーと気が付けばまったく違ったものになってしまっていることに途中で気づいて、そこで投げ出してしまう。そんな、俄か小説家が多いのではないだろうか。
「そんな連中に、小説が書けるわけはない」
 と、聖羅は思うようになった。
 小説というものは、どんなに途中、路線が変わったとしても、最後まで書き上げるエネルギーがなければいけない。つまりは、途中であきらめるということを繰り返していると、「永久に作品を書き上げることはできない」
 と、言えるのではないだろうか?
 小説の書き方などのハウツー本や、
「小説を志す人に」
 などというネット検索などで見てみると、
「一番大切なのは、最後まで書き上げることだ」
 というものであった。
 小説家を目指す人間が、途中で挫折する一番の原因は、最後まで書き上げることができないからだ。
 それは、自分の中で、
「小説を書くということは、実に難しいことなのだ」
 と考えるからで、難しいことをしようとして、できなくて当たり前だと思ってしまうと、そこで甘えが出てくる。
「少々のことで何か理由をつけて、書くのをやめてしまっても、それは自分が悪いわけではない。それだけ難しいことなのだ」
 という思いが自分の中で定着してしまう。
 一度定着してしまうと、書いている時、アイデアをひねり出す頭の部分で、言い訳がこみあげてきて、先に進まなくなってしまう。
 小説というのは、余計なことを考えてしまうと、そこから先は進まなくなる。そう思っていると、
「小説は考えて書くものではなく、自分で感じたことを、考えるよりも先に文章にして書いてしまうことが大切だ」
 ということであった。
 文章を思い浮かべて。そこから何かを考えてしまうと、よりいいものを書こうと、欲が出てしまい、せっかく思いついた発想を忘れてしまうのではないかと感じた。
 聖羅は、その証拠に、
「小説を書き始めてから、気のせいか、物忘れが激しくなってきたような気がするんだよな」
 と感じていたのだった。
 そんな小説を書いていると、気が付けば大学三年生になっていて、大学の勉強も本格的にしなければ卒業ができないという発想と、四年生になったら、就活にいそしむことになり、教育実習なども増えてきて、いよいよ社会人モードに頭の中を変えなければならなくなってくる。
 きっと、いきなり現実に引き戻されることになるのを分かっているので、今の間に、充実した毎日を過ごしておこうと考えたのだ。
 小説を書いているのは、あくまでも現実逃避ではない。充実した時間を自分なりに育成するためのものだった。
 だから、三年生の後半になって、いよいよ現実に引き戻されることになっても、自分の中に染み付いた充実した感覚は、拭い去られるものではなく、十分に、これからの人生に大いに貢献してくれるものだという自信を持つようになったのだった。
 教育実習には、自分の母校が選ばれた。聖羅としてはどこでもよかったのだが、母校だというのは、安心できるものだったのだ。

                 教頭先生

 十年ぶりくらいの母校だった。
作品名:少年の覚醒 作家名:森本晃次