孤独という頂点
「緊急事態宣言」
なるものが発令され、外出をしないよう、政府からの要請があった。
時期的には一か月くらいのものだったが、街からは人が消え、店はほとんど閉まっていて、まるで昭和時代の正月のようだった。
空いている店というと、薬局とコンビニなどのような、絶対い必要なものだけであった。なんといっても、その二十四時間開いているのが当たり前のコンビニが、夜中に半分閉まっているくらいだったのだ。
ただ、コンビニが夜中閉まっていたのは、閉店要望によるものではなく、
「店を開けていても、客が来ないから」
という理由による。コンビニ独自の勝手な体制であったが、それだけ緊急性があったということであろう。
会社も休業しているところか、あるいは、リモートワークをしているところしかなく、鉄道もバスもほとんど客がいなかった。
その時、休業要請を無視して開けていた店もいくつかあった。そのうち、世間からやり玉に挙がったのが、
「パチンコ屋」
だった。
実際にはパチンコ屋で開けている店があったとしても、率からいうと少なかったので、パチンコ屋すべてを中傷するのはいけないのだが、当時は、パチンコ屋の、
「三店方式」
と呼ばれるものを批判するという意味で、パチンコ屋が攻撃された。本来は、パチンコ屋を攻撃するのはお角違いだったのに、それでも攻撃したことで、
「正義を笠に着て、これ幸いにと、ターゲットを絞る」
という意味で、本来ならいいことなのに、実際には悪いことをしているこのようなものを。自粛期間中だったということで、
「自粛警察」
と呼ばれた。
洋二もそんな自分が自粛警察になっていることを自覚していたが、それでも、どうすることもできない。思っていることを言葉に出したり、表に表したりしないと、後になって後悔すると思うからだった。
大団円
小説を書きたいと思ったのは、いつからだったのかということを思い出してみると、それが、恭子が原因だったことを思い出した。
「確か恭子は文章を書くのが上手で、会社の会報に乗ったのを見た時だったな」
というのと思い出した。
そして、もう一つ感じたのは、小説を書き始めるようになる数年前だっただろうか、世間では想像もできないような未曽有の大惨事をテレビニュースで立て続けに見たからだった。
一つは、大震災だった。
横倒しになった高速道路、高架の線路が埋没して、電車が埋もれてしまった光景、ビルの真ん中の買いが完全に抜け落ちたかのようになって、瞑れてしまった光景。それらの悲惨な光景を見たことはそれまでにはなかった。
さらに、もう一つは、その数か月後に起こった、東京での地下鉄内における、毒薬による、
「同時多発テロ」
だった。
小説を書き始めてすぐくらいには、米国のビルに航空機を激突させるという、宗教テロによる
「同時多発テロ」
も見たことで、考え方がかなり変わったのだ。
「人間、いつどこで何が起こるか分からない」
というものであった。
自然災害だけではなく、今はどこの組織が国家転覆を狙っているか分からない時代だ。
そんな時代に生きているのだから、
「明日は死ぬかも知れない」
と言えるかも知れない。
それを思うと、
「今日を楽しく生きるというよりも、死ぬまでに何か自分なりに成果を出して、何かを残したい」
という思いが強くなった。
なるほど、普通ならプロになって、小説家を目指すというのが本当なのだろうが、それも本当に最初の頃だけだった。
「詐欺商法」
と言われた、自費出版社系の出版社に引っかからなかったのも、今思えば、
「別にプロにならなくてもいい」
という思いがあったからだった。
プロになるつもりだったりしたら、詐欺に引っかかってでも、何とかお金を工面しようとしただろう。
しかし。洋二は、
「プロにまると、自分の書きたい小説を書くことができない」
ということと、
「定期的に作品を書き続けなければいけない」
というプレッシャーに勝てるとは思っていなかったからだ。
度胸がないと言われればそれまでだが、元々、
「何かを残したい」
というつもりだけだったので、お金を払って残した実績は嫌だったのだ。
少なくとも、本当に世間に認められての出版であれば、それでいい。そうすれば、金銭的なことで苦しむ必要もないからだ。
言い訳かも知れないが、
「アマチュアにはアマチュアにしかできないものがある」
と考えていたのだった。
今から思えば、恭子の文章には力があった。人を魅了するだけのものがあり、自分が恭子に一目惚れをしたのは、そんな恭子を分かっていたからではないかと思うのだった。
あの時は、別れてしまったことで、忘れようと都力したが、四十歳も後半に入り、自分のやりたいことを続けているということに、人生の満足を感じていると、
「思い出されるのは、恭子のことだ」
と、いうことに、気づいたのだった。
今まで、正直言って忘れていたが、洋二にとって大切だと思った人は恭子だった。
ただ、それは女として大切だったのか、それとも、
人生として、自分に一番影響を与えたという意味で、それが彼女だったのか?」
ということを考えると、その答えは出てこないような気がしている。
今までの人生の中で、五十歳になるくらいまでは、
「人間というのは、一人では生きていけるものではない」
ということであり、誰か自分を分かってくれる人が必要だと思っていた。
それが癒しであり、自分の好きな人であるべきだと思っていたのだ
しかし、そんな人が絶えず自分のそばにいるわけではない。下手にその人に頼ってしまって、一人では生きられないということを基準に考えてしまうことで、人と人との繋がりが絶対に必要なものだと思い込まされることで、結局、自分が何もできないことを、正当化しようと考えているのだとすると、今の自分を見直すことが、まるで悪いことのように思えてくるのだ。
もちろん、自分だけでは人間は生きていけないのは確かだろう。
だが、誰かを恨んだり、反面教師にすることで自分の人生を貫いていけるのだとすれば、それはそれで、その人にとって、悪いことではないと思えるのだった。
洋二は、五十歳を超える頃には、何か悟りのようなものを感じていた。
小説を書いている毎日が楽しくて仕方がない。仕事は仕事でしているが、そこは人生の目的ではない。ただ、生きていくうえでお金が必要なので、しょうがないから働いているというだけだろう。
「前の会社で、システムの仕事から、経理の仕事へと追いやられた時、あの時から、仕事に対しての情熱は、まったくなくなったと言ってもいい」
と感じていた。
ただ、あの頃には、梨花がいた。
そして、生まれてくる子供に自分なりに未来を託したつもりだった。
しかし、それはあくまでも綺麗ごとでしかない。梨花は洋二のことをすでに嫌になっていた。
分かっていたのに。それを認めたくないという一心から、自分に対して、
「相手が何も言わないのは、頼りはないのはよい知らせというのと同じではないか?」
と言っているのだろうと思っていた。