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回帰のターニングポイント

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「僕は、尊厳死を受け入れる時代がいずれ訪れるのではないかと思うんですよ」
 というと、先生が、
「その根拠は?」
 と聞くので、
「いくら人の命を他人が奪ってはいけないと言われていても、生き返る保証もないのに、そのため、まわりの人間が巻き込まれて、不幸になるのが目に見えているのであれば、尊厳死というのも、その人の立派な死に場所だと思うのはおかしなことなんでしょうかね? 昔だったら、いくさがあった時、銃剣で突いた相手が、死にきれずに苦しんでいて、度胸がなくて、とどめを刺せない若い兵士がいれば、その横から上官が、早く殺してやらんかと言って、ピストルでとどめを刺すという、そんなシーンを映画で見たことがあるんです。それは、確かに戦争中なので、その場で死ななくても、ほかの人に殺されるというのが目に見えているからなんでしょうが、それだけではないと思うんです。結局は、生き残れるかどうかというのが一番の理由でなければいけないと思うんですよね。見込みがないのであれば、殺めてやるというのも、生きている人間の使命ではないかと思う。生殺与奪の権利を、持たせてもいいのではないですかね」
 と肇は言った。
「ということは、本人の意思が、延命を望まないということよりも、その根拠として、元には戻れない、ただ、生き続けるだけの状態を考えた時、自分を思ってゾッとするからなのか、残されるであろう家族やまわりのことを考えてのことなのかなのだろうね」
 と先生はいう。
「そうなんですよ。そして、尊厳死を考える時、たぶん、両方の立場を考えるのではないかと思うんです。つまりは、自分が植物人間になる場合と、植物人間になった人の延命のために、自分の人生を犠牲にしなければいけなくなった場合ですね。つまりは、命を絶たれる場合と、自分から相手の命を絶つ場合との両方を考えたのではないでしょうか? 明日は我が身ということですよ」
 と肇は言った。
「本当に難しい問題だと思いますよ。特に最終的にそれを裁くのは、まわりの人間なんだ。他の犯罪だと、客観的に全体を見る目も必要ということで、裁判官がいるんだけど、この場合のように、果たして裁判官であっても、お互いの立場を考えると、どこまで尊厳死を認めるかということを考えると、難しい問題になってしまうからね。少なくとも医者の立場からいうと、尊厳死は認めてはいけないものだということになると思うんだよね。医者はどんなことがあっても、最終的には患者の命を救うことが最優先事項からね」
 といった。
「教授は医者という立場を離れればどっちなんですか? 人間として考えた場合ですね」
 と肇が聞いたので、
「私は、尊厳死を認めるだろうね。医者だって、ただ命を救いたいというだけで医者になろうと最初は考えるけど、実際に医者の仕事にかかわっているうちに、理不尽な思いだっていっぱいするものだよ。例えば、何かの災害が起こって、けが人が多数出た場合、医者や看護婦の数に限りがあるので、絶対にすべての命を助けられるわけではない。そこに命の優先順位をつけるという究極の選択が待っていたりして、それでも、選択をしないといけない。その際に必ず罪悪感が出てくるはずなんだ。そもそも、そこで罪悪感を抱かないようなら、医者にもなっていないでしょうからね。つまり、罪悪感というのは、正義感の裏返しのようなもので、勧善懲悪が強ければ強いほど、罪悪感を抱くというもので、この感情の開きがあるほど、ジレンマに陥って、それが悩みとなり、トラウマとなって自分の経験値に蓄積していくんじゃないかな? 勧善懲悪と、生殺与奪の権利という、一見、正反対に思えることも、まるで長所と短所のように背中合わせになっているものであって、その背中合わせを意識しないままにいると、いずれ、医者をやっていくことができないような壁にぶつかってしまうのではないかと思うんですよ」
 と、教授は言った。
「ただ、それはあくまでも個人的な意見ですよね? それを教授として。そして医者として言ってしまうと問題になってしまいますよね?」
 と肇がいうので、
「それはもちろん、そうだよ。君がこれから医者になって、どんな考えになるかは私には分からないが、君がもし、今の私のように尊厳死を認める気持ちになったのだとすれば、必ずそこには覚悟が必要だと思うんだよ。医者だって神様じゃないんだ。意識のない患者が何を考えているかなんて分かりっこないんだよ。分かったと思っても、それは自分の勘でしかない。つまり、相手がどう思っているかということを分かるはずもないわけなので、自分がやろうとしていることは、すべてが自分が決定することになる。だけど、それが正しいのか間違っていたのかということは、きっと分からないだろう。下手をすると、その責任の重圧に押しつぶされてしまうかも知れない。そうなった時、必ず後悔というのはするものさ。立ち直れないかも知れない。これは手術に失敗した時よりもトラウマとしては大きいかも知れない。手術での失敗は、相手を助けたいという思いを貫いてのことだからね」
 と教授はいった。
「じゃあ、そんな時はどうすればいいんですか?」
 と聞かれて、
「やはり、決めた覚悟がすべてだということをいかに自覚できるかだと思うよ。自分は正しいんだという確固たる気持ちがなければ、押しつぶされかねないからね。決めた覚悟に気持ちがブレない。その思いが、自分の将来を決めるんだよ」
 と、教授は言った。
 黙っていると、さらに教授が続けた。
「覚悟というものがないと、勧善懲悪の気持ちや、生殺与奪の権利に対しての冒涜であったり、要するに、善悪の気持ちが自分の心を揺さぶるということは、自分に覚悟があれば、正しかったと思えるんじゃないかな? 正しいか間違っているかなんて、誰にも分からないのさ。だから、覚悟を決めて自分で割り切るしかないのさ。それだけ、善と悪が拮抗していることに踏み切った場合の責任というのは重く、責任を裏付けるのは、覚悟しかないと私は思うんだよ」
 肇は頷きたかったのだが、さすがに話の重さに、額から汗がにじんでくるのを感じた。
 自分が言い始めた内容の会話だったくせに、すっかりとおじけづいた気持ちになっていた。
 会話のマウントも先生に取られていて、まだ医者にもなっていない立場なので、何とでもいえるという甘い考えがあったということを思い知らされた気がした。