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回帰のターニングポイント

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「うむ、その通りだよ。下手をすれば、殺すことができずに、殺人未遂ということになり、執行猶予はつくかもしれないが、医者の免許は確実にはく奪される。しかも、これは医者という立場を使っての殺人未遂なので、罪は重いはずだ。失敗した時の最悪の場合も考えておかないといけないんじゃないかな?」
 と言われた。
 教授は、これでもかというように、最悪の場合を語ろうとする。まるで親の仇でもあるような気分だ。
 さすがにここまで言われると、分かっているとはいえ、肇もあまりいい気分はしない。それを察したのか、教授は、
「まあ、あくまでも仮の話ということだからね。君にどれだけの覚悟があるかということなんだろうけど、私にとっては、あまり深くは言えないんだ。君を責める資格はないということかな?」
 というではないか。
「どういうことですか? 教授」
「さっきも言ったが、これは医者である以上、誰にでも降りかかる事案なんだよ。かくいう私だって、若い頃に同じような経験をしたことがあってね。それは結構精神的にきついものだったよ」
 と教授は言って、過去の記憶を引っ張りだそうとしているようだった。
 教授は、当時で六十歳を超えていた。
 ということは、教授のいう、
「若い頃というのは、今から、四十年くらい前ということになるか?」
 ということを考えると、当時が昭和五十年代後半くらいなので、ちょうど、戦時中か、戦後ということになる。
 昭和五十年代後半から見れば、時代とすれば、まったく見えている世界も違っていることだろう。
 なんといっても、戦前戦後というと、医者の数も少なく、空襲で建物もまともになく、食料もない。
「そんな時代に医者がどれほど役に立つというのか?」
 と、勝手に想像してしまった。
 都市部は空襲で焼け野原になっている。瓦礫の中での住居であったり、学校や病院、病院などは、さながら野戦病院というところであろうか。
 しかも、食料も医薬品も不足している。配給に頼る時代である。
 さらに、その配給も来たり来なかったり、病気になって、栄養を取らなければいけない人間に、栄養が行き届かない。何しろ、普通に元気だった人が、数日後には栄養失調で死んでいく時代である。
 令和はおろか、昭和五十年代後半に、栄養失調で死ぬなどということは考えられない。あの時代は、それが日常のように起こっていたのだ。
 道に、生き倒れた人が転がっている。ロクな服も身にまとっておらず、肋骨が見えているくらいにやせ細っているのだ。白米など、まともに見たことがないという子供も多かったことだろう。
 さらに、衛生面も最悪で、食中毒や不治の病と言われた結核などが猛威を振るい、バタバタと死んでいくのである。
 戦後であれば、上から爆弾や焼夷弾が落ちてくるということがないだけで、必死になって生きることができければ、死ぬのをじっと待っているという悲惨な状況であった。
 実際に味わったことはないが、ドラマや映画で見ることはあった。今はなかなか映像になることもないが、昔は結構あったような気がする。昭和五十年代後半というと、戦後三十五年くらいであり、今から三十五年前というと、ちょうど、昭和でいえば、五十年代後半。その時代からさかのぼった過去と、未来である令和の時代のどちらに開きがあるかということを考えると、戦後復興というのは、すさまじかったといってもいいうだろう。
 考えてみれば、東京というところはすごいところだ、一九二三年に起こった関東大震災から、二十二年後の東京大空襲で、焼け野原になった帝都。どちらも焼け野原だったのに、当時の技術で二十年以内には、ほとんど復興が終わっていたということであろう。これは本当にすごいことである。
 どちらも一日から数日の間で、十万人以上の人がなくなっていて、しかも、建物がほとんどすべて壊滅している状態だったのにである。しかも、途中に世界恐慌などがあったのにである。それを思うと、戦前の日本の技術と生命力のすごさには驚かされる一方である。

              安楽死と細川ガラシャ

 関東大震災では、何といっても、かなりの広範囲に及んでいた。東京府だけではなく、神奈川県、静岡県、埼玉県、千葉県などがかなり被災したのではないだろうか。
 東京でいえば、文明の象徴とも言われた、浅草十二階が倒壊したなどと、かなりの被害であった。
 しかも、昼食時だったということもあり、火を使っていた時間ということもあり、大規模な火災に見舞われた。火に巻き込まれて死んだ人も多いことだろう。
 さらに、こういう天災が襲ってくると、デマが飛び交うというのは、昔から言われていることで、
「朝鮮人が暗躍した」
 などというデマが流れて、朝鮮人の虐殺があったという。
 都市部は壊滅したということで、市民のほとんどは地方に移り住むという状況も生まれた。東京市では、焦土の煙と臭いがずっと残ってしまっていたので、ほとんどの人がマスクをしていたというが、今の令和三年と同じ状態だったのだろうか。
 それでも、必死の復興活動のおかげで、帝都は復活し、市民も戻ってくる。そんな時代を乗り越えて、日本は昭和という新しい時代を迎え、関東軍の勢いと、満州での反日運動により、満蒙問題の解決は急務となった。
 さらに、世界を巻き込んだ大恐慌であったり、東北地方の不作による食糧問題から、増え続ける日本の人口に食料や物資が足らなくなってきたのだ。
 そのために、関東軍は満州を死守することで、ソ連の脅威を取り除くとともに、日本における人口問題を一気に解決しようと考えたのだろう。
 満州では、関東軍の策略で満州事変が起こった。
 なんといっても、満州における中国の張学良や蒋介石による反日運動から端を発した、虐殺事件や、土地を売ってはいけないなどという法律のせいで、居留民ですら、まともに生活ができない状態になった。
 満州でのクーデターは、いろいろな問題を一挙に解決するために、絶対に必要だったことであろう。
 しかし、中国政府は、国際連盟に訴えたことで、リットン調査団による調査が行われ、
「満州国不承認」
 という結果が出て、最終的に日本が国際連盟を脱退し、孤立の道を歩むことになるのだった。
 日本は、満州を植民地にしようとしたわけではない。あくまでも満州国は独立国家である。
 ただ、関東軍の承認が得られなえれば何も決められないという傀儡であって、国務総理であるにも関わらず、議会では一言も発言できないということであった。
 そうではあるが、国際連盟加盟の主要国である欧米列強は、自分たちが支配する国を植民地として、自分たちに有利な条約を結んでいるではないか。まだ傀儡とはいえ、独立国としての体裁を守っているだけいいのではないだろうか。
 そんな満州が国際連盟で否決されるというのはおかしな話で、日本が国際連盟を脱退するという行為も何が悪いというのだろうか。
 さらに、その後に起こった、
「大東亜戦争」
 であるが、これはあくまでも、
「東亜を欧米列強の植民地から解放して、東アジアに、大東亜共栄圏を確立し、侵略から守ろう」
 というスローガンであったはずだ。