正夢と夢の共有
と思っている相手が実は違ったのだということを自分に認めさせようとしてみた夢だった。
怖いわけではないのに、ここまでハッキリと覚えているというのは、自分の中で、何かわだかまりのある夢であるという自覚があったからだろう。
みのりは、あのストーカーをマネージャーだと思っていた。しかも、それは思い込みではないかということも意識していたのだろう。
なぜそんなことを感じたのかということが、この夢で分かったような気がする。要するにみのりは、
「自分の中で納得させることで、怖さから逃げ出したかったのだ」
ということである。
犯人が誰であるか分かっている方が、どれだけ気が楽であるか。いくらでも、事前に手の打ちようがあるというものである。
今のところ、危険が差し迫っているわけではないので、そこまで切羽詰まっていないが、危ないと思えば、事前に警察に捜査をお願いすることもできる。ただ、警察は基本的に、何かが起こってからでないと、動いてはくれないという、その存在価値すら疑いたくなるほどの、
「税金泥棒」
であるが、事前に手が打てるというのもいい。
最悪、事務所の社長に報告することもできる。彼女の社会的立場を抹殺することだって可能だ。
この場合も一歩間違えれば、逆恨みがさらにエスカレートしないとも限らない。そういう意味でも、今は動くべきではないだろう。
ただ、相手が分かっていると、それだけでだいぶ安心である、いつどこから狙われるか分からないことほど恐ろしいものはない。
それはまるで、三大恐怖症と呼ばれる。
「暗所、閉所、高所恐怖症」
と似たところがあるだろう。
実際に危険が差し迫っているわけではないが、恐ろしさで手足がすくむという状態になってしまう。
そんな時、恐怖がどのように自分に迫ってくるかということを考えると、
「これは自分だけが感じていることではなく、皆頭の中にあるものだ」
と思ってしまい、ある意味、集団意識によって、精神的に救われることもあるのだと考えさせられてしまうのだった。
ストーカーというのも、同じで、
「今のところ、安心だけど、いつ何が起こるか分からない」
という感覚が見えない敵を想像させ、恐怖を募らせる。
夢というのは、その恐怖を和らげる緩和剤のようなもので、夢という形で、自分が思っている恐怖をいかに納得しながら、和らげてくれるかというのが、潜在意識というものなのだろう。
ただ、これはあくまでも願望という夢である。正夢だという根拠はない。ただ、みのりの中で、
「犯人はマネージャーではないんじゃないか?」
と考えると、却って怖く感じられ、夢では助けてもらえたけど、実際には自分が危険な目に遭っていたのではないかと思うのだった。
昔は確かにストーカーという言葉もなく、誰かに付け狙われていたとしても、罪になることもなかった。
犯罪にしても、電車の中の様々な犯罪も同じ頃に言われるようになった。
以前は車内放送などでは、
「スリや痴漢の被害に遭われたり、発見された方は、駅員にお知らせください」
と言っていたのだが、それに、今では、
「盗撮」
という言葉も入ってくる。
これは、今から二十年くらい前から急速に普及し始めた、携帯電話の影響であろう。誰もが電車の中で携帯を見ていたのだ、満員電車の中では、皆が携帯電話を見ているのだから、スカートの下から狙ったとしても、分からない。ただ、携帯電話では、シャッター音が必ず鳴るようになっているので、盗撮はできないようになっている。
中には、百貨店やホームに続くエスカレーターや階段で、カバンに携帯を忍ばせているやつらもいる。カバンの中に入っていると、なかなか盗撮も難しい。定期的な犯罪として、例えば、市役所などで、市の職員が女子トイレに盗撮カメラを設置していたなどという事件もよく聞く。
考えてみれば、携帯電話が普及した頃、盗撮をしていた連中は、ある意味、やりたい放題だったであろう。
シャッター音もなかっただろうし、カバンの中に忍ばせておけば、気づかれることもない。警察も狙われた女性も、まさか盗撮などされるなど思ってもいないはずだからである。最初に捕まった時は。文字通り、
「前代未聞の事件」
だったことだろう。
そのような事件がどんどん増えてきて、社会問題になって、やっと、
「法整備が必要」
ということで、やっとこの話が国会で議題になる。
議題になってから、どれくらいで法律が施行されるのかは分からないが、法律ができたとしても、すぐに効果が出るとは思えない。
当然、見つかれば逮捕ということになるだろうが、それによって、いきなり裁判ということにもなりにくい。裁判になっても、初めての事例なので、判例などもない。裁判官としても、実にやりにくいことであっただろう。
しかし、社会問題であり、そういう問題が明らかになってきたことで早急な法整備がされたのだから、ある程度、
「見せしめ」
という形の判決が出たのではないかと思う。
そうでなければ、世間は黙っていないだろう。
しかも、当時は、男女雇用均等法が騒がれていて、ちょうど同じ頃に、変更になった名称もいくつかあった。
「女性だけの職業でもないのに、あたかも女性の職業だという形の言われ方をするもの」
というものが対象だった。
例えば、
「看護婦が看護士」
「婦警が、女性警察官」
「スチュワーデスが、キャビンアテンダント」
などである。
スチュワーデスなどは、パソコンでスチュアまで入れると、候補に挙がる文字は、
スチュアート関係くらいであり、スチュワーデスというと、昭和のドラマにあった、
「スチュワーデス物語」
というのが出てくるくらいであった。
そんな時代だったので、余計に盗撮などは、厳しかったに違いない。
その分、今の時代は至るところに防犯カメラが設置してあるというのも、当時の盗撮禁止を法制化したことを思えば、おかしな気がする。
ただ、あの頃から結構、いろいろな問題も持ち上がっていた、今度はネットの普及によって起こったことだが、サイバー詐欺などが増えたことから、
「個人情報保護」
「プライバシーの保護」
という見地の法律ができてきたのだった。
つまりは、文明の利器を作り上げると、それに伴って起こる犯罪も、どんどん出てくる。
解決しては、また出てくるという、
「モグラ叩き」
のような状態は、コンピュータウイルスにも言えるであろう。
実際のコンピュータではないウイルスだって、一定期間で、自分たちが生き残るために、
「変異を繰り返す」
という。
コンピュータウイルスは人が作ったというだけで、それを駆除するソフトが開発されると、今度は、犯罪者側でも、もっと強力なウイルスを開発し、それをまた駆除するものを開発する。
そんないたちごっこを繰り返しているのは、まるで、
「冷戦時代の、核の抑止力」
のようではないか。
相手が強力な武器を開発すれば、こちらもさらに強力な武器を開発する。つまりは、こちらが打つと相手も打ってくるわけだから、結果は共倒れでしかない。どちらも滅亡を意味し、それこそ、一撃必殺の、
「神風特攻隊」