孤独という頂点
だから、交際というのは、基本は恋から始まるもので、付き合っていくうちに、相性が心身ともに合っているのかどうかを考えて、合っているということを相手と気持ちを共有できた時、それが愛に繋がるのだと思っている。
つまりは、まだ、お互いが好きだという感覚が成長していない間は、恋であり、お互いに好きだという気持ちを共有し、その理由を理解しあうことができて、初めて愛だということになるのだろう。
洋二は、自分が恭子と、愛し合うところまでは行ったと自分では思っていたがどうなのだろう? 愛し合っているからこそ、結婚を考えるようになったのではないか。
洋二が一人で勇み足をしていたのだとすれば、それはまだ恋でしかなかったということだ。
そんな状態をまわりは、冷ややかな目で見ていたに違いない。
怪しいと思っても、もう引き返すことができないところまで来ていることに、洋二も分かっていた。
先に進むにも戻るにも、足が竦んでどうすることもできないという、
「吊り橋の、中腹」
まで来てしまっているのだ。
「行くも地獄、戻るも地獄」
の状態を、いかにして突破できるかというのが、問題だった。
そんな状態を見ていたからなのか、途中まで親も賛成してくれていたのに、急に冷たくなった。
「お前はまだ会社に入ってから間もないじゃないか。恋愛にうつつを抜かしている場合ではないのではないか?」
と言って、結婚を焦る、いや、焦っていることには気づいていない洋二にそう言った。
確かに洋二とすれば、
「結婚してしまえば、何とかなる」
という思惑があった。
ただ、相手の親からせかされたわけではない。恭子の方では、
「早く結婚してm親を安心させてやりたい」
という気持ちがあるようだ。
相手の母親も、洋二のことを悪い人だとは思っていないようで、完全に賛成というわけではないが、反対する理由もないというところで、理解のある母親だと言ってもいいだろう。
そうなると、一人勇み足を踏んでいるのが、洋二だった。
洋二とすれば、
「恭子の心の中に、まだ前の人の意識が残っている、それを打ち消すには結婚するしかない」
と思っていた。
恭子の中に、前の人を意識するつもりがあったかどうかハッキリとは分からないが、無意識のうちに、洋二を前の男性と比較対象にしているのが見受けられた。
洋二にとって、これは容認できることではない。なんといっても、比較された相手がすでにこの世にいない人で、自分のまったく知らない相手だということだ。
競争しようにもどうすることもできない。そうなると、恭子を完全に自分のものにするしかないという考えに至り、勇み足になってしまったとしても、それも無理のないことではないだろうか。
恭子というのは、無言で相手に圧を掛けることに長けている女性のようだった。しかも、洋二は、そんな女に引っかかりやすい男性だったともいえるかもしれない。
つまり、
「この女にして、この男あり」
というべきであろう。
父親は冷静に見て、二人をそう分析した。
「こんな女に息子が騙されているのを、黙って見ているわけにはいかない」
というところである。
しかし、結婚に関しては賛成した以上、今さら理由もなく反対するのは大人げない。そうなると、適当に理由をつけることになるのだが、仕事を持ち出すのは、理由としては妥当であろう。
しかし、実際に言われる洋二としては、
「あからさまな反対をしたいから、仕事を持ち出したんだ」
と思い、逆上してしまう。
もし、父親がこのような姑息な手を持ち出さなければ、ひょっとすると、自力で現状を理解し、解決できrだけの素質を、洋二は兼ね備えていたのかも知れないが、父親のそんな露骨なやり方が、火に油を注いだのだった。
だから、今度は父親に対しての嫌悪から、
「親子喧嘩」
に発展してしまったのだ。
静かに状況を見極めれば、何とかなったかも知れないが、その時点で、もう破局は決定的だったのかも知れない。
後は、どのように推移するかであったが、やはり悲惨な方向にしか行かないのが世の中の常とでもいうべきか、仕事も手につかず、まわりをいろいろ巻き込んで、結局、二人は歌曲。そして、洋二は転勤を余儀なくされた。会社としては、当然のことだろう。
しかし、私恨として残ったのが、親子喧嘩だった。親の思惑通りにはいったが、息子は親を決して許さない。事なきを得たのは間違いないが、気持ちも分かろうともせずに、引っ掻き回されたという気持ちが大きかったのだ。親に対して、
「絶対に許さない」
という気持ちが、ある意味、生きる糧になったわけだから、世の中一体、どうなっているのだろう?
そんな応対でも、仕事はうまく転がるもので、転勤で半年倉庫の仕事をさせられたが、その後、本社へ移り、今度はシステムの仕事という、まったく畑違いの仕事に就くことになった。まわりは、
「おいおい、結構な出世じゃないか。システムって花形なんだぞ」
と言われたのだ。
最初は、システムというところがどういうところなのか、まったく知らなかった。
「伝票の入力でもするところじゃないのか?」
という程度にしか話を聞いていたわけではないので、
「何だ、単純な事務作業か?」
と思っていたが、実際に行ってみると、いろいろな機会が並んでいて、パソコンが長机の上に並んでいた。
当時は、ノート型のパソコンというと珍しく、ブラウン管型のデスクトップで、場所もそれなりにとっていた。
今のように、一人一台などという時代ではない、しかも、パソコンというのは珍しく、当時はオフコンや、汎用機と呼ばれる大型コンピュータが主流であった。
しかも、まだマウスなどのない時代である。キーボードの矢印キーで、カーソルを操る時代だった。
さらに、今のように、一般の会社員が扱えるような表計算ソフトがあったわけでもない。資料もまだまだ手書きが多く、コンピュータというと、専門技術を会得した人が、プログラムを開発することで、社内をシステム化する時代だったのだ。
だから、システムの人間というだけで、専門技術を持った人間という目で見られるというわけである。
そもそも、システムに配属になった時点での洋二は、まったくそんなことすら知らなかった。
自分がプログラマを目指すなどということお分からず、コンピュータメーカーが主催する、
「コンピュータの基礎」
という講座に一日行って、まずはどういうものなのかということを知り、その後で、一週間ほどみっちりと、コンピュータ言語の基礎を勉強しに行ったものだ。
その時は一人ではなく、新人の後輩がいたので気が楽だった。
彼は、当時まだ珍しかった、コンピュータの専門学校を出て入社してきた。
「軽く齧ったくらいですよ」
と言っていたが、洋二には先生に見えた。
後輩の方としても、
「先輩は、こんぴょうたに関してはずぶの素人だけど、会社の業務に関しては、二年間も支店にいたこともあって、よくわかっているんだろうな」
という尊敬の目で見ていてくれたようだ。
会社もそんな二人を一緒に勉強させることで、それぞれにいい影響を与えようと考えていた。