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覚悟の証明

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 なぜかといえば、もし先に進んで、向こう側に着けたとして、最期にはもう一度、同じところを通って、戻ってこなければならないのだ。
「同じ恐怖を二度も感じられるというのか?」
 一度であれば、何とか覚悟を決めたとしても、二度目はそうはいかない。
 そう思うと、もう一度戻る勇気はないと思い、通ってきた道を、何とか戻れないものか? と考えることだろう。
 だが、そんな簡単な理屈なのに、まだ前に進もうと考えている。
「ひょっとすると、向こうに抜けたら、ここを通らずに帰れるところがあるのではないか?」
 と思うからで、それが実に甘い考えであることは最初から分かっていた。
 なぜなら、恐怖の中で、冷静な判断ができないことは分かっている。
 真上から下を覗くことがどれほどの恐怖か分かっているので、決して下を見ようとはしない。
 しかし、下を見なければ、判断ができないと思えば、怖くても見なければいけないという思いに至り、
「死ぬも生きるも、覚悟は必要だ」
 というものである。
 コウモリの研究というのも、そういう覚悟を固めるために、下を見る勇気を得るのと同じ感覚だった。コウモリに卑怯なイメージを感じてしまうと、覚悟ができるような気がする。理不尽さが、不公平さを上回るかどうかの発想であった。
 コウモリというのは、いい意味と悪い意味とが複雑に絡んでいるような気がする。消費期限を狭めることは、資金面での問題を解決させることになるが、そのせいで病気が治らないということであれば、それはあまりにも理不尽であり、本末転倒もいいところであろう。
 そのため、今回の研究で求められたこととして、
「再生能力」
 というものがあった。
 つまり。人間の中にある自浄効果であったり、傷ついた時に、身体を元に戻そうとする人間本来が持っている本能のようなものをいかに引き出すかというのが、この研究のテーマでもあった。
「特効薬というのは、薬自体が病気を治すというよりも、人間の中に存在している力を引き出すものだ」
 と言った方がいいだろう。
 そもそも、人間というものは、薬を身体の中に持っていることが多い。それが病気を治す薬である場合もあれば、逆に毒であることもある。殺人事件の中のトリックの中で、毒殺の場合など、
「毒物が発見されずに、自然死で片づけられる」
 ということから、完全犯罪に至ることもないとは言えないだろう。
 確かに変死であれば、司法解剖に回されるが、解剖しても、身体から毒物が発見されないのだ。
 それはなぜかというと、
「最初から体内にあるものであれば、摂取しても発見されることはない」
 というものである。
 カリウムなどがその一つになるのだろうが、解剖しても、本当に分からないものなのだろうか?
 ただ、最近の科学も発達してきているだろうから、以前のような完全犯罪を形成しにくくなっているかも知れないが、そのあたりは、警察の方のトップシークレットになっているだろうから、ハッキリとしたことは分からない。
 どちらにしても、人間が経口薬として摂取するものであれば、完全犯罪に近づくことはできるだろう。
 注射によるものであれば、針の痕が残るので、すぐに分かるというものだ。
 最初に調べるであろう、腕の静脈や手のひらであれば、すぐに発見されやすいのだが、それ以外の場所として、足首のくるぶしの当たりも調べたりするようだ。
「麻薬患者が、すぐに発見されないように、そこに打つらしいからね」
 と、鑑識としては常識なのであろう。
 薬としても、人間の身体の中にあるものを促進することによって、それが病気の進行を遅らせたり、治療に役立つこともあったり、実際の薬が、それらの体内にある物質を活性化させて、薬とするということがあるというのも事実だった。
「身体の中にあるものには、病気を治癒するもの、そして、病気の治癒のために、体内を活性化させるもの、さらには、毒薬として自分の身体を痛めつけるものと、いいこと悪いこと両面がある。しかも、毒になるものは、即効性のものもあれば、徐々に身体を蝕むものもある。後者であれば、それこそ、死因を特定できないようなものということになるのではないだろうか?」
 と考えられる。
 これも、コウモリの発想のように、同じようなことであっても、見え方によって、いかにでも解釈できるというもので、人間の体内にあるものは、まさにその考えなのだろう。
 うまく機能すれば、完全治癒も夢ではないが、一歩間違えると、その人を一気に殺しかねない恐ろしい毒薬になってしまうかも知れない。
「現在、薬として使われているものも、元々開発された時は、爆弾だった」
 というものも少なくない。
 有名なもので、ピクリン酸であったり、、トルエンなどがそうであろうが、もっとも馴染みのあるものとしては、
「ニトログリセリン」
 ではないだろうか。
 ニトログリセリンというと、皆さんは何を想像するだろう。一般の人であれば、
「ちょっとした進藤でも大爆発を起こす爆薬だ」
 と思うことであろうが、心臓病を患っている人からすれば、
「心臓発作が起こった時の特効薬」
 というイメージを持つことだろう。
 心臓発作のような病気は本当に苦しいものだという。二とrグリセリンは、本当にその人にとっての、命綱なのである。
 一口にクスリと言っても、病気を治すものだけではない。前述のトルエンなどは、麻薬である。
 つまり、服用する薬物として、身体のためになったり、病気を治したり、進行を遅らせるものだけではなく、
「最初は身体の機能を活性化させ、労働意欲などの欲を掻き立てることのできるものなのだが、服用を続けると、慢性化してしまって、身体の健康を蝕むという悪影響を及ぼしてしまう」
 ということになりかねない。
 それは麻薬というもので、服用すると、最初は身体が活性化して、いい効果しかないが、継続すると、今度は薬から離れられなくなる。
 なぜなら、身体が薬を欲するようになり、我慢していると、身体の震えや、発汗作用、さらにひどくなってくると、幻聴、幻覚が見えてくるようになるという、いわゆる、
「禁断症状」
 となって、身体だけではなく、精神をも蝕んでいくという、恐ろしい薬になるのだ。
 その意表例が、
「覚醒剤」
 であり。啓発のための警察が製作したCMなどでは、
「覚醒剤やめますか? それとも、人間やめますか?」
 などという、恐ろしいフレーズがあったりする。
 覚醒剤というと、代表的な暴力団の資金源として、昔から言われていることである。刑事ドラマなどでよく扱われていて、昔の刑事ドラマでは、禁断症状の場面を写し、身体から覚せい剤を抜くという衝撃的な場面を描いたシーンがあったのを、子供の頃に見た気がした。
 今ではなかなかそんなシーンを放送するのは難しいのかも知れないが、啓発という意味では、本当は知るべきことなのだろう。
 ただ、人間として、他人が苦しんでいる姿を見るというのは、
「見るに堪えない」
 という言葉があるように、結構きついものがあるだろう。
 この研究所では、
「禁断症状のない麻薬」
 の製造を提案した人がいた。
 しかし、それはすぐに却下されたのだが、その理由としては、
作品名:覚悟の証明 作家名:森本晃次