覚悟の証明
もちろん、しょっちゅうというわけではなかったが、皆あまり飲むというよりも、食事を楽しむことが多かったので、ホテルのレストランがありがたかった。
もっとも、松前をはじめとして、皆あまり賑やかなところは得意ではない。居酒屋のような喧騒とした雰囲気は苦手で、いや、苦手というよりも、嫌いと言った方がよかった。
「居酒屋に行くくらいなら、ファミレスの方がどれだけいいかな」
と皆で話をしていたくらい、居酒屋というところを毛嫌いしていた。
大学時代に、それでも、二、三度先輩の誘いで居酒屋に入ったこともあったが、どうにも馴染めなかった。
「常連さんになってしまえば、楽しいと思えることもあるんだろうが、常連になるまでに通い続けられるだけのポテンシャルがあるわけではなかった。この場合のポテンシャルというのは、持続力という意味だけどな」
と感じていたのだ。
松前は、結構集中力というものを自分なりに大切にしていて、人がざわついている中で、誰が何を言っているのか分からないような喧騒と下雰囲気は、まず集中することなどできるはずもなく、こんな中に身を置くことは、自分にとって、まるで地獄のようだと思うのも無理もないことであった。
ホテルのレストランを予約するということを最初に始めた友達は、
「そんなにかしこまることはないさ。皆だって、喧騒と下雰囲気は嫌だろう? 誰が何を喋っているのか分からないということで、まわりの声が雑音にしか聞こえなくなると、俺なんか、怒りがこみあげてくるくらいなんだ。皆もそうだとは思わないが、少なくとも感覚的には近いと思っている。だから、一度皆でホテルのレストランで食事をしてみて、どんな気分になるかということを味わってみたいんだ。どう思うかな?」
と言われて、最初は皆戸惑っていたが、
「いや、いいんじゃないか? 君がそうやって考えてくれたことは、皆嬉しいと思っていると思うよ。だから、皆も、彼の気持ちを察して、リラックスをすればいいんじゃないかな?」
と、一人が言った、
彼はいつも、躊躇しているような雰囲気になった時、まとめ役のような感じの人で、我々の中には確固たるリーダーはいないのだが、空気が固まってしまった時に、ほぐすことができる唯一のメンバーであった。
そういう意味では、メンバーには、それぞれ役割のようなものがあった、普段から表に出しているわけではなく、
「何かがあった時に、自然とその人の役割が発揮され、いつも丸く収まっている」
と言ったような感じだった。
最初から表に出ている関係性も悪くはないが、皆それぞれ心に秘めたるものを持っているような関係性は悪いことではないだろう。
松前は、そんな中で、いつもまとめ役であった。
他のメンバーの中に入れば、
「俺は目立たない」
としか思っていなかったが、このグループの中で、最後の方になってから、その日のことを集約することができるのが、松前だった。
彼の全体を見る目と、それから、状況を冷静に判断できる力が、彼らの中で一番秀でていると言ってもいいだろう。
逆にいえば、最初の方での彼の出番はなく、黙り込んでいると言ってもいい。そんな性格が、まわりからは、
「引っ込み思案だ」
と見られているようで、いつものメンバー以外とは、あまり一緒にいることはなかった。
しかし、
「他のメンバーと一緒にいても、何とかなるのではないか?」
とは思っているようだが、まわりが認めてくれていない。
どこか、自分を表に出そうとする時、伏線を引いているように見られるという欠点があった。
決して本人はそんなつもりがあるわけではないのに、そんな風に思われるというのは、実に嫌な気持ちにさせられるが、それも仕方のないことだと思うようになったのは、大学時代の仲間が形成されてのことだった。
「ここが俺の考えを示せる場所なんだ」
という思いから、いつものグループの結束の輪の中に入るようになっていったのだ。
実際に、松前の存在を皆大きく感じてくれているようで、他の連中のように、
「あいつはいてもいなくても一緒なのではないか?」
と陰口を叩かれることはなかった。
「適材適所というのはあるものなんだな」
と松前は自分で感じたのだった。
そんな松前の性格をすぐに見抜いたのは、赤松だった。
赤松は、人の素質を見抜くことには長けていた。研究員としては、それほど成果が挙げられる方ではなかった、適材適所を見抜く力は誰よりもあった。その素質があることで、チーム内では、本当の兄貴のように慕われている。上層部との橋渡しもうまいことから、
「赤松さんをメンバーに引き入れれば、プロジェクトは成功する」
と言われていた。
本当であれば、皆のプロジェクトを成功させてあげたいのだが、身体は一つしかない。そういう意味で、誰もが、
「赤松さんに気に入られよう」
と思っていたようで、赤松に対して、皆の目が一目置くようになっていたのだ。
かといって、赤松はそういう露骨な態度は嫌いだった。
あからさまに自分に引き込もうとしているのを見ると、自分にその気はなくとも、相手に対して怪訝な態度を取るようになる。
一時期、赤松と開発メンバーの中で、不穏な空気があったが、そんな中で、松前の存在が赤松をうまく生かしているようだった。
「まあ、松前さんなら、しょうがないか」
と言われるようになった。
松前はそれだけの実力があり、実際に成果も出していた。しかも、上層部からのウケもいい。
治験者になっていることを知らないのだから、素直に松前という男が、普通に上司から信用されていると思っていた。
そういう意味では、この研究所はうまくいっていた。赤松と松前がいるべき位置にいさえすれば、皆、自分の位置を分かっていないだけに、自然とあるべき位置にあるということになる。
あまり自分の家に人を連れていかない赤松が、松前を連れていったという話が伝わると、
「赤松さんのことは松前に任せておけばいいか?」
ということになり、赤松氏を取り込むことを断念するようになっていた。
赤松先輩は、人と人を結び付けたり、人の才能を引き出すことには長けているが、自分が誰かと関わることは苦手だった。
だから、赤松先輩がその力を発揮するには、誰か他に信頼のおける人を味方につける必要があった。
会社では、彼の上司がその役を請け負っていた。まわりから少し干されかかっていた赤松を見て、
「彼のような優秀な人間が、まわりから干されるというのは、実にもったいないことだ」
ということで、自分のグループにひきいれた。
この時は、他の誰も赤松にアプローチをしていなかったということもあって、うまい具合に上司が取りこんでくれた。その上司の下であれば、赤松も安泰だと言ってもいいだろう。
会社でもうまく立ち回れるようになった赤松と松前だったが、二人はその後急速に接近していった。赤松にとっては、妹のゆいの面倒を見てくれて、しかも、仕事上でも、お互いの才能を引き立て合える相手と巡り会えたことは、今までの人生の中で、一番よかったのではないかと思えたほどだった。