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回帰のターニングポイント

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「フツーというのはフィーリングで感じることであったり、自分以外の人に感じることではないか?」
 と感じたのだ。
 それは曖昧さがあるものが、普通だと思っていて。フツーというのは、ただ単に、浅いところで考えているので、
「浅く広く」
 ということであり、曖昧さとは区別して考えることではないかと思うことで、
「フツーと普通を使い分けているのではないか?」
 と感じるようになってきた。
 肇が大学に入った頃くらいから、
「新人類」
 という言葉が使われるようになっていた。
 肇は、どういう意味なのかも分からなかった。
 分からなかったというよりも、自分とは距離のある連中だという意識が強く、必要以上に意識しないようにしようと思っていたのだ。
 自分にとって新人類というのはどういうものなのか?
 それを考えるようになったのは、卒業してからのことだった。
 肇といちかは、中学を卒業する頃から、お互いに、
「付き合っている」
 という意識を持っていた。
「恋人と言ってしまうと、相手を縛るような気がするので、付き合っているという印象でいいんじゃないか?」
 と肇がいうので、いちかも頷いていたが、半分物足りなさそうな表情になっていることに気づいていないようだった。
「私は、縛られる方がいいの」
 と言いたかったが、言わなかった。
 きっと、どうしてなのかということを肇は分からないだろうから、
「きっと彼の性格ならどうしてなのか? ということを考えるに違いない」
 と思っていた。
 もし、肇が真剣に考え始めると、ある程度の結論が生まれるまで、考えることをやめないだろう。
 彼がいちかの本性を見抜かなくとも、考えている間、いちかが肇を慕っていたいという思いが違う方向に行ってしまいそうで、辛い気持ちになるのではないかと感じたのだった。
「楽ができないのも嫌だわ」
 と、なぜか楽ができるということにこだわりを持っているいちかだった。
 それは、
「自分が楽をしなければ、肇さんは無理をすると思う。肇さんに気を遣わせて、無理な感覚にさせてしまうというのは、私にとって本意ではない」
 と思っていた。
 その思いはきっと、いちかの中にある、
「M性」
 というものが、大いに影響しているものなのだろう。
 それを思うと、いちかは、肇を余計に意識するようになり、
「本当は縛られたいのにな」
 と感じるようになっていた。
 縛られたいという感覚がM性であるということに気づいた時、いちかはその時、自分の感覚がM性であるということを知ったのだろう。
 それまで、心のどこかに肇に対して、遠慮のようなものがあったのだが、それが自分の中にある体裁であることに気づいたかどうか分からないが、何かの枷が取れたのだということに気が付いたようだ、
「M性のある女性が、絶えず相手に従順であるというわけではない」
 と言われている。
「Mというのは、ある程度わがままなもので、それを許せるSの男性でないと、SMという関係は築くことができない」
 ということなのだろう。
 そのため、SとMの関係の男女が付き合い始めても、次第に別れてしまうということになりかねない。それは、Mの側が、Sに合わせられるかどうかということが問題で、それができなければ、Sにはとても容認できるはずもないので、それでもうまくいくというのであれば、それは、Mの相手は本当の意味でのSではないのかも知れない。
 実は、石橋肇という男は、いちかと付き合い始める前に、一人の女性に轢かれていた。その女性は、見るからにM性の溢れた女性で、まわりにその雰囲気を嫌というほど醸し出していたのだった。
 M性の露骨さは、実は彼女のあざとさが生んだものだった。本当はMでも何でもない彼女が、まわりの気を引きたいという意味で、誰彼ともかく、
「私は、M性を持ったオンナなんだぞ」
 というオーラを示していたのだった。
 その雰囲気にコロッと騙されて、彼女の誘いに乗った連中が何人もいた。もう少しで肇も同じ穴のムジナになりかけたのだが、肇は他の連中に比べて、いきなり行動を起こすようなことはしなかった。
 慎重派だったといえばそれまでなのだろうが、ただの根性なしだったと言ってもいい。他の連中は、
「据え膳食わぬは男の恥」
 と思い、本能を剥き出しにしたのだろうが、それこそ、彼女の思うつぼだった。
 自分から誘っておきながら、いきなりがっついてくるような男に惹かれるようなことはなかった。
 それをやってしまうと、自分が仕掛けたのと同じことに、自分も引っかかってしまうという、まるで。
「ミイラ取りがミイラになってしまった」
 という気分になるからであったのだろう。
 他のM性を持った女性であれば、そこまで考えることはしなかっただろうが、彼女のMというのは、他のMの女性とは違っていた。
 彼女はわがままではなく、自分がMであるということを人一倍自覚していて、Mというものが一体何であるか? ということを探るつもりで、最初から皆に対してあざとさを振りまいていたのだ。
 あくまでも、自分を知りたいという思いで男を利用しようとしているのだから、そんなすぐにがっつく男たちに靡くはずもない。
「だって、私のことをMだと思っているのだったら、相手はSとして接してくるはずでしょう? それが本能の赴くままに、がっついてくるということは、Mの女性に責任を持つなんてことはできないはず。つまりSMの関係ということの本質が信頼関係である以上、Sの人が本能のみで動いたことで、それが引き金になって、Mの女性を守れないのであれば、もうそこで関係は終わりということになるのよね」
 と考えてもいたし、近しい人にはそう言っていたようだ。
 ただ彼女は、
「Sの男性が本能で動くのは別に悪いことではないと思うの。だけど、それに欲が絡んでくると、私は、その本能のような動きに見える行動が、本当は本能からではないと思うのね。本能というのは、まるで条件反射のように、持って生まれた感情が、勝手に身体を動かし、事後であってもいいから、その本能で動いた理由を理解できるところまでいかないと、その行動は本能だとはいえないのだと思っているの」
 と言っていた。
 この考えは、肇にもあることだった。
 だが、悲しいかな、二人とも相手が同じことを考えているということが分からなかった。そのため、肇とすれば、
「危ない危ない。他の連中のように彼女に欲望のみで突っ走っていれば、玉砕状態だったということになる。一歩踏みとどまることのできた自分の行動が功を奏したのだから、俺はやはり、Sなんだと自覚を持っていてもいいような気がする」
 と感じたのだった。
 そんなことから、
「自分がsである」
 ということに気づいた肇は、M性を持っていると思ういちかのことが気になっていた。だが、それは彼女が最初に遠慮していたことに感じたことであり、そのうちに、遠慮をしなくなるようになると、
「あれ? Mじゃなかったのかな?」
 と思って、一歩下がって見るようになった。