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覚悟の証明

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 そもそも、時間に対しての感覚が、時間の経過とともに変わってくる。つまりは、一日一日と、一週間などのまとまった単位で見る時に、違って感じるというのは、今に始まったことではなかった。
 むしろ、そういう考え方があるのは、子供の頃からのことで、その時々で感覚が逆転していた。
 だが、それは自分の中の節目節目に入れ替わるだけで、絶えず持っていたもののはずだ。それを意識させず、無意識な中で、たまに思い出させるのは、自分の本能であり、思い出したことは、自分に対して節目を感じさせるために必要な意識だったのだ。
 だが、副作用によって、この感覚がその時だけではなく、ずっと感じさせるようになると、節目が節目ではなくなり、
「自分に対して何を感じていればいいかという、指標がなくなってしまうのではないか?」
 と感じるようになると、自分が大人になったという感覚を思い出した。
 学生時代というと、中学、高校三年間、大学では四年間というものだったが、三年間であれば、入学して一年は、あっという間に過ぎて、
「ああ、もうあと二年しかないのか?」
 と思わせる。
 あっという間に過ぎてしまったので、二年もあっという間なのかと思うのだが、二年生にあると、一年の時よりも、時間がゆっくりと過ぎていき、
「この時が、高校時代だったんだって、後になって思い出すんだろうか?」
 と感じていた。
 三年生になると、そうもいかなくなり、目の前に受験というものが立ちはだかってくるのだ。
「三年生になったから急に」
 というわけでもなく、二年生の途中から、受験モードに変わった時期があった、
 その時のことをハッキリと覚えているのだったが、その意識は自分の中から出てきたものではなく、まわりが受験モードに入ったことで、いずれ自分が孤立することが分かったので、一気に受験モードに変えた。
 この身のこなしの早さが松前の長所だと言ってもいいのだろう。他の人はまだまだ気持ちの切り替えに時間がかかっていたのに、あっという間に臨戦態勢になった松前を見てまわりの人は、
「あいつには適わないな」
 とため息交じりで言われるほどの変わり身だったのだ。
 別に悪いことではない。松前という男は、根っからの研究者で、臨戦態勢に自らを持ち込むのは得意なことだった。
 元々、覚悟というものを持つことができたのは、気持ちに余裕を持てたからだろう。それを彼の特技のようなものだと言えば、少し違うような気がする。
 彼の頭の中には、意識と記憶を格納する場所とそれ以外に、
「覚悟をすることができる場所」
 という意識を司るだけの余裕が持てるだけの場所がしっかりと確保されていた。
 別に彼が他の人と違って、頭の大きさが違っているというわけではない。
「いかに効率よく頭を使うことができるのか?」
 ということに掛けて、秀でているということなのだった。
 つまりは、他の人が使っていない場所を余裕として、覚悟ができる場所を最初から確保していたことで、他の人よりもはるかに早く臨戦態勢を保つことができたというわけである。
 人間には、超能力というものを持っている人がいて、一部の人間のそんな特殊能力を超能力ということで、テレビなどで番組化されたり、見世物小屋などで、超能力者ということで、昔から、木戸銭をとって、見世物にしていたという経緯がある。
 だが、これまでの研究により通説となっているのは、
「超能力というのは、特別な人間が持っているというものではなく、誰もが超能力というものを持っていて、それを表に出せるかどうかということが、人それぞれである」
 ということが言われている。
「普通の人間は、脳の中の一パーセントくらいしか使っておらず、残りの九十九パーセントは持っているのに、使えるだけの技量がないだけだ」
 と言われている。
 この比率には諸説あるのだろうが、少なくとも、脳の中にある能力の大部分を眠らせてしまっているという、
「無用の長物」
 と言ってもいいだろう。
「自分の中の脳をまったく使っていないということを、意識で来ている人なんて、いるのだろうか?」
 と考えたことがあるが、
「実際には、分かっているのだろうが、そんなもったいないことを本当に自分がしているのだろうか? と思うことで、自らの能力を認めたくないという意識が無意識のうちに働いて、どうすることもできないのかも知れない」
 と考えたこともあった。
 松前も、自分の能力のほとんどを使っていないということを知ったのは、中学時代だった。
 高校受験を前にして、中学時代に入った塾の講師が、
「君たちは、まだまだ未熟なんだろうが、それは、まだまだ脳の中に存在している潜在能力を発揮していないからなんだよ。次第に少しずつそれを使えるようになって、どんどん大人になっていくんだ。だけどね、実際に使われているのは、脳全体のごく一部なんだよ。ほとんどの人は大部分の能力を使えずに終わってしまう。それを使えるような数少ない人たちを、超能力者と呼ぶのさ。だから、超の力者というのは、別に特別な人間なんかではない。選ばれた人間というくらいのことは言えるかも知れないけど、だからと言って、それ以外の人が選ばれていないとは言えないんだ。まだまだ人生はこれからなので、そのことを意識していれば、そのうちに、超能力と呼ばれる部分を使うことができるかも知れない。しかも、その能力の部分は、人それぞれで、どこを使うかというのは、その人の個性であり、芸術家だったら、オリジナリティだと言ってもいいのではないだろうか?」
 と言っていたのを、今でも覚えている。
 大学に入って、最初から、開発者を目指していたわけではない。
 どちらかというと、芸術家を目指していた。
 絵描きであったり、小説家などを真剣に目指してみようと思ったのだが、どれもうまくいかなかった。
「そっか、芸術家というのは、まずは、オリジナリティというよりも、感性が必要なんだ。俺にそんなものが果たしてあるのだろうか?」
 と考えた。
 そもそも、そんなことを考えること自体、芸術家ではないのだろう。芸術家というのは、無意識のうちにできているもので、
「何もないところから新たなものを一から作り出すというのが芸術家だ」
 と思っていて、
「一つのものを十にも二十にもなるような大きさにする」
 という開発者とは根本が違っているのだった。
 それでも、松前が目指すものは、
「何もないところから、新しいものを作り出す」
 ということであった。
 その意味で、
「開発」
 という言葉が一番、自分の中でしっくりきたのだ。
 もちろん、最初にものを作るうえで携わっていくものとして、
「企画」
 というものがあるが、そういうプロモーション的なことには、あまり興味がなかった。
 その理由としては、
「出来上がったものを、あくまでも自分が作り上げたんだという意識を持つことができるかどうか」
 というのが問題だったからだ。
 企画というと、どうしても、プロモーションというと、開発者がどのようなものを作ればいいかという道しるべを示してあげるという意味で、感覚的に、
「縁の下の力持ち」
 というイメージが強かった。
作品名:覚悟の証明 作家名:森本晃次