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正夢と夢の共有

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 スポンサーとしても、ドラマのファンも、野球ファンも無視できない。妥協しての三十分なのか、そのあたりもテレビ局との調整で難しいところだ。
 放送局によっては、一切延長放送をしないところもあるが、そういうところは、えてして視聴率も悪いというものだ。
 そんなプロ野球ファンのために、有料放送が始まったのではないかと思われるが違うだろうか?
「民放だったら、ちょうどいいところでコマーシャルが入って、見れなかったり、試合の途中で放送打ち切りになったり、試合開始時間が六時からなのに、テレビ放送は七時からなどということは、有料放送ではない。
「あなたの贔屓のチーム、ホームゲームはすべて、最低でも試合開始から、試合終了までお届けします」
 という触れ込みである。
 しかも、スポーツチャンネルをいくつも用意しているから、贔屓チームのない人であっても、セットで申し込めば、好きなチャンネルをチョイスできる。
 一つのチャンネルがイニングまたぎの時間であれば、別のチャンネルが見れるというわけである。これはありがたいことではないか。
 しかも、一つのチームを完全に贔屓している、これは、
「有料チャンネルなので、見たくない人は契約しなければいい。契約している人は、このチームの贔屓ということで、思い切り偏った放送をしても、誰も文句を言う人はいないだろう」
 だからこそ、試合開始前には、選手へのインタビューコーナーであったり、イニングの途中などは、過去の栄光のフィルムを流してみたり、試合終了後も、球場の興奮を一緒に味わうということで、勝利の時のイベントまで放送するのは、実に至れり尽くせりである。
 もちろん、有料なのだから、それくらいあってもいいだろう。
「ただよりも高いものはない」
 と言われるが、有料であれば、いくらでも客中心の番組が作れるということで、
「どうして今までこのような発想がなかったのか?」
 と感じるほど、有料がありがたいと思えるというものだ。
 最近では、何でもかんでも有料となっているが、それも悪いことではないと思っている。
 レジ袋も有料だが、レジ袋を何かに使いたいが、無料なので、余計にほしいと言ってお、店側は、
「ない」
 というに違いない。
 しかし、今は、三年だったろ、五円だったりするわけだ。
「五円だったら、お金を払ってでももらおう」
 という人も他にはいるだろう。
 逆に、店側には、こちらがお金を払うのだから、文句は言わせない。
「ありません」
 と言おうものなら、
「商品じゃないか。置いていないとはどういうことだ?」
 とこちらが文句を言っても、相手は言い訳ができるだろうか。
 もし、何かを言えば、
「そんなのは言い訳だ。品切れさせておいて、何を偉そうなことをいう」
 と言って、文句が言えるのだ。
 有料になってしまうと、強いのは、お金を払う人間だ。今まで民放が、
「客よりもスポンサーの方が強い」
 というのは当たり前のことで、別にどこかのアルファベット三文字に日本放送協会のような、
「受信料なるもの」
 を取って、運営している放送局とは違う。
 視聴率という数字が、企画制作の成績となり、スポンサーがつかないと、いくら制作しても、放送されることもない。
 逆に、スポンサーが時間帯で枠を持っていても、企画ができなければ、その時間空いてしまうことになるのだ。
 確かに有料放送でもコマーシャルはあるが、それは、すべてを視聴者にゆだねてしまうと、その分視聴料が高くなってしまうという理由と、これは想像であるが、民放の場合は、ドラマがスポンサーありきなのだから、逆にスポンサーをなくしてしまうと、ドラマ自体を制作できなくなる。
 確かに、有料放送の多くは、かつて、どこかで放送された番組を、再放送するというものがほとんどだ。
 企画してドラマを作るわけではなく、著作権を払って、放送するという方が、安くつくのだろうか?
 ただ、視聴者の年配の人は、昔の番組の再放送を結構喜ぶところがある。これこそ、需要と供給がうまくいっていると言ってもいいだろう。
 今回のイベントは、地元のケーブルテレビと提携してのことだった。
 こちらも、有料放送の形をとっていて、今では結構入会している人も多いという。
 ケーブルテレビの場合は、有線なので、アンテナを自分でつけるわけではない。電話線のように、家庭に引き込んで、そこに有料放送を数十チャンネル視聴できるようにして、月額いくらで、民放、BSなども一緒に見ることができるというものだ。
 そんな放送局はローカル色を打ち出し、中には自治体の市議会などを中継したりもしている。
「何か地下アイドルに似ているかな?」
 という人もいる。
 地下アイドルというのは、元々は、音楽や楽曲を披露するための王道のアイドルを目指すものであった。
 かつては、その路線だったものが、次第にバラエティであったり、クイズ番組など、あらゆる番組に呼ばれるようになり、かつてのアイドルと違って多様化してしまった。
 しかし、王道のアイドルを目指すという路線を貫いているのが、基本的に地下アイドルと言われるものである。
 今では地下アイドルというと、まるで、野球でいえば、二軍のようなイメージでとらえられ、メジャー昇格を夢見ている選手たちというイメージであった、
 しかし、メジャーデビューしても、その内容はあまり変わっていないかも知れない。
 コンサートやライブ、さらには握手会などのイベント、そして、グッズやチェキ券の売り上げなどが、そのアイドルグループの中でのランクになってしまうのだ。
 特に、メンバーの多いアイドルグループというのは、
「選抜制」
 というのがあり。
 総選挙などが行われ、そこで選ばれたメンバーがテレビなどで、顔を売るというのが基本的なスタンスである。
 地下アイドルも、メンバーが多いところもあるが、基本的にテレビに出るわけではないので、ライブ会場に入れれば、どれだけのメンバーでもいいということになる。
 しかし、競争という意味もあって、グループをさらに細分化することもある、グループをユニットという形で細分化し、それぞれに活動させるというのも、多く行われている。メジャーデビューしたグループに多かったりするだろう。
 結構地下アイドルのファンも多いのではないだろうか。
 地下アイドルのファンにこそ、
「俺たちこそが、本当のアイドルのファンなんだ」
 と思っている人お少なくないだろう。
 地下アイドルの頃から注目していてそんな彼女たちがメジャーで売れた時、
「俺たちは、地下アイドルの時代からずっとファンだったんだ」
 と言って、にわかファンに威張ることができると思っている。
 しかし、実際にはメジャーデビューしたことで、これまでとは違って、
「自分たちは、もうメジャーなんだ。もう、マイナー時代のようなヲタクたちにファンでいてもらう必要はない」
 という思いのアイドルもいないとも限らない。
 ファンというのは、自分の好きなメンバーであれば、誰よりもその子のことが分かっているというものだ。
作品名:正夢と夢の共有 作家名:森本晃次