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覚悟の証明

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 それは、武士にとっては褒め言葉であり、秀吉に可愛がられたというのも、よく分かる。
 息子の信繁が、大坂の陣に馳せ参じ、豊臣家のために、最期の死に場所を得たというのは、それだけ温情も厚かったということであろう。
 そういう意味で、コウモリというものは、嫌われ者でありながら、どこか憎めないところがあり、卑怯者だと言われながら、その行動は、褒め言葉に値するものであったりするのだ。
 それを考えると、
「コウモリが人を欺く」
 と言われるのは、別に悪いことではなく、褒め言葉だと考えると、そんな不思議な動物であるコウモリを研究してみようと思うのも、無理のないことではないだろうか。
 さらに、前に見たロボットマンガがあったのだが、そのマンガは、かなり昔のもので、第一期ロボットブームの頃の話だったと思うが、その話は、テレビ化した時は実写版だった。
 当時のマンガが実写化される時というのは、結構実写版が多かったのだが、特撮ブームにも乗っかったのではないかと思われる。
 原作とはだいぶ違い、原作はロボット工学三原則に準拠したような話だったが、特撮になると、どうしても、子供向けにする傾向があるため、勧善懲悪が基本であった。
 特撮番組は、今でもCSで再放送されることもあり、高校生の頃に、受験勉強の合間によく見ていたものだ。
 当時のロボットや改造人間という発想は、
「動物や、昆虫などをモチーフにしたもの」
 が多かったような気がする。
 悪の手先である、ロボットの初代は、コウモリを模したものだった。
 原作を後から読んだが、原作も同じで最初のロボットはコウモリの化身だったのだ。
 特撮では、勧善懲悪の話なので、正義のロボットが、卑怯な悪のロボットに、
「正義の鉄槌を加える」
 という内容で、視聴者の子供たちをスカッとした気持ちにさせたことだろう。
 しかし、マンガの方では少し話が違っている。
 マンガはあくまでも、
「ロボット工学三原則」
 がテーマだった。
 コウモリロボットは、
「悪の手先」
 ではあったが、彼には、自分がなぜ、暗い洞窟の中で、虐げられて暮らしていかなければならないのかという理由が分かっていなかった。
 理由が分かったとしても、それはイソップ寓話の中の、
「卑怯なコウモリ」
 の話であり、
「俺にはまったく関係のない、祖先の話ではないか」
 その思いは、本当は他に動物とも仲良くしたいのに、なぜ自分たちコウモリだけが、こんな憂き目に遭わなければいけないのか? という思いから、どうしても、世の中の理不尽さに怒りを覚えないではいられない。
 そんなコウモリに悪の組織が目を付けたのだ。
 コウモリは、実に身軽であり、フットワークが軽い。その軽さと、自分たちが危機に陥った時、どのようにすれば助かるかということを考えるだけの力があるのだ。
「どんなことをしてでも生き残る」
 ということの何が悪いというのだろう。
「卑怯なことはしたくない」
 と言って、まわりに忖度して、自分が殺されてしまって何になるというのだ。
 自分を犠牲にして生き残った連中が、滅んでいった連中を神と崇め、子々孫々に至るまで、自分たちを優遇してくれるというのか。
 そんなことをするはずはない。やつらは、弱い者を人柱にして、必死になって生き残るのだ。
「では、コウモリとその連中と何が違うというのか?」
 滅んでいった連中を美徳とする考えもあるが、では、生き残った連中に対しては、
「悪だ」
 と言って糾弾できるだろうか?
 生き残ったからこそ、それ以降の文明は残り、歴史の途中として、今自分たちが生存しているのだ。
「生き残った連中を否定するということは、この世を否定することであり、自分の存在も否定することになるんだ」
 というものである。
 アニメの中のコウモリは、自分がまわりから、蔑まれているのだが、
「どんなことをしてでも生き残った」
 ということでの誇りがあった。
「死んでいった連中は、弱いから死んだのだ。弱肉強食のこの時代。生き残った者が正義なんだ」
 という考えだったが、それなのに、
「どうして、こんなに迫害されなければいけないのか?」
 というジレンマが大きなエネルギーとなることを、悪の組織は気が付いて、それで、最初のロボットに、コウモリを選んだのだった。
 コウモリは頭がよく、
「頭がいいから、嫉妬され、嫌われるのだ」
 ということに、コウモリロボットは気が付いてくる。
 そして、自分がどのような立場にいるのかということを理不尽に感じるようになるのだ。
 本来なら、悪の組織に操られることもなく、生きていけるはずなのに、悪の組織に改造されてしまったことに対しても、ジレンマを抱くようになっていた。
 悪の組織としても、コウモリという動物がどれほどのものなのかということを、見誤っていたのだろう。
 コウモリは次第に、自分が誰なのか、何のために生きているのか? などということを必死に考えるようになる。
 そもそも、コウモリというのは、生きることに必死で、
「生き残るためには、手段を択ばない」
 というところが強みだったはずなのに、そのコウモリが自分の存在意義について悩んでしまうと、何を目標に生きればいいのかを考えなければ生きていけない連中からすれば、コウモリに自分たちの領域を侵された気がして、嫌な気分になったりした。
 その思いが、同じロボット仲間であるにも関わらず、心優しいコウモリロボットを窮地に追い込んでしまう。
 そもそも、ロボットを作った連中に、勧善懲悪などという感情があるわけもない。ロボットを作った目的は、自分たちが開発しているものを独占するため、
「他から研究を守る」
 という大義名分の裏に、
「自分たちよりもいいものを作られて、金儲けされでもしたら、こちらはたまったものではない」
 という考えから、
「ロボットによる威嚇」
 を考えたのだ。
 だから、悪の組織は、自分たちのことしか考えていない。
「相手が自分たちよりも上に行こうものなら、ロボット軍団を使って、叩き潰す」
 というのが、目的なのだ。
 だから、ロボットに対して、何ら気持ちがあるわけでもない。
「しょせん、血の通わない機械にすぎないんだ」
 としか思っていない。
いや、そんなことすら考えもしないだろう。考えるとすれば、
「役に立たなくなったら、新しいものを開発して、後はスクラップにでもする」
 ということしかないのだ
 それでも、ロボットがその人たちの役に立たなくなれば、他の誰かが使ってくれるとでもいうのであれば、まだ救いなのだろうが、あくまでも所有者の意志によってしか、ロボットの運命は存在しない。
「スクラップ」
 と言われれば。それ以外の運命は残っていないのだ。
 そのマンガでは、コウモリロボットは、自分の運命に悩み、そして人工知能が堂々巡りを繰り返し始める。
 すでに、悪の組織としては、
「コウモリロボットは不良品」
 ということで、見切りをつけ、新しいロボットを開発し、送り込んできた。
 このロボットの目的は、元々コウモリロボットが受けていた使命を受け継いでいた。
 さらに、もう一つの目的が、
「コウモリロボットの破壊」
 だったのだ。
作品名:覚悟の証明 作家名:森本晃次