回帰のターニングポイント
島全体を見渡せるほどの絶景であり、その向こうには、本土が見えた。岡山県になるのだろうだが、当時はまだ瀬戸大橋なども当然なかった時期、交通の主要は船だった。
じっと見ていると、大証の船が何台も行き交っている。見えている船の後ろにできている波が、末広がりに広がっているようで、見ていて飽きることはなかった。
実際に朝起きて三十分ほど、完全に目が覚めるまで、海に浮かんだ船を見ているのが恒例となっていたのだ。
中には、ポンポン線もあり、船から発せられるポンポンという音を聞いていると、実際に潮の匂いがしてくるようで、落ち着いた気分になれたのだ。
夕方になってある程度、涼しい時間になってくると、浜辺に出かけて、海を実際に見ていた。
いつも白いドレスに白い帽子をかぶって出かけていたので。本当に、
「女王様」
の佇まいに見えたことだろう。
そこで、結構島に来て早い時期に、島の少年と知り合った。
その子はいかにも島育ちの少年で、シャツに半ズボン、帽子は麦わら帽子という恰好をしていて、砂浜で何かを探しているようだった。
「何してるの?」
と、いちかはその少年が一生懸命に何かを探しているのを不思議そうに眺めていた。
その様子を見た少年は、まるで、想像上のお嬢様が降臨したのではないかと、自分の目を疑うほどであったが、その顔を見て、ちょうど逆行だったせいもあって、まるでのっぺらぼうのように思えた。しかも、後ろのまぶしさから、彼が顔をしかめていたので、自分がどうしてそんな顔をされなければならないのか、疑問に感じたのだ。
少年とすれば、のっぺらぼうに見える女の子の声が、思ったよりも落ち着いていて、それでいて、あどけなさを含んだ可愛らしさが感じられたことで、一瞬、夢見心地となり、同時に金縛りに遭ったかのように、動けなくなっていたのだった。
「ああ、ここでね、貝殻を探しているんだよ」
という少年に対して、
「貝殻というのは?」
といういちかの言葉を聞いて、
「ここの貝殻は、結構巻貝が多いんだ。耳を当てると、結構いい音が聞こえてくるんだぜ。君もそんな貝殻を探してみれば、僕が何をしているか、分かるというものだ」
と言われて、いちかも、一緒になって貝殻を探して、巻貝であれば、それを耳に当ててみていた。
「どうだい、何か聞こえるかい?」
と聞かれたが、正直に、
「ううん」
と言って、寂しそうに首を横に振ると、楽しそうな表情になったその少年が、
「そっか、見つからないか。でも、君は素直な女の子なんだね?」
と言われて、ビックリしたいちかは、再度彼の顔を見つめた。
その表情はあどけなさからなのか、それともなんでも知りたいという探求心によるものなのか、純粋な表情に少年も楽しそうだったのだ、
「ありがとう。私、素直な女の子って言われるのが一番嬉しいの」
といちかは言った。
都会にいる頃は、ずっと目立たない女の子で、たまに近所のおばさんが話しかけてくれた時、
「いちかちゃんは、素直な女の子だからね」
と言われていたのを思い出した。
いつも目立たない女の子なので、たまに声をかけられて、
「素直な女の子だ」
と言われるのだから、嫌であるわけはない。
ひょっとすると嫌味だったのかも知れないが、いちかにはそんな素振りはまったく見せなかったのだ。
そのおばさんの顔を思い出そうとその時に思ったが、なぜか思い出せなかった。それは、ちょうど今、いちかが自分のことをのっぺらぼうのように感じているのと同じような感じだったが、その時の二人にこの偶然が分かるわけもなかったのだ。
いちかと少年は、すぐに仲良くなった。
耳に当てると、波の音が聞こえてきて、波の音とともに、嗅覚が刺激されるのか、潮の香りまでしてくることが嬉しくて、ずっと耳に当てているくらいだった。
少年は、いちかの眩しさが気になっていて、いちかは、彼ののっぺらぼうに見えたその時の顔が忘れられなかったから、きっと仲良くなれたのだろう。
いちかは、のっぺらぼうだった彼の表情を、後から勝手にイメージで想像して、どんな表情だったのかを勝手に作りあげていた。
少年はいちかがそんなことをしているなど、想像もしていなかったが、少年がいちかに憧れているのだろうということは想像がついた。
いちかとしては、自分が本当に女王様にでもなったような気がして嬉しかった。ただ、いちかにはSっ気はなかったので、女王様として君臨しているような意識はあったが、相手を支配しようという意識はまったくなかったといってもいい。
だから、少年は憧れることができたのだろう。もし、いちかが少しでも、少年のことを目下のように見ていたとすれば、その砂浜に少年が二度とくることはなかっただろう。
いちかは、夏休みの間、いつも少年とこの砂浜で会っていた。待ち合わせをしていたわけではないが、どちらともなく、毎日、
「自分の方が先に見つけるんだ」
と思っていたようで、
「今日は私が先に見つけたのよ」
と、いつの間にか、どちらが先に見つけるかということが、会ってすぐの会話になっているのだった。
いちかは、少年を別荘に招くことを計画していた。
おじいさんもその少年のことは知っていて、話をしたことはないが、いちかの付き添いで砂浜に来ていた時、その様子を少し離れたところから垣間見ていたのだ。
少年がおじいさんの存在を知っていたのかどうか、その時は知らなかったが、どうやら知っていたようで、いちかが別荘に彼を招き入れた時、おじいさんの顔を見て、彼は安心したような表情になったことで、いちかには、
「彼には、おじいさん存在が分かっていたんだわ」
と感じたのだった。
おじいさんも、前から、
「あの子は素直な少年のようですね」
といちかに話していて、いちかがそれを誇らしげに笑顔を浮かべたことから、おじいさんも、
「この娘は、ちゃんとわかっている」
と感じたのだった。
いちかが少年を別荘に招いたのは、お盆も過ぎた頃のことだった。暑さもピークを越えていたので、日が暮れる頃にはだいぶ涼しくなってきていて、
「それまでのあの暑さはどこに行ったのだ?」
と思うほどであったが、一番の原因として、
「暑さの原因は、湿気にあるのではないか?」
と感じたことだった。
海が近いせいか、湿気はかなりのものである。そういえば、友達の中に、
「夏の海に行くと、帰ってきてから、決まって高熱を出して寝込んでしまうので、私はあまり夏には海に行きたくない」
と言っている人がいたが、その理由がいちかにも分かった気がした。
湿気の強さが身体の毛穴を塞いでしまうことで、熱が身体の中に籠ってしまって、発散させることができなくなり、呼吸困難を引き起こし、そのせいで、籠った熱が秒と結びついて、高熱を出してしまうんだろうと思えてきたのだ。
夏の暑さが身に染みている時は、砂浜を歩いているだけで意識が朦朧としてきた。靴を履いているのに、熱のために、足の感覚がマヒしてくると思えるほどの暑さは、足からだけではなかった。
作品名:回帰のターニングポイント 作家名:森本晃次