回帰のターニングポイント
そういう意味では、矛盾という言葉、曖昧であり、曖昧なだけに、難しいとも言える。
ただ、矛盾という言葉、マイナス面が大きいと言えるが、矛盾があることで、その先を考えてしまい、暗闇の中で必死で光を見つけようとするあまり、ちょっとした光に惑わされて、
「そこが出口なんだ」
と勝手な思い込みから、騙されてしまうという結果に結びつきかねないと言ってもいいのではないだろうか。
「出口を探す必要なんて、本当にあったのだろうか?」
と考えた。
それは、出口に矛盾を解消できるものがあり、そこから先は、今までの世界なのか、それとも新しい世界なのかと考える。
本当は元に戻りたいのだが、それは、時間としての、
「元の時間」
であり、経過したはずの時間の先という、本来なら戻るべき場所を怖がってしまっているということになるとすれば、元に戻ったところで、すでに、そこには自分を知っている人はいないかも知れない。いや、そこにはもう一人の自分がいた世界だともいえる。
タイムパラドックス的にも、これ以上の矛盾はないだろう。
島の少年の失踪
矛盾について、いろいろ考えていると、頭の中を駆け巡るものはいくつもあった。
ただ、身近なこととしては、実際には結構ある。一つ一つ考えていくと、理不尽で怒りがこみあげてくることもあるのだった。
令和における最近感じたこととして思い浮かんだことは、昭和の時代と違って、今はかなり禁煙が盛んになってきていて、禁煙という言葉よりも、喫煙という言葉の方がインパクトがあるようになってきている。
つまり、昭和の頃のように、どこでもタバコが吸えて、禁煙ルームや禁煙車両ができてきたことを、
「ありがたい」
と感じる時代だったのだ。
昭和の頃は、本当にどこでもタバコが吸えた。
会社の事務所、会議中、または、ランチタイムの食堂であったり、喫茶店、さらには、病院でもタバコが吸えた時代だった。今ではありえないことである。
やはり、喫煙者が多かったのには、刑事ドラマのワンシーンの影響が大きかったのではないかと思う。
ダンディな俳優が刑事を演じていて、歩きながら煙草を吸っている。おもむろに吸っていたタバコを路上に捨てて、足で揉み消す。
そんなシーンが格好良く描かれているというシーンに、若者は感動した。
「あんな風に格好良くなりたいものだ」
と憧れたものだった。
だが、時代の流れは止めることができず、今ではそんなことをすれば、まわりから白い目で見られるというものである。
これが、当時は当たり前のことであった。喫煙者が幅を利かせて、禁煙者は肩身の狭い思いをしていたのだ。
だが、昭和の終盤になると、やっと禁煙者が、
「副流煙」
という言葉を持ち出してきて、禁煙者の権利が主張されるようになってきた。
副流煙とは、
「煙草による害は、吸っている本人よりもまわりにいる人が喫煙者が吐き出す煙によって被る害の方が大きい」
というものであった。
つまり、喫煙者がガンになるよりも、禁煙者なのに、そばにいるだけで、煙を吸ってしまう人間の方がガンになる可能性が高いという研究結果が出たことで、それまで黙っていた禁煙者が自分たちを主張し始めたのだ。
そこまでくれば、さすがに世間も黙っているわけにはいかない。世間の声が社会問題となり、禁煙者の主張が少しずつ認められるようになる。
それまでは、禁煙者が、
「すみません、タバコの煙が……」
などと、申し訳なさそうにでも勇気を出して、喫煙者に抗議をしたとしても、
「あぁん? 何言ってんだよ。別に法律違反してるわけでもないんだ。嫌なら、他いけよ」
と言われるのがオチだった。
まるで因縁を吹っ掛ける連中のようだ。
だが、そのうちに、禁煙車両ができてきたり、禁煙ルームができてきたりと、徐々に分煙が形になってきた。
しかも、強制的な禁煙場所が増えてくる。
特に、公共交通機関などは顕著で、電車関係であれば、禁煙車両はもちろんのこと、そのうちに、駅のホームでの喫煙ができなくなり、さらには、禁煙車両が四両編成であれば、一両が禁煙車両だったが、そのうちに逆転した。
四両は基本的に禁煙になり、一両だけが、喫煙車両ということになり、前述の、
「禁煙という言葉よりも、喫煙という言葉の方をたくさん聞くようになる」
という、それまでとは、状況がまったく変わってきたのだ。
当然、法整備も進んできていたが、まだまだ行き届いていないところがあるからか、路上喫煙など、ほとんどの人がしなくなったが、法律で禁止されているわけではなく、都心部では禁煙エリアというものがあるが、それも、都道府県の条例というレベルでしかなかったりする。それを思うと、
「法整備の遅れ」
が問題ではないかと思い、またしても、政府に怒りがこみあげてくるようだった。
そんな副流煙の研究を大学時代にしていたのが、肇だった。
大学では医学部に通っていて、そこで医学の勉強をしていたが、副流煙に関しては多いの興味を抱いていた。それは、いちかが昔から感じていたことであり、一時期、子供の頃からの持病でもあった喘息が、副流煙の影響で深刻になることがあった。
「なるべく環境のいいところで静養をさせた方がいい」
ということで、中学生の頃は、休み中など、よく静養地に行っていたりしたものだった。
海の近くがいいだろうということで、選ばれたのが、岡山県と広島県の県境のあたりだった。
なぜ、あのあたりなのかは詳しい理由は知らなかったが、
「瀬戸内なので、海も荒いことはないので、静養するにはいいかも知れない」
ということであった。
瀬戸内の狭い範囲に、たくさんの島があり、よく島に渡ったりもした、運動不足にならないようにと、尾道に行ったりしたりした。
あの街は坂道が多いので、適度な運動にはちょうどいい。なるべく環境にいいところということで、一つの島に滞在することが多かったが、そこにはちょうど別荘が貸し出されていて、その別荘を借りることができたのは、幸運だったようだ。
そこに、いちかと世話をするおじいさんがついてきてくれた。母親方のおじいさんで、最近、おばあさんを亡くし、一人きりになったところで、少し寂しさから立ち直ってきたおじいさんが、いちかの面倒を見るということで名乗りを上げたのだ。
しかし、さすがにおじいさんと中学生の娘だけでは心もとないということで、もう一人、こちらはホームヘルパーの会社に連絡を入れ、派遣という形で来てもらうことにした。当時は、まだ珍しい派遣であったが、何とか探し当てたことで、いちかの静養が実ったといってもいいだろう。
いちかは、その島で、まるでどこかの国の女王様という雰囲気のいでたちに、佇まいであった。
島には、数百人が暮らしているようで、規模としては決して小さな島ではなかったようだ。
高い山はなかったが、小高い丘のようなところがあって、その丘の中腹くらいのところにいちかが住むことになる、貸別荘があった。
作品名:回帰のターニングポイント 作家名:森本晃次