孤独という頂点
彼女は、白衣にセーターを着て、肩から聴診器をかけていた。そして、手で膨らます形の血圧計を持っているイメージが強かった。いかにも看護婦という感じだったのだ。
彼女と、恭子は似ていた。ただ、それ以上に、その雰囲気から思い出されたのは、自分が童貞を捨てた風俗の女の子だった。
その女の子の馴染みになったことで、何度か通ったが、彼女は、あどけなさがポイントの女の子で、少しポッチャリしていたと言ってもいいだろう。
グラマーというには、あどけなさがアンバランスで、やはり、ロリ体系というべきだった。
看護婦を見て、最初に思い出したのが、風俗の女の子で、
「角度によっては、恭子に見える」
という雰囲気であった。
恭子は、二人ほどポッチャリではなく、小柄と言ってもいいだろう。ただ、あどけない雰囲気の割にはグラマーに見えるところで、風俗の女の子を思い出したのだろうが、顔の雰囲気が思い出せなかったことで、まるで逆光に照らされた顔を見ているようで、
「のっぺらぼうではないか?」
と感じるほどだった。
恭子と看護婦と風俗の女の子、それぞれに似ているので、まるで三段論法のように、
「二人が似ているから、もう一人とも似ている」
と思ったのだが、その距離は正三角形というわけではない。
どちらかというと、二等辺三角形というべきか、一つの線だけが短いような気がするのだった。
それが、誰かというと、イメージとして、看護婦と風俗の女の子だった。恭子は、二人から、少し遠い距離にいる感じである。
だから、最初に恭子を見た時、
「誰かに似ている」
と思っても。すぐにそれが誰なのか分からなかったのだ。
もし、看護婦がいなければ、風俗の女の子と、恭子の接点はまったく思いつかなかったかも知れない。
風俗の女の子に対して、一時期、本気になりかかったことがあった。
「相手は風俗の女の子で、アイドルを相手にしているようなもので、俺なんか、相手にしてもらえないさ」
と思っていた。
「しょぜんは、お金でつながっている関係」
と思えてならない。
だからと言って、割り切ることもできないのは、きっと若かったからだろう。
今であれば、決してかわいいと思っても好きになることはないと思う。好きになったとしても、先が知れていることが分かっているからだ。
そういう意味で、
「お金で割り切った付き合い」
ということで、楽しめればいいと思う、
何を求めているのかというと、
「愛ではなく、癒しなのだ」
ということが分かっているからだ。
愛というと、お互いの気持ちが通じ合っていなければいけない。相手は、あくまでも商売なのだ。
「お金を払って、癒しを買う」
と言ってしまうと、味気ないのかも知れないが、あとくされもなければ、
「その時だけの疑似恋愛だと思えば、アイドルにお金を使っているヲタクとどこが違うのだろうか?」
と思えてならない。
ただ、割り切るには、それなりに楽しみ方が分かっていないと無理であろう。相手に過度の期待は禁物だということだ。
そういう意味では、恭子のことをどんどん好きになっていく自分を感じる時、風俗の女の子を好きにはなったが、本気にならなかった自分のその時の心境を思い出してみたのだった。
「もし、風俗の彼女とは普通の友達だったら、どうだろう?」
店にいくと、友達が働いていたという感覚だ。
本当に最初の頃は、お店にいくのが楽しみな割に、店を出る頃には、自己嫌悪に陥っていた。
たぶん、風俗というものに偏見があったからだということと、お金を払って、セックスをするということに抵抗があったのだろう。
しかし、そのうちに、セックスそのものよりも、彼女と話をすることでの楽しさや、癒しがもらえることが、本当の目的だということに気づいてくると、お金が絡むことに対して罪悪感というか、背徳感を感じることはなくなってきた。
もちろん、お金を払うことを正当化させたいための言い訳だったのかも知れないが、それでも何度も通っているうちに、その気持ちが萎えるどころか、次第に大きくなっていくのだから、悪い気はしなかった。
そういう感覚から、ずっと通うつもりでいたのだったが、大学の方が忙しくなり、なかなか足しげく通うこともできなくなった。
アルバイトもままなだない状態での、卒業と就職問題。さらに、車の免許も取らなければいけない状態になったので、今まであれだけ持て余していた時間が、急に足りなくなったのだ。
それでも、何とか就職も内定がもらえ、卒業もめどが立ってきたことで、また癒しをもらいたいと思い、お店に連絡すると、彼女はすでに辞めていた。
一年近くも遠ざかっていたので、すでに辞めているかも知れないとは思っていたが、それもしょうがないことだ。
最初は、
「彼女でなくても、まあいいか」
と思って、店に行ってみたが、何かが足りない気がした。
同じサービスが受けられるわけだし、決して相手に不満があるわけでもない。ただ、何かが物足りないのだ。
「ああ、自分は彼女に会いに行っているような感覚を持っていたのだろうか?」
という思いと、彼女でなければ、本当に風俗通いをしていると自覚させられ、前の時のような、背徳感に見舞われることで、
「今さらどうして、こんな思いをしなければいけないんだ?」
という思いとが交錯し、もう、それから風俗は行っていなかった。
実際に就職して、田舎に引きこもってしまったので、田舎には、その手の風俗は存在しない。県庁所在地まで行かなければならず、祖語との疲れの後で、背徳感を味わうかも知れないと思うところに、わざわざ出かけていく気にもならなかった。
それだけ、仕事上では、肉体的な疲労に比べ、精神的な疲労はそこまでないということを意味しているのかも知れない。ただ、そこに背徳感が含まれると、仕事への活力が削がれる気がして、それが怖かったのであった。
一度目の赴任地に比べ、二度目の赴任地は、さらに田舎だったのだが、一度目が元々の都会からの下野だったので、カルチャーショックがすごかったのだが、二度目の下野は、そこまでひどいものではなかった。
田舎から田舎というのがその理由だったが、インフラの不便さはなるほど、確かにあまり変わらないかも知れないが、精神的な面で大きかったのだ。
その一番精神的なものでの違いは、
「この街は、想像以上に閉鎖的なところがある」
というところであった。
最初に感じた、この街の人のイメージは、
「何とも人懐っこい性格の人たちだ」
ということだった、
こちらから話しかけることがなくとも、相手から気さくに話しかけてくる。
特にパートのおばさんは、都会のことや、特に若者のことをよく聞いてくる。
「田舎にいるから、都会のことが気になるんだろうな?」
という思いが強かった。
元々、あまり人と話をするのが好きではないと思っていた洋二だったが、この街の、
「おばさんたち」
と話をしていると、そんな自分の性格を忘れてしまうほど、自分からも気さくに話をすることができる。
しかも、
「都会から来た」
というだけで、相手が饒舌になるのだから、こちらも有頂天になってしまう。