回帰のターニングポイント
という話だった。
パチンコ好きの人は、毎日でも言っていると、店員とそれなりに顔なじみになるようだ。
と言っても、店員から情報を得ることはない。詳しい情報は店長しか知らないということだからである。
この男が発見されたのは、
「あの人の様子がおかしい」
と言って警察に話をしたのは、借金取りだったというから皮肉なものだ。
催促のつもりで、部屋の呼び鈴を鳴らしたり、扉をノックしてみたりしたが、何も返事がない。
それはいつものことなのだが、気になったのは、郵便受けに新聞や手紙が膨れ上がっていたことだった。
その中には、自分たちの会社からの督促状も入っていたのが見えた時、
「様子がおかしい」
と思ったのだ。
居留守を使ったとしても、扉にある郵便受けが、溢れるくらいになっているということもおかしいだろう。
まずは、借金取りが警察に通報し、さらに新聞の集金の人も、気にしていたようだったので、警察も放っておけなくなり、大家さんに操舵したところ、中を開けてもらえることになったのだ。
合鍵を使い、大家さん立ち合いの元、最寄りの交番の警官が、中に入ってみると、万年床が見えたようで、名前を呼びながら中に入ってみると、そこには眠っている部屋主の男性がいたのだ。
声をかけてみたが、返事がない。呼吸をしている感覚がないと大家がいうので、警官も眠っている人の顔を覗き込むと、明らかに顔色が異常であり、土色をした顔色に、血の気はないようで、眠っているように見えたその顔は、眠っているわけではなく、
「死んでいる様子」
だったのだ。
すぐに所轄に連絡を入れると、刑事と鑑識がやってきた。見た目に、外傷はなく、自然死に思えたが、変死である以上、司法解剖もやむなしであった。しかも、借金を抱えているという情報があったので、当然のことであった。
責任と覚悟
司法解剖をしてみると、死因につながりそうな怪しいものは何も発見されなかった。自然死として処理され、家族は保険金を手にし、やっと借金地獄から抜け出すことができた。
そのおかげで、家族も助かったのだが、それが本人の死によるものだということは、後味の悪いものだった。
後味が悪いと思っているのは警察も同じだった。
「あまりにも話がうますぎると思うんだよな。いくら証拠がないとはいえ、限りなくクロに近いんだよ。日本の法律は、疑わしきは罰せずというものなので、証拠がないのでは、どうしようもないからな」
と一人の刑事がいうと、もう一人の後輩刑事が、
「確かにそうですよね。でも、それでみんなが丸く収まったのだから、彼の死も無駄はなかったということですよね。言い方は悪いですが、彼が生きていても、ギャンブルを続けているだけで、立ち直るという気配もなかったのだから、死んでくれてよかったというのは、感情的におかしいんでしょうかね?」
という。
「しかしだな。それを言い始めると、医者が安楽死を認めたようなことになってまずいんじゃないか?」
「いいえ、私は、安楽死を別に悪いことだとは思っていないんですよ。意識もない、しゃべることもできない。生きているというだけで、人間としての尊厳はどこにもないじゃないですか? それで生きていると言えるんですかね。安楽死というのは、尊厳死とも言います。つまりは、尊厳のある死です。生きていて普通に生活もできない。普通に生活ができるようになる可能性は限りなくゼロに近い、それだったら、尊厳のある死を選んでもいいんじゃないですか?」
というと、
「確かにそうなんだよな。生きているだけでお金がかかる。生命維持装置だってただではない。毎月、それだけのお金がいる。つまりは、そのお金を供出するために、家族が犠牲になるわけだよね。そこまで家族とはいえ、責任を負わせる必要があるのかということだよな?」
と先輩刑事がいうと、
「ええ、そうなんですよ。それと理屈は同じで、今回の死んだ人も、ギャンブル依存症で、借金があった。その借金を本人が払えない時は、家族に及ぶというものですよね。さすがに、最後には、どこからもお金が借りれなくなっているようで、首が回らなかった様子ですからね。それだけの借金がかさんでしまっていては、家族の中には、死んでもらってよかったと思っている人だっていると思うんですよ。きっと、生き返ることがない植物人間となった人の安楽死を選んだ覚悟と同じようなものではないかと思うんですけど、これって感情論で口にしてはいけないことなんですかね?」
と後輩が言った。
「君のいう通りさ。刑事だって一人の人間。感情を口してはいけないとは思わない。俺も実際にはそう思うんだけど、どうしても刑事は、ある程度法の番人という枠割も担っているような気がするんだ。感情にばかり身を任せてしまえば、本来死ななくてもいい人間が安易に死んでしまうことになりかねない。そういう意味で、俺たちは、最後のストッパーのようなものにならないといけないとも思うんだ」
と先輩はいうではないか。
「安楽死は決して許されることだとは思いませんが、本人の生きる尊厳、死ぬ尊厳、どちらを大切にするかというのは、結局、法律で明文化できないですよね。基本的に安楽死はいけないということになっているけど、判例では意見が分かれていたりする。例えば、本人の意思、意識がなくなる前に、文章で遺言のようなものを書いている場合ですね。意識不明になったら、延命はしないというようなですね。そして、もう一つは、医者の診断で、本人が元の生活に戻ることは、ほぼほぼ無理だということを診断し、さらにそれを請け負い家族に、負担が大きくのしかかってくるというような場合は、安楽死を尊厳死として認めて、無罪という判決を言い渡した事例もあるくらいですからね」
と後輩は言った。
「だけど、今回の事件は、少し違っているんじゃないか?」
と先輩がいうと、
「確かに罪を逃れようとして、あざとく感じますが、状況は安楽死に限りなく近いですよね。やはり、これを完全犯罪だということであれば、許せない部分もありますが、それも感情論なんじゃないかと思うんですよね。結局殺人であっても、自然死であっても、疑惑はずっと平行線をたどるのであれば、変な詮索はしない方がいいのではないかと思うんですよ」
と後輩は言った。
尊厳死の問題を語り始めると、結果が出ない会話を永遠に続けなければいけなくなるということは重々分かっていた二人だったが、お互いの意見をどうしても、相手に認めさせたいという思いもあってか、話が収まらないというのも事実だった。
ここには、勧善懲悪という考えが一つ浮かんでくるのだが、果たして、勧善懲悪という意味で、尊厳死というものは、善なのか悪なのか、いったいどっちなのだろうか?
この場にはいない肇だったが、肇も、尊厳死のことは考えないわけではなかった。医学の世界を志し、いずれは医者になろうと思っている以上、尊厳死というものに対しては、いずれ避けて通ることのできないものではないかと思っていたのだ。
肇も、一度、大学の教授と尊厳死のことについて話をしたことがあった。
作品名:回帰のターニングポイント 作家名:森本晃次