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覚悟の証明

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 それでは、松前は満足しない。
 自分が作ったものを、
「これを開発したのは自分なんだ」
 ということで、表に出たいという意識が強いのだった。
 だが、実際に開発チームとして、仕事を初めて、手放しに喜んでいるのかというと、そんなことはなかった。
 確かにモノを作っているという感覚で開発者になっている時というのは、
「三度の飯よりも、開発している時の時間が楽しい」
 と思い、あっという間に過ぎる時間に、満足していたと言ってもいいだろう。
 だが、実際に開発してしまうと、開発したものは、あくまでも、会社や組織のものとなってしまう。
 自分が開発者だということで表に名前が出ることも、営業に回った先で、開発者が誰かということもまったく知られることもなく、
「すべては、売り込んできた会社の手柄だ」
 ということになるのであろう。
 さすがに、どうにも理不尽な気がした。しかし、これも考えてみれば当たり前のことであり、
「開発者に対しては、給料という形で報いているではないか」
 と言われる。
「しかし、それは会社に対して利益を得るために開発という仕事をしているのだから、その分が給料であって、開発したことで、儲かる要因を作った開発まで、会社に取り上げられるというのは、承服できない」
 と感じたが、
「それだって、会社が環境を与えてくれなければ、一人で何もかも手配して開発などできるわけはないだろう? お前は会社の中の駒の一つにしかすぎないんだ」
 と言われてしまうと、またしても、
「結局、仕事をして、対価を得るというのは、こういうことでしかないんだ」
 ということになるのだと、思い知らされるだけだった。
 だからと言って、他の仕事をしようとは思わない。
「趣味と実益を兼ねた」
 という意味では、この開発チーム以外では考えられない。
 本当に自分の作ったものを、自分の手柄だとして世に出すとするならば、芸術的なことでしかできないのだろう。
 絵を描いたり、小説を書いたりして、画家であったり、小説家として、あくまでも、
「個人での手柄」
 でなければいけない。
 自分で作ったものを自分で売り込んで商売にするという、個人事業主の形である。
 早々に芸術に見切りをつけてしまったことを、二十代になってその愚かさに、いまさら気付くことになるとは、思ってもいなかったのだ。
 だが、それでも、自分の名前が表に出ないというだけで、自己満足には十分だった。他の仕事をしていれば、自己満足すら得ることができず、絶えず、文句ばかりいう、嫌な社会人になっていることだろう。
 そういう意味で、芸術家のように、
「俺は形から入るのは嫌いなんだ」
 ということはない。
 形から入るというと、恰好のいい服装をしたり、高価なものを身にまとうなどということであるが、松前はそれが嫌であった。
 逆に、
「実力もない連中のほうが、恰好よく見せようとするのを考えると、自分もそんな人間だと思われるのが嫌なんだ」
 と思っていた。
 誰も他の人が、松前のような考え方をするのかというと、そんなことはない。
「開発の人間の制服は、ワイシャツにネクタイ、その上から白衣を着ているだけだ」
 という、誰もが似たような恰好である。
 しかし、営業であったり、宣伝の人は、
「あまり派手な格好は好ましくはないが、ある程度目立つ服装をして、外見から自分がどんな人間かということを相手に見せつける必要がある」
 と言われているようだ。
 そんな感覚は、松前には似合わない。
「実力も伴っていないくせに、恰好で相手を欺くようなやり方は、まるで詐欺みたいじゃないか。みすぼらしい恰好であっても、相手に訴えるものがあれば、そっちの方がよほど自分で満足できる」
 と思ってい。
 しかし、松前の親はまったく逆の性格だった。
 松前の父親は、子供の頃から苦労をしたらしい。貧乏な家に生まれて、しかも、大学入試の前に、おじいさんが急死したということで、大学入学を断念し、そのまま会社に就職したのだが、必死で努力し、地道に仕事を勤め上げ、
「少しでも失敗をすると、せっかく地道に積み上げてきたものが音を立てて崩れ落ちてしまう」
 と言っていた。
 そのために、上司への忖度や、まわりの人に、
「自分は、完璧な人間である」
 という思いを抱かせるために、決して、後ろ指をさされるような行動をしてはいけないと思っていたようだ。
 その一番が、身だしなみだった。
「少しでもみすぼらしかったり、身だしなみがだらしなかったりすると、今までの信用は台無しになるんだ」
 とよく言っていた。
「男というのは表に出ると七人の敵がいる」
 と言われている。
 それは、仕事をする上でのライバルがいるということだろうが、ライバルを敵視するということが、まだ学生の松前には意味が分からなかった。
 しかし、学生であっても、まわりからの嫉妬や妬みというものがどういうものであり、それを自分に浴びせられると、どれほど惨めであり、孤独に苛まれるかということを分かっていた。
 だが、松前は、ファッション感覚に対しては、さほど気にする人間ではなかった。子供の頃から、
「身だしなみには気を付けなければいけない」
 と言って、松前が髪がちょっとでも立っていたり、それのボタンが取れていたりと、
「誰も気にしないのではないか?」
 と思うようなことでも、怒り狂って指摘してくる。
 その剣幕は、まるで、お前は人間ではないとでも言っているような剣幕である。
「そこまで言わなくても」
 と思うからか、しかも、ファッションに興味のない松前にとって、父親の異常ともいえる感覚に、すっかり閉口していた。
「あそこまで卑屈になる必要がどこにあるというのだ?」
 と他のことでは尊敬できる部分が多いのに、たったそのことだけで、松前は父親に対して大きなトラウマを持つようになり、基本的に父親を嫌いになっていたのだった。
 このトラウマは今でも残っていて、
「これは死ぬまでトラウマとして残るものだ」
 と、自分が結婚し、子供が生まれたとすれば、絶対にこういう育て方はしないと思うのだった。
 そんな中において、自分の生活に何が大切なのかということを考えていくと、やはり一番は仕事であった。
 仕事をするようになって最初の頃は、
「どんなに自分の力で開発したものでも、それは会社の手柄としてしか見なされないなんて、やってられない」
 ち思っていたが、そのうちに、
「まあ、いいか。その分、お金がもらえるようになれば」
 と思うようになった。
 前から研究員の中から出ていた要望で、開発チームに入った時には認められていなかった、個人への
「開発手当」
 だが、それが申請によって認められるようになった。
 すべての人に支給してしまうと、開発チームも赤字になりかねないという考えと、開発を煽ることで、ロクな検査もしないで、出来上がった功労のみを評価してしまうと、できあがった成果が、薄っぺらいものになってしまうのではないかということで、開発者の中から、キチンとしたレポートを提出させ、それが認められれば支給するということになったのだ。
作品名:覚悟の証明 作家名:森本晃次