孤独という頂点
だから、恨みはひどいもので、
「一生、許さない」
と思い、
「自分が親になったら、あんな親にだけは絶対にならない」
と思ったものだ。
思い出すのが、中学の時だったか、友達の家に正月、友達が数人集まった時のことだった。
「皆、遅いから泊まっていきなさいよ」
と、友達のお母さんから言われ、皆電話で親の許可をもらっていた。
洋二もさっそく家に電話を入れ、
「今日、友達の家に泊まってくる。友達の親が、泊まっていきなさいって言ってくれたんだよ」
と説明したが、
「帰ってきないさ」
と言われた。
「何でだよ。皆泊まるって言ってるんだよ?」
というと、
「よそはよそ、うちはうち」
と言われて、強制的に帰らされることになった。
今でも、この言葉は嫌味な言葉の代表のように頭の中に残っているが、その時は、本当に自分が情けなくてたまらなかった。
――以前にも似たような経験があったような気がする――
というのを、その時に思い出していた。
あれは小学生の頃だった。
あの頃の母親は厳しく、学校から帰ってきてから、カバンの中のチェックが入ったのだ。ノートや筆箱、教科書に至るまで、時間割に沿って、ちゃんと揃っているかというチェックだった。
ある日、筆箱の中にあるはずの、赤いボールペンが入っていなかった。
「どうしたの? 赤いボールペンがないけど?」
と言われて、
「あっ、学校に忘れてきたのかも知れない。明日持って帰る」
というと、
「何言ってるの。もし今から必要になったらどうするの? 今から学校まで取りに行ってきなさい」
と言われた。
学校まで、子供の足で歩いて三十分はかかる。しかも途中は坂道になっていて、帰宅するだけで、結構疲れているのに、今からとんぼ返りで学校にいくなんて。しかも、今度はまた家まで帰ってこなければいけないので、倍の距離を歩くことになる。行って帰るだけで一時間を要してしまうのだった。
歩くことがつらいというよりも、
「どうして、ボールペンごときで、こんな目に遭わなければいけないんだ? 明日でいいじゃん」
と思い、母親にそういうと、
「何が、ごときよ。あんたのその考え方が気に食わないの。四の五の言わずに行ってきなさい」
と言われた。
洋二少年は、理不尽でありながら、母親に逆らうことができず、結局取りに行かなければならない自分の立場に腹が立った。
そして、情けなく思い、泣く泣く学校までの道のりを往復したのだった。
それ以降も何度も同じ目に遭っていて、それまでは、そんなにポカはしなかったのに、それから定期的にするようになったのだ。
「親に対しての反発心から、忘れてしまうということになってしまうんだろうか?」
と、洋二少年は感じたのだった。
子供相手に、何をムキになっているというのか、洋二は、苛立ちしかなかった。
その時の思いが、中学のその時、父親に感じた。
「皆が泊まるというのだから、俺一人くらい増えたって別に問題ないだろう」
という意識を持っていた。
またしても情けなくなり、涙が止まらなかったのを覚えている。
今度は自分が大人になって、友達などが、自分に対して何か言い訳をする時、あからさまに言い訳だって分かるような言い方をしている人に対し、怒りがこみあげてくる。
「何だって、そんな子供のような分かり切った言いわけをするんだ?」
と思い、これほどの怒り、これまでになかったよなと感じると、またしても、昔の父親と母親の理不尽さがこみあげてくる。
だが、今度は立場が逆で、言い訳をしている連中に憤りを感じると、この怒りはさらに深まってくる。
「あの時の父や母の気持ちは、今の俺の気持ちだったのだろうか?」
と感じると、
「まさにその通り」
としか思えないのだった。
だからと言って、両親を恨まないわけにはいかない。ただ、このことを感じるようになってから、
「ひょっとすると、父親も母親も、親から同じような教育を受けてきたのではないだろうか?」
と感じた。
その時に、どれほどの怒りがこみあげていたのか分からないが、この気持ちは間違いなく遺伝であることが分かった気がした。
逆恨みとも思えるが、これを自分の子供にも受け継ぐことが指名だという気持ちもあるのだった。
「父親と母親のどちらからの仕打ちがつらかったのか?」
と聞かれると、比較するには、酷似すぎることから、比較にならなかった。
しかし、時間的に近いという意味で、父親からの仕打ちの方が印象に深く残っている。しかも、理由が理由になっていないからだった。
理由を聞いても、
「うちはうち」
としか言わない。
恭子の時のように、理不尽ではあるが、理屈の通った理由ではないからだった。
「子供には何を言っても無駄だとでも思ったのか、それとも、自分も父親から同じように、問答無用で受けた仕打ちだったのか、それによって。父親に対しての思いも、結構変わってくる」
というものである。
父親の仕打ちを思い出していると、今回の恭子との時のことの対応は、まだ理屈的には分かるというものだ。
しかし、もうすでに子供ではないと思っている洋二には、納得できるものではなかった。ただ、会社ではまだ新人であり、まだまだ甘いところがあると思っているが、それは相手が他人だからである。
ずっと子供の頃から成長を見てきた父親に分からないはずもないだろう。それでも、このような仕打ちは、
「自分のことを、まだまだ子供だと思っているからではないか?」
と感じたのだ。
しかも、子供としては結婚を考えている一生の問題である。それを、親が理屈も説明せず、反対するというのが、これほど理不尽だとは思わなかった。
まるで、封建制度のようではないか。
戦前までは、まだまだ封建的な風習は残っていて、許嫁なるものが存在し、親が勝手に結婚相手を見つけてきたりして、
「政略結婚」
というのも、頻繁に行われていた。
もちろん、由緒正しき家でしかないことなのだろうが、勝手に結婚相手を自分でみつけてもいいという時代ではなかったのだ。
江戸時代に存在した、
「士農工商」
なる身分制度は、あくまでも、政治的な意味があった。
農民が、生活が苦しいと言って、勝手に土地を捨てて、他の土地に行ったり、商人になったりすると、計画している年貢が取れなくなる。
年貢という言い方をすると、いかにも悪代官が農民を苦しめているかのように思えるが、一口で言えば、
「税金」
である。
今の日本国憲法でも、国民の三大義務として、
「勤労、納税、教育」
の三つの中に入っているのが税金ではないか。
しかも、今は直接税として、誰にでも絶対にものを買ったらついてくる
「消費税」
というものがある。
税金がなければ、国家が成立しないのである。
当時だって、
「そもそも、幕府がなければ、自分たちだって何もできない」
ということになる。そういう意味では、税金を納めることは絶対なのだが、その方法がかなり間違っていたり、強引だったりするのが、問題なのだ。