回帰のターニングポイント
そんな気遣いを認めたくないという思いから、ぎこちなくなった二人を見ていると、見ている方が、余計な気遣いをしているのではないかと思うことで、まわりを見る目を、自分たち自身で、その気持ちに曖昧さを感じてしまうのではあるまいか。
そう思うことで、肇は自分といちかがあまりまわりに影響を与えないようにするには、お互いに距離を置くしかないと思ったのだ。
だが、それこそまわりを戸惑わせることになるとは、その時に思ってもいなかった。
付き合い始めた二人だったが、二人とも成績は学年でもトップクラスだった。しかも、二人とも将来は、
「医学関係に進みたい」
という思いがあったようで、いちかの方は、最初、真剣に女医を目指していたようだった。
だが、最近は女医を目指すというよりも、看護婦を目指しているようで、その気持ちを知ってか知らずか、肇の方が、医者を目指すようになった。
二人とも、意識の中には、鈴村院長のことが頭にあったようで、肇の方は、
「あんな医者になりたい」
という気持ちを、実は子供の頃から抱いていたのだが、それを口にしたことはなかっただけだ。
いちかの方は、
「おじいちゃんの病院を守りたい」
という気持ちから、自分が女医になって、跡を継ぐという意識だったのだが、途中から自分の力量に気づいたようで、最初はショックだったが、すぐに切り替えて、それならばという思いから、看護婦を目指すようになった。
もう一つの理由は、せっかく跡を継ごうと思っていた肝心の病院を、おじいちゃんが畳んでしまったことで、目標を失ったということがあった。ショックだったというのは、自分の力量に気づかされたということよりも、病院を畳んでしまったということの方が大きかったのだろう。
自分のことをMだと思っていたいちかだったので、その性格から、自分の力量を見極めることができたのだろう。
Mの人間というのは、意外とノーマルな人間に比べて、何か特殊な能力を持っているものだといちかは思っていたようで、その意味でも自分がMではないかという風に思っていたようだった。
いや、Mであってほしいと思っていたのだろう。自分の中に特殊な能力を持っているのだと感じたかったからである。
しかも、いちかが考える、
「特殊能力を持ったM」
というのは、
「わがままなM」
だと考えていた
わがままというのは、まわりが見てそう感じるだけで、実際の相手にわがままだという感覚を与えずに、自分もわがままだと思うことなく、二人だけの特殊な感覚を持つことで、それが、
「真のSMの関係になるのではないか?」
と思うようになったのだった。
いちかにとって、肇とはそういう関係になれる相手だと思っていたので、二人の関係がSMではないように感じた時、自分の考えが甘かったということを感じたが、それでも、肇を好きだという気持ちに変わりがないと感じるまで、そんなに長くはかからなかったのだ。
では、肇にとってはどうだろう?
肇は、そんなにSMの関係について、こだわりを持っていたわけでもない。ただ。二人の関係を自分なりに分析して、
「SMの関係だ」
という思いを結構強く持っていたので、その見る目というのが違ったことに対して、ショックだっただけである。
どちらかというと自信過剰なところがあり、それが自分で気を強くしているように思えてしまい、その感覚が自分をSだと思わせていたのだから、二人の関係を勘違いしていただけだと思うことで、ぎこちない時期がそんなに長くなっているようには思えなかった。
そのせいなのか、まわりが二人に気を遣っているせいもあってか、ぎこちない時期が結構長かったように、まわりから見れば見えたかも知れないが、二人の間に存在する感覚では、さほどぎこちない時間は長かったわけではなかった。
そもそも、二人のぎこちなくなった時期と、まわりが気を遣い始めた時期に、時間差があり、それがタイムラグとなってしまったせいで、二人が正常な関係になっても、まわりは気を遣っていたというだけのことである。
すべては、タイムラグであり、二人とも、まわりが自分たちに対して、何か気を遣っているように感じることができたのは、このタイムラグがあったからではないだろうか。
二人の間で、それまでのぎこちなさが、何か茶番のように感じられるようになっていたが、そのおかげで二人が別れることはなかったのだといっても過言ではないだろう。
二人はそれぞれ、大学に進学した。
肇は、地元の国立大学の医学部に進み、いちかの方は、地元の看護学校に進んだ。お互いに地元の学校なので、会おうと思えばいつでも会えたのだが、学校の方が忙しくなると、なかなか会うこともままならなくなっていったのだが、それぞれに充実した台がk生活を送っていたようで、落ちこぼれることもなく、就学できていた。
卒業するまでに、肇はある実験を行っていて、その研究の成果を論文にして学会に提出すると、それが認められたようで、学会から一目置かれるようになった。
一時期、マスコミからの取材もあったようで、少しだけだが、テレビに出演もして、
「時の人」
となっていた。
しかし、しょせんは医学界で一部有名になっただけで、別に世間一般で注目を受けたわけではなかった。
それでも、注目を受けたことで、就活の時期になると、病院側からのオファーも多く、引く手あまただったのだ。
そんな肇だったが、その時の研究というのが、
「体内にあるものの研究」
というテーマだった。
テーマのタイトルは難しいものであったが、内容は、まるでミステリー小説に出てくるような鑑識的な話も織り交ぜていて、つまりは、
「体内にあるものの中には、毒素のあるものも含まれていて。それらを使用すると、鑑識の目をごまかせることになるので、気を付けなければいけない」
というものであった。
これは、完全犯罪をもくろんでいる人がいれば、そんな連中に使われる可能性もあり、または、逆の立場の鑑識の人間にも、喚起を促すという意味もあった。
ただ、さすがに学会用の論文なので、一般に公開されるべきものではないので、公開されることはなかった。
公開に問題のない論文は、科学雑誌に載せたりしてもかまわないだろうが、この手の犯罪が絡んできそうな題材を扱ったものは、正直に、
「この論文には、犯罪に利用されては困る趣旨の内容が絡んでいるので、公開を控えさせていただきます」
と書いておけば、ちゃんとした非公開理由になるので、別に差支えのないことだった。
実際に、注目された論文の中には、このような犯罪に絡むものも少なくなく、本当に明らかにされないものも少なくなったのだ。
ちなみに、体内に入っても、もともと体内にあるものなので、鑑識で見抜かれにくいというものに、カリウムなどがあるということは知られていたが、それらを踏まえて、肇は研究したのだろう。それを公開できないのが残念であるが、これは致し方がない。
学会で有名になり、石橋肇という学生が脚光を浴びたのは事実だったのだ。
ただ、このことがその後すぐに、問題になってしまうとは誰が想像したであろうか?
その時は、本当に鑑識が出した結論は、
作品名:回帰のターニングポイント 作家名:森本晃次