回帰のターニングポイント
「よく分かりました。そういえば、父親が、熱がある時、首にタオルを巻いていたんだけど、あれでは却って身体に熱が籠って、苦しいだけではないかと思っていたんだけど、医学的にはそれが正しいということですね?」
と聞くと、
「そういうことになるね。君のお父さんはよく知っているようだね?」
と聞かれたので、
「ええ、お父さんは、健康には厳しい人で、おいしくもないと思えるものを好んで食べていたので聞いてみると、これは皆身体にいいものなんだよと言われたのを覚えています」
という。
「確かに、健康オタクのようだね。君もお父さんから、それを食するように言われなかったかい?」
と医者に聞かれ、
「ええ、言われましたけど、僕にはどうも」
と言って、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「まあ、そこまで子供に要求するのもとは思うけど、そんなお父さんからの遺伝があれば、いずれ君も健康には留意するようになるだろうね」
と言われた。
本当は先生は、
「お父さんは、かつて何かの病気をした時があって、その時に健康食品に目覚めたのかも知れないね」
と言いたかったのだろうが、敢えて言わなかったようである。
熱がでるメカニズムを知っていることで、
「熱が出るということも、本当に悪いことではない」
ということが分かってくると、少々熱が高くても不安ではなくなっていた。
熱が出るメカニズムが分からなければ、熱が上がっている時は体調同様に、精神的な不安が募ってきて、寝ているだけで、何か悪いことをしているかのような錯覚に陥るのだった。
元気な時は、風邪を引いて寝込んでしまい、学校を休んでいる人がいれば、不謹慎にも羨ましく感じたり、出てきてからは病み上がりできついだろうと思っているはずなのに、
「何日も休んだんだから、それだけのことをしてもらわないと」
と、その人に仕事を押しつけてしまいそうになる自分を感じていた。
自分だって病気に頻繁になっているのだから、病気になった人の気持ちが分かるはずなのに、なぜこんなに休んでいる人のことを、偏見で見てしまうのだろうか。
一つには、
「きつかった時のことは、その時にしか分からない」
と思っているからであろうか。それとも、
「学校という場所が特殊で、そこから離れると、学校にいる間と見えているものがまったく違っているからであろうか?」
という思いが錯綜しているのであった。
夏と冬とでは、病気になった時は症状がまったく違う。風邪一つとっても同じことで、
「重症化しやすいのは冬であり、熱のわりに、異変が起こっている部分が多岐にわたっていて、きつさはどちらかというと夏も方があるような気がする。夏というのは、熱が低いだけに、すぐに治るとまわりから思われるが、冬は、なかなか治らないと思われる。あれだけきついのに、早く治ると思われる方がプレッシャーで、治るものも治らないという感覚に陥ってしまったようだ」
だからと言って、冬の方が楽というわけではない。
冬には一気に熱が上がって、三十九度を越えるなどザラであったが、さすがにそこまで熱が出てくると、意識は朦朧としてしまい、起きることができないくらいになっていることだろう。
頭がボーっとしてきて、食欲もなく、頭痛と吐き気もあるのに、熱のせいで、意識が頭に通じないのか、いろいろ感覚がマヒしてしまっているように感じるのだった。
今までにインフルエンザに罹ったこともあったが、あれは中学の頃だっただろうか。
元々扁桃腺持ちなので、高熱には慣れているつもりだったが、さすがにインフルエンザはそう簡単にいかなかった。
不安な気分は、普通の風邪の時よりもかなりあり、
「普通、ここまで熱が上がれば、後は汗を掻いて、熱を下げるだけだ」
と思うものだが、肝心の汗が出てきてくれない。
頑張って病院に行って、解熱剤を打ってもらうか、座薬を入れてもらったりすると、数時間で汗が噴き出してきて。次第に身体のきつさが解消されていく。
感覚がマヒしてきたというよりも、スーッと楽になるのであって。
「もう熱も下がったかな?」
と思って体温を測ると、まだ実際には三十八度以上の熱があったりする。
しかし、熱が上がりかけの三十八度と、下り坂の途中の三十八度とでは天と地ほどの差があり、熱が上がっている時は、
「どこまで上がるんだろう?」
という不安のみで、逆に下がりかけの時は、
「これですっかり熱が下がるはずだ」
という確証めいたものがあるのだった。
要するに、病気に対しての不安度がまったく違っているのだった。
たとえば、平屋建ての建物の二階に上った時、上から見るのと下から見上げるのでは、まったく違った感覚になるというものだ。
上から見下ろす時は、二階であるにも関わらず、三階くらいの高さから見下ろしているように感じ、高所恐怖症の人であれば、眩暈を起こすレベルであろう。
さらに、その少し高いところから、二階に佇んで下を見ている人を見るとすれば、二階までの距離と一階までの距離が同じはずなのに、二階までの距離が一階までと変わらないくらいに感じられ、二階にいる人が、さらに、
「落ちるのではないか?」
と思えてきて、恐ろしく感じられるくらいであった。
そんな錯覚を感じるのは、当然、高所恐怖症であるということが原因だが、上から見下ろした時、自分の下にいる中途半端な高さの人間に対して恐怖心を感じるというのは、どういう心境であろうか?
つまりは、恐怖を感じるのをどの時点で感じるかということと、どちらの方向に向かって感じうかということになるのだろう。
高所恐怖症と、病気による発熱とを、単純に比較というのはできないとは思うが、意識がどのように違ってくるかということで、参考にはなると思うのだった。
自分が熱にうなされている間、身体にいろいろ弊害が出てくる。喉の痛みと発熱から、口の中は酷い状態になり、熱が上がり切る前から、口内炎がいくつもできて、解熱剤が効いてきて、熱が下がり始めても、口内炎は消えてはくれない。
口内炎がひとたびで来てしまうと、今までの経験から、一週間から十日は、口の中で蔓延ってしまう。酷い時には口の中で増殖し、いくつもの小さな口内炎ができるのだが、それが近かったりすると、大きくなっていく間に、二つのものが融合して一つの大きな口内炎になってしまうことも結構あったりした。
口内炎の薬も、飲み薬から軟膏までいろいろあるが、実際にいろいろ使用してみたが、効き目はいまいちだった。
しかも、軟膏などの塗り薬になると、患部に指で塗り込む形になるので、涙が出てきそうなくらいに痛いものだ。
熱がある時にそんなことはできないので我慢していると、元々喉がカラカラに乾いているところに持ってきての直接患部に触るのだから、これほど痛いものはないと言えるのではないだろうか。
口内炎というのは、栄養のバランスが崩れている時や、胃が悪い時になったりするものだと言われているが、
「布団をかぶって寝た時などのように、身体に熱を持ったり、のぼせた時などによく起こるものだ」
という話を聞いた。
作品名:回帰のターニングポイント 作家名:森本晃次