回帰のターニングポイント
しかし、自分が警戒するべき相手は、前に気になった彼女のように、自分のことだけを考えて保身に走るため、あざとい行動に走り、そのせいで、勘違いしたまわりの男性がまるでクモの巣に引っかかったかのように引き寄せられ、呆気なく食べられてしまうという悲劇を、自分に起こさないようにすることが急務だったのだ。
そういう意味でのあざとさはいちかにはなかった。どちらかというと、遠慮暮改雰囲気は引っ込み思案に見えて、それで男が引き込まれるということもなさそうだったのだ。
それに、よく見ていると、他の男性に対して自分からオーラを発するようなことはしなかった。
どちらかというと、発しているオーラは、
「自分が誰を好きになるかということ」
であり、それはまるで、目が見えないコウモリが発する超音波のような感じがした。
コウモリは目が見えないため、まわりに超音波を発して、その反射で何があるかということを知ろうとするメカニズムがあったのだ。だから、真っ暗で誰もいない場所に生息しているのではないかと思っていた。
ただ、このメカニズムは、目が見えている自分たちと、
「目が見えない」
という前提が違うだけで、それ以外は同じなのではないか。
目が見えている動物だって、光の恩恵によって見えているものを光として取り込み、網膜に焼き付けた内容を、脳が判断しているのだ。コウモリの超音波による反射は、その動物が網膜に取り込んでいる光と同じだと言えるのではないだろうか。
これはもちろん、人間にも言えることで、そしてモノを考えることのできる人間にだって言えることではないか。
人間が判断するのに、思考能力を使うが、それも目の前に見えていることを、どこまで信じられるかということを判断したうえで取り込もうとしている。それだけ、人間は用心深く、思慮深いと言えるだろうか。
逆にいえば、それだけ他の動物よりも脆弱で、ある意味素直なのではないかと言える。ただ、素直だというのは本質がという意味であり、騙されないようにするために、相手を欺いたり、こちらも騙そうとするところを人間は頭で考える。
他の動物はそれを意識せずにやることで、本能によるものと言われるのだろう。
人間以外の動物に思慮という考えがないのだから、本能が働いていると考えるほか、説明がつかないのではないだろうか。
肇は、最初。
「SMというのは、人間にしかないことであり、思慮がなければできないことだ」
と思っていたが、最近ではちょっと変わってきた。
「動物においての本能も、一種のSM関係ではないか?」
と思うようになってきた。
それは、
「SM関係というのは、お互いの信頼関係によるもので、そこに弱肉強食のようなものが存在してはいけない」
と思い、相手を自分が食ってしまってはいけないと思うようになったのだ。
だが、本能というのも、ある意味SMのような関係ではないかと思うようになってきた。
「本能は、それらの動物が生きるために、遺伝子によって受け継がれてきた生きるための方法であったり、糧のようなものが息づいているのではないか」
と感じたからだった。
それは、生きていくうえでの問題と、生態系という自然界全体の法則のようなものには逆らえない中で、いかに自分たちが生き残っていけるかという情報の伝達。これも一種の信頼関係のようなものだと言えるのではないかと感じるのだった。
だから、SMの関係と、本能というものが、いかに結び付いているのかということを考えれば、
「SMと、信頼関係。さらに、動物における本能と生態系という関係にまで広げて考えるとどうなるのだろう?」
と思うと。自分たちが考えているSMの関係における、信頼関係というものが、陳腐なものではないかと考えるようになったのだ。
ギャンブル依存症
肇といちかは、本当に付き合うようになったのは、高校三年生になってからだった。それまで二人は、
「感情的なSMの関係」
だと自分たちで思っていた。
高校二年生の時に二人は初めて身体を重ね、お互いに初体験だったのだが、ぎこちない中であったが、処女と童貞を捨てることに成功した。
その時のお互いの気持ちは、
「相手がこの人でよかった」
という気持ちであった。
しかし、この気持ちは同時に、お互いをSMの関係のように思っていたのが、実は違ったということを示しているような気がした。
というのは、自分をMだと思っていたいちかは、身体を重ねると、どこかわがままだった。Sだと思っている肇は、そんないちかを容認したのだが、容認する自分に対し、本当にSなのかと感じたのだ。
しかし、考えてみれば、Mの女の子だから、わがままなものであり、それを容認できる男性こそ、信頼関係上Sだといってもいいのではないだろうか。その時には、信頼関係こそがSMの原点だということが分かっていなかった二人には、自分たちが、
「感情的なSMの関係」
ということにしか感じないと思ったのだった。
そのため、初体験を済ませたことで、
「これでやっと恋人同士だ」
と思えるだろうと感じていたにも関わらず、身体を重ねたことでお互いの距離が少し離れてしまった気がした。
少しの間、二人にはぎこちない期間があったが、それはまわりにも、そのぎこちなさを感じさせ、二人の間だけではない不穏な空気がまわりを包んだため、クラス全体が微妙な空気に包まれることになった。
しかし、この空気の出所がどこなのか、誰にも分らなかった。
もちろん、出所である本人たちにも自覚がなかったのだから、始末に悪い。しかし、二人の間のぎこちない関係が少しずつよくなってくると、クラスの雰囲気も修復されていくようだった。
そのことに気づいたのは肇だったが、そのことを決して誰にも言おうとは思わなかった。それだけ、肇は小心者だったのかも知れない。
「それにしても、二人の関係がクラスの雰囲気を変えてしまうほど、まわりに影響力があるなんて、思ってもみなかった」
と、肇は考えた。
しかも、そのことをまわりが誰一人として気づかないのだ。しかも、相手のいちかも気づいていない。それだけ、今まで自分たちの関係がクラスに与えていた影響がどこから来るのかを考えたが、
「やはり、SMの関係からなのではないか?」
というところであった。
二人がまわりに与える影響とはどういうものなのか、
「それは、自分たちの関係を見守るという意味になるのか、それとも、二人のそれぞれの性格が、まわりの人にいかに気を遣わせるのかということになるのか」
ということではないかと思った。
そもそも、二人が、自分たちのことを、
「SMの関係なんだ」
と思っていること自体が、まわりに気を遣わせる原因になったのだとすれば、まわりも同じように二人を、
「SMの関係なんだ」
と思って見ていれば、本当は、気を遣っているわけではなく、一線を画しているように感じていたとしても、結局は、気を遣っていることになる。
作品名:回帰のターニングポイント 作家名:森本晃次