回帰のターニングポイント
いつも、二、三人の患者が、母親に連れられて待合室にいるのだが、自分も母親に連れられてきているという感覚はそれほどなかった。
低学年の頃は病室に母親と一緒に入っていたが、高学年になると、病院に付き添ってはくれるが、病室に入ってくることはなかった。
それが当たり前なのだと肇少年は感じ、
「本当なら病院にも一人で来るべきなのではないか?」
とまで思うようになっていた。
ただ、普段と違って、熱が三十八度以上の時が多く、ほぼ毎回、解熱剤を打ってもらっていたという意識がある。
二の腕の静脈注射であれば、それほど痛みは感じないが、肩に打つ筋肉注射は嫌だった。最初の頃は怖くて打つ瞬間を見たことがなかったが、ある時見ると、驚愕だった。
何と、腕に対して、垂直に打っているではないか。見た瞬間にゾッとしたものだ。
「腕が痺れないですか?」
といつも言われていたが、なぜそんなことを聞くのが疑問だったが、そうやらそれが、注射を垂直に打つということが原因であると思うと、意味もなく納得できたのだった。
注射の液が入っていく時の痛みは、腕に痺れはないのだが、力が入らない気がした。
垂直に打っているのを見てから、さらに腕に力が入らないことは分かっていて、針が刺さっている時間は、ほとんど一瞬だっただろうと思うが、実際にはかなりの時間がかかったような気がした。
最初にチクっとした時には、徐々に痛みを感じていったが、針を抜く時は、一気に抜かれ、またその瞬間、だるさを感じるのだった。
すかさず、看護婦が肩に四角い小さな白い絆創膏を張り、打った部分を手で押さえて、そのまま揉んでいるのだった。
「この部分をしばらく揉んでくださいね。そうしないと、硬くなって腕が痛くなりますからね」
と言われていた。
最初の頃は、それほど揉んだことはなかったので、看護婦さんの言う通り、確かに打ってから数時間経った頃から、だるさと痛みが襲ってきて、腕が上がらないくらいになってくる。肩を触ってみると、硬くなっていて、痛みを伴っているのが、たまらなかった。
おかげで熱はだいぶ下がってきていたが、腕の痛みがなかなか取れないことが辛くて、次からは、看護婦さんに言われた通り、必死に揉むようにした。
気のせいなのか、それとも、本当にそうなのか、心なしか痛みが和らいだような気がする。だが、どんなに揉んでも痛みが完全に消えるまでには、少し時間がかかった。そのうちに、
「この痛みを含めたところでの病気なんだ」
と思うようになり、必要以上の痛みを感じなくなっていた。
最近の筋肉注射は、、昔と違って、
「揉んだりしないでください」
と言われている。
それは病気の時の解熱剤ではなく、予防接種やワクチン注射の時で、
「どうしてなんですか? 昔は痛くなるから、あれだけ揉んでくださいって言われているのにですよ。僕なんか必死で揉みましたよ」
という人もいた。
看護婦とすれば、
「昔はよく分からないですが、今は揉んでも揉まなくても、痛みが残るのは残るようで、だから揉まないということが主流になっていますね。却って揉むというのはよくないことだと言われているようです。きっと、医学が進歩したんじゃないでしょうかね?」
と言っているようだ、
患者の中には、
「だったら、痛みのない筋肉注射を開発してくれればいいのに」
といい、さらには、
「わざわざ筋肉注射にしなくても、静脈注射でいいレベルに開発してもらいたいものだ」
と愚痴をこぼしている患者もいる。
とにかく、病院で打たれる注射というのは、あまり気分のいいものではないと思っていたが、高校生の頃から行っていた献血は、嫌ではなかった。
静脈に打つ針は、一瞬チクッと来るが、針が入ってしまえば、漏れていない限りは、その後痛みを感じない。
薬が入ってくるわけでもなく、自分の体調が悪いわけでもない。痛みを感じる要素などどこにもないのだった。
子供の頃に、熱があって病院に行くのだから、ただでさえ、寒気は身体の痛み、そして頭のボーっとした感覚は辛いものがある。それだけに注射が痛いのは当たり前で、身体に持っている熱の中に冷たい薬の液体が注入されるのだから、それだけでも痛いと感じるのは当たり前のことだった。
風邪や発熱のメカニズムについても、鈴村先生が優しく教えてくれた。
先生は、もうかなりの年のようで、
「おじいさん先生」
と呼ばれていた。
看護婦一人に先生一人という、完全な個人病院であり、看護婦さんもどこかの主婦なのだろう。子供がいてもしかるべきという感じだった。
さて、先生がしてくれた病気のメカニズムだが、
まず話として、
「熱が出るのは、悪いことではない。それは、身体に入った菌に対して、身体が反応して、追い出そうとしているからだよ。つまり、身体が病気と闘っている時に熱が出るのさ。例えばテレビを見ていると、テレビなどは暑くなっているだろう? それは電気と同じで、電圧というものが掛かっていることで、熱を持つのと、身体が病気と闘っているので熱を持つことと同じだと思ってくれればいい」
と言っている。
さらに先生は続ける。
「だから、その間は、熱というものは上がり続けるものであって、本当は無理に下げたりしない方がいいんだ。でも、あまり熱が高くなると、きつくなるので、解熱剤を使う。すると楽になるからね」
と言われて、肇少年は納得したのか、
「うんうん」
と言って、しきりに頷いていた。
「だから、熱というのは、上り切るまで冷やしてはいけないんだよ。身体がせっかく菌と戦っているのに、それを邪魔してはいかない。辛いだろうけど、熱が上がり切るまで、むしろ、身体を暖める方がいいんだ。本人は分かっていないかも知れないけど、実は熱が上がっている間は、寒気のようなものがあるかのように、身体が震えていたりするんだよ」
と先生はいう。
「じゃあ、熱が上がり切ったというのは、どうすれば分かるんですか? ずっと体温計で図っているというのもですね」
というと、
「大丈夫、熱が上がり切ってしまうと、そこから先は、身体から放出しようとするんだよ。熱をね。それまでは、身体の中に熱がこもってしまっていて、触ると身体中が火鉢のように熱くなっていると言われるだろう? それは熱が身体の中に籠るからで、熱が上がり切ると、一気にその熱が汗になって噴き出してくるのさ。そうすると、身体からだるさや頭痛、気持ち悪さが抜けていき、まだ熱がある状態でも、治ったのではないかと思うようになるんだよ」
と先生に言われた。
「なるほど、そういうことなんですね?」
「ああ、そうだよ、だかあら、熱がある時は、身体を冷やすのではなく、暖めなければいけない。そして、解熱剤が効いてきたりして熱が下がり出すと、汗が滴るようになるので、下着をこまめに着替えたりするんだよ」
と言われて、
「そういえば、いつも汗でドロドロになって、下着を着替えていたような気がします」
というと、
「そうだろう。それが熱が下がりつつあることで、汗と一緒に、菌の毒素も身体の外に放出されるということなんだよ」
というではないか。
作品名:回帰のターニングポイント 作家名:森本晃次