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覚悟の証明

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 コウモリロボットは、次第に人間に近い心を持つようになり、自分の運命が、
「人間を助けることだ」
 というものだと感じるようになった。
 もちろん、そうではなく、あくまでも、
「悪の組織の手下」
 でしかないのに、自分の存在意義について悩んだ挙句、自分を作り出した悪の組織から追われるようになると、
「自分の運命は人間を助けることだ」
 という理屈にいきなり到達したのだ。
 どこからそんな発想が出てきたのか、それがマンガだからという理屈で考えればいいのか、とにかく、コウモリロボットの悩みは、まるで堂々巡りを繰り返す、
「ロボット工学三原則」
 のようではないか。
 そんなことを思い出していると、研究室が開設された頃の研究員のノートが見つかった。
 その人は克明に研究内容を記していたが、なぜ、今まで誰からもこの資料に注目しなかったのかというと、
「開かずの扉」
 のようなものが研究室には存在し、そこにはかつての資料が封印されているという話だった。
 この研究は、今の研究とは違うもので、意外とこの研究所は古くからあるようで、元々は旧陸軍の兵器工場から始まっているというから、その歴史は一口で言い表せるものではないだろう。
 この、
「開かずの扉」
 というのも、昔の旧大日本帝国時代のものなので、今の時代には見てはいけないものということで、封印されているのだと、解釈していた。
 しかし、今から数十年前、まだ昭和だったか、それとも、平成になってからのことなのか分からないが、この開かずの扉にまつわる覚書の書かれたノートを発見していた。
 そのノートには、開かずの扉のことが書かれていて、
「あの場所を開けるならば、覚悟を持って開けるようにお願いしたい。あの場所を開かずとしたのは、別に大日本帝国時代の秘密研究を隠すためのものではない。それだけは誤解のないようにお願いしたいのだが、ここでいう覚悟というのは、その研究を見て、早とちりをして勘違いをしないようにしていただきたい。我々がその考えに至るまでには紆余曲折があり、それをうまくそして短く説明するのは至難の業だ。しかも、いちいち説明したとしても、それは意味のないことであるからだ、なぜなら、開かずの扉に封印した研究内容は、自分たちが捻り出してこその研究なのだ。たぶm、今のように、時代が急速に変化していっている状況で、果たして、これを読む人間が時代の流れに乗ることができるかということが大きな問題だった。きっと、数十年後の人たちには、大日本帝国時代の日本や、科学者の考え方など、理解できるわけもない。したがって、もし、あの開かずの扉を開くのであれば、それなりの覚悟が必要だからだ。開かずの扉を開くということは、タブーを犯すということであり、踏み出した場所が、覚悟のいる場所であることは周知のことであろう。このノートを見たならば、私の言葉を今一度考えたうえで、いかなる覚悟を持って臨むかは、後はあなた次第なのだ」
 と書かれていた。
 さすがに、これを発見した人は、恐ろしくて、開かずの扉を開くことはできなかった。
 それから時代はどんどん進み、所長も何代も受け継がれていき、その都度、ノート自体も、ノートの教訓も引き継がれていき、今の令和の時代に至ったのだ。
 今の我々は、難病に挑んでいる。過去の研究員も、それに負けず劣らずの研究を行っていたのだが、ここを開ける気になったのは、松前であり、それは彼が治験者として名乗りを挙げたからだろう。
 治験者になったのは、後から考えれば、どれほど浅はかだったのかということを思い知った気がした。
 最初は、
「別に俺が死んでも誰も悲しむ人なんかいないからな」
 と思っていたのだが、治験者になってから、急に夢を見るようになった。
 夢を見るようになったというよりも、
「夢を忘れなくなった」
 と言ってもよく、しかもその夢というのがいつも同じ夢だったのだ。
 どんな夢なのkというと、
「大学生の頃の夢で、大学時代には、別に困ることもなく、うまくやれたはずだったのに、何かをやり残した」
 という内容の夢だった。
 何をやり残したのかが分からない。そして、
「やり残したことが分からないと、卒業できない」
 というものだった。
 就職も無事に内定し、後は卒業だけだというのに、その卒業ができないかも知れないというのは、実に情けない話だった。
「成績はよかったはずなので、自分が卒業できないのであれば、ほとんどの学生は皆留年だ」
 ということになるだろう。
 研究所に行くことが決まっていて、大学の卒業など、最初から決まっていたようなものだと思っていたのに、そんな小心者のような夢を見るなど、何が悲しいというのだろうか?

                ヤク中

 まもなく開発が成功すると言われるようになると、この薬をいかに売り出そうかということで、会議になった。
 その中で問題になったのは、
「消費期限の問題」
 であった。
 不老不死と言ってはいるが、それは、継続あってのことであって、定期的に薬を飲み続けることで、人間の身体に、不老不死の要素となる力が備わってくる」
 ということであった。
 その定期的な期間というものを、消費期限としたならば、どれくらいの感覚で摂取が必要なのかということである。
 それは、まるでワクチンの効果がどれだけ効いているかということで、一般的にいえば、半年くらいがいいところではないだろうか。
 だが、半年に一度だと、薬を作る経費を考えると、少し長すぎる。赤字になってしまうのだった。
 だからと言って、定価をあげるわけにはいかない。今の値段でも購入者の懐ギリギリというところであろう。
 非公認のクスリなので、保険が利くわけもなく、国から補助金が出るわけでもない。
 そもそも、国がこの研究を依頼してきたくせに、
「これを上級刻印に限るとはいえ、この普及はまだ時期尚早だ」
 と言われていた。
 臨床試験の結果に関しても、資料としては乏しいし、いかに需要があったとしても、この話が世間に漏れると、社会問題になりかねないからだった。
 もし、研究員以外の誰かが使用する場合は、公開も辞さないくらいの覚悟がなければいけないだろう。
 コウモリの研究は、その賛否両論が出た時、いかにまとめるかという意味でも研究されたことであり、その研究結果もいまだ中途半端な状態なので、時期尚早というのも、そのあたりの考えから来ているものなのだろう。
 コウモリの研究が行われる中で、見えてきたのは、吊り橋の上での緊張感を感じた時のことだった。
 風が吹く中で、吊り橋の中央に置いてけぼりにされてしまった場合、どのような精神状態になるというのだろう?
 前に進むべきか、後退するべきか? 悩みどころである。
 断崖絶壁の谷に掛かっている吊り橋は、風によって、グラグラ揺れている。足元がおぼつかず、必死になって、前と後ろを交互に見るだろう。
 それは、
「前に進む方が近いか、後ろに下がる方が近いか?」
 ということを考えるからである。
 しかし、冷静に考えれば、答えは決まっている。後ろに下がるべきだと思うからだ。
作品名:覚悟の証明 作家名:森本晃次